第41章 熱砂の疾駆
地中海を挟んだシチリア沖での艦隊決戦が「痛み分け」に終わり、連合軍のハスキー作戦(シチリア上陸)が一時的な停滞を余儀なくされたその間隙は、北アフリカの戦局を劇的に逆転させる「黄金の隙」となった。
イタリア本土からの補給船団が続々と到着し、さらに英軍の不沈空母であった「マルタ島」が枢軸軍の空挺・爆撃によって無力化されたことで、ドイツ・アフリカ軍団(DAK)の血管には、再び濃厚なガソリンと弾薬が脈打ち始めていた。
「止まるな! モントゴメリーの尻を蹴り上げ続けろ! 我々はすでにベンガジを抜けたぞ!」
灼熱の太陽が照りつけるリビア東部の砂漠。 マイバッハ・エンジンの重低音を響かせ、猛烈な砂煙を上げて東進を続けるのは、ハインツ・フォン・クライスト大尉が乗る重戦車『ティーガーI』を先頭とした、第10装甲師団の車列であった。その後方には、長砲身の7.5センチ砲を搭載した無数のIV号戦車と、兵員を満載したSd Kfz 251 ハーフトラックが怒涛の勢いで追随している。
つい一ヶ月前まで、チュニジアでアメリカ軍の圧倒的な物量の前に干し殺されかけていた彼らは、今や完全に牙を取り戻した「飢えた狼」であった。
8月12日にリビアの首都トリポリを奪還して以来、エルヴィン・ロンメル元帥率いるアフリカ軍団は、一日に数十キロという驚異的な速度で沿岸道路を東へと駆け抜けていた。彼らの前進を阻むはずのイギリス第8軍は、海からの艦砲射撃の支援(アレクサンドリアの地中海艦隊)を得られず、戦う前に陣地を放棄して逃げ去るばかりである。
「このまま一気に国境を越える! エジプトを叩き割り、スエズ運河を我々アーリア人の手で押さえるのだ!」
無線から聞こえるロンメルの血気盛んな声に、クライスト大尉も獰猛な笑みを浮かべた。 ユーラシアの西を枢軸国が制し、東を極東の同盟国(日本)が制する。スエズを抜けてインド洋の日本軍と握手をするという、壮大な「打通の夢」が、今まさに砂漠の蜃気楼から現実の輪郭を帯びて迫りつつあった。
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1943年8月25日 午後2時 リビア東部 トブルク要塞跡
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「イギリス軍はまたしても陣地を放棄しました。トブルクの港湾施設も、我々の到着前に自爆処分されています」
サイドカーで駆けつけた偵察部隊の将校が、ロンメルに敬礼しながら報告した。 かつて北アフリカ戦線の最大の激戦地であり、数十万の将兵の血を吸い込んだトブルクの要塞。しかし今、イギリス第8軍司令官バーナード・モントゴメリー中将は、この防衛に最適な拠点すらもあっさりと見捨てて、さらに東へと後退していた。
「モントゴメリーの奴め、徹底して決戦を避けているな」
ロンメルは、防塵ゴーグルを額に押し上げ、地図を広げた。
「アレクサンドリアの地中海艦隊が動けない以上、海からの火力支援(盾)を持たないイギリス軍の歩兵戦車『マチルダII』では、平原で我々の『ティーガー』や『IV号戦車』と正面から殴り合えば、ただの動く標的として一方的にすり潰されるだけだからだ。奴らは我々のガソリンが切れるのを待ちながら、後方へ、後方へと逃げている」
ロンメルの指先が、地図上のリビアとエジプトを隔てる国境の線へと向かった。
「だが、エジプトの玄関口を明け渡すわけにはいかないはずだ。奴らは必ず、国境の『ファルファヤ峠』で足を止める。全装甲師団、補給部隊の到着を待たずに前進速度を上げろ。モントゴメリーが陣地を構築し終える前に、国境の壁をぶち抜くぞ!」
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1943年8月31日 午後5時 エジプト・リビア国境 ファルファヤ峠(ハルファヤ峠)
英第8軍 前線司令部
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夕陽が砂漠を血のような赤色に染め上げる頃。 切り立った崖と複雑な地形が入り組む、エジプトへの天然の関所──ファルファヤ峠。
ここが、大英帝国が中東における全権益を懸けて敷いた、反撃の第一の防衛線であった。北は地中海の海岸線、南は険しい砂漠に挟まれたこの狭いボトルネックに、後退を続けていたイギリス第8軍の全残存兵力が集結し、幾重にも連なる強固な防衛陣地を構築し終えていた。
「……ロンメルの先鋒が、ついにファルファヤ峠の眼下、距離10キロのラインに到達しました。明日にも、彼らの総攻撃が開始されるでしょう」
防砂網の張られた前線司令部で、参謀がモントゴメリー中将に報告した。
「よくここまで我慢してくれた。兵士たちに伝えろ、ここから先はエジプトの王土だ。一歩も退く必要はないとな」
モントゴメリーは、ベレー帽の埃を払いながら、双眼鏡で西の地平線を睨みつけた。 そこには、ドイツ軍の戦車が巻き上げる砂煙が、巨大な壁のように迫り、地平線には無敵を誇る88ミリ高射砲の砲列が黒いシルエットを現している。
しかし、モントゴメリーの眼には絶望はなかった。 彼の背後、ファルファヤの陣地の後方には、アメリカのルーズベルト大統領が「レンドリース」の枠組みを無制限に拡張して送り込んできた、天文学的な量の兵站が山を成していたからだ。
カナダへ逃れたチャーチル首相の悲痛な要請に応え、アメリカは中東経由、あるいは紅海を迂回するルートで、新品の『M4シャーマン中戦車』を数百両単位でエジプトへと陸揚げしていた。 イギリスの乗員たちは、使い物にならなくなったマチルダ戦車を捨て、昨日届いたばかりのアメリカ製戦車に乗り込み、砲弾を文字通り限界まで詰め込んでロンメルの到来を待ち構えていたのである。
さらに、防衛線の後方には、アメリカから供与された105ミリ榴弾砲などの重砲群が、隙間もないほどに砲列を敷いている。
「ロンメルの補給線は、トリポリからこの国境まで、優に1,000キロ近く伸び切っている。いくらマルタを落として地中海ルートを確保したとはいえ、これほどの長距離をトラックで運べば、彼らのガソリンはすでにカツカツのはずだ」
モントゴメリーは、冷徹な計算式を頭の中で弾いた。
「我々は圧倒的な砲火とM4戦車の物量で、このファルファヤ峠を『鉄の壁』とする。ロンメルのティーガーが何両のM4を破壊しようが構わん。撃たせて、撃たせて、ドイツ軍の弾薬と燃料を砂漠の入り口で完全に空回りさせろ。……彼らの血管が枯渇したその時が、大英帝国の反撃の刻だ」
1943年8月31日。 ロンメルの電撃的な快進撃は、ついにエジプトの喉元たるファルファヤ峠へと到達した。 しかしそこには、アメリカの「マニュファクチャリング」という無尽蔵のポンプを直接背中につなぎ、泥臭い物量戦でドイツの精鋭を削り殺そうと待ち構える、大英帝国最後の強固な盾が立ちはだかっていた。
枢軸国の「打通の夢」か、連合国の「物量の壁」か。 世界大戦の命運を左右する北アフリカの決戦は、沈む夕陽の中で、不気味な静寂を保ったまま国境の峠での息詰まる睨み合いへと突入したのである。




