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第36章 泥濘の終わりと王冠への泥道

狂気的とも言える熱帯のモンスーン(雨季)がようやくその終わりを告げ、強烈な太陽がビルマとインドの国境を隔てるアラカン山系の密林を焼き焦がし始めていた。数ヶ月にわたり進軍を阻んでいた底なしの泥濘が徐々に乾き、固さを取り戻していく。ゲリラの脅威を排除し、ジャングルの悪路を力ずくで切り拓いてきた日本の「双頭の陸軍」──マレー・ビルマ攻略軍(印度方面軍)は、ついにインパール盆地へと通じる開けた平原の眼前に、その重厚かつ暴力的な全容を現した。


だが、彼らを待ち受けていたのは、かつてマレー半島やシンガポールで見せたような、補給を絶たれ士気の崩壊した脆い英軍の背中ではなかった。イギリスインド防衛軍総司令官、アーチボルド・ウェーヴェル大将が構築した「鋼鉄の防衛線」が、インパールへと通じるすべての谷と平原を完全に塞いでいたのである。


そこには、大英帝国が己の命脈を懸けた凄まじい執念と、アメリカという巨大な工場の力が同居していた。カナダのオタワへと逃れたウィンストン・チャーチル首相からの「いかなる犠牲を払ってでもインドを死守せよ」という厳命を受け、ウェーヴェル大将はアメリカのレンドリース(武器貸与法)によってカルカッタの港から急送された無尽蔵の物資を、この防衛線に文字通りすべて注ぎ込んでいた。


双眼鏡越しに見える平原には、アメリカ・デトロイトの自動車工場から吐き出されたばかりの真新しいM4シャーマン中戦車が数百両規模で配置され、車体を隠すハルダウン陣地から75ミリ砲の砲塔だけを不気味に覗かせている。さらに、幾重にも連なる分厚い鉄筋コンクリートのトーチカ陣地や、深く掘り下げられた対戦車壕、そして有刺鉄線の海が、圧倒的な縦深をもって待ち構えていた。それは、一回の電撃的な突撃で破れるような薄っぺらい壁ではなく、何層にも重ねられた絶望的な防波堤であった。


「……敵の防衛線、尋常な深さではありません。第一線を突破しても、その奥の尾根や谷間にさらに第二、第三の陣地が構築されています。有刺鉄線と機関銃座の配置も極めて精緻であり、まさにアリの這い出る隙間もない状態です」


伝習隊の最前線、泥と汗にまみれた観測兵からの報告を受け、重砲兵連隊の中隊長、野村健太郎大尉は軍刀を抜き放った。その鋭い切先は、遥か彼方に広がるイギリス軍のトーチカ群へと真っ直ぐに向けられている。


「ならば、一番奥の陣地まで纏めてすり潰すまでだ! 幕府が誇る水戸徳川の150ミリ重砲の出番である! 池田化学の遅延信管を全砲に装填せよ! インパールの防衛線を、土砂もろとも『面』で削り取れ! 撃てェッ!!」


野村の腹の底から絞り出された絶叫とともに、陣地にずらりと並んだ120門の『一五〇ミリ重加農砲』が一斉に火を噴いた。水戸徳川造兵工機の巨大な反射炉から生み出された強靭な砲身が凄まじい発射反動に跳ね上がり、青山火薬工機が製造した大威力の装薬が爆発する。同時に、陣地の後方からは新鋭の『四〇式多連装噴進砲(ロケット砲)』からも無数の火柱が空へ向けて飛び立ち、耳を聾するような轟音の渦がジャングル全体を震わせた。


ドゴォォォォンッ!! ズガァァァンッ!!


重量40キロを超える徹甲榴弾と無数のロケット弾が、空気を引き裂く不気味な飛翔音とともにインパールの平原に降り注ぐ。備前の池田化学が開発した高威力遅延信管は、コンクリートの分厚い壁を物理的に貫通してから内部で炸裂し、強固なトーチカを内部からの爆発によって粉々に砕け散らせた。陣地に潜み、砲塔だけを出していたM4戦車も、至近距離に落ちた150ミリ砲弾の凄まじい爆風によって次々と真上に吹き飛ばされ、火だるまとなって裏返る。イギリス軍の対空砲火や野砲も反撃を試みたが、水戸徳川の重砲が誇る圧倒的な面制圧力の前には、陣地ごと沈黙を強いられるしかなかった。


その立ち込める硝煙と土煙の壁を割って、大地を揺るがす地響きとともに伝習隊の精鋭装甲部隊が突撃を開始した。


「前進! イギリスの残党に、幕府の鉄の重みを見せてやれ!」


先陣を切るのは、越前松平重工業が誇る新鋭『四〇式中戦車 よろい』54両である。加賀・前田発動機製のV12空冷ディーゼルエンジンが重低音の咆哮を上げ、乾き始めた泥濘を無限軌道で蹴り飛ばしながら英印軍の陣地へと殺到した。 待ち構えていたイギリス軍の対戦車砲や、生き残ったM4シャーマンの75ミリ砲弾が、『鎧』の分厚い鋳造装甲に次々と直撃する。しかし、計算し尽くされた避弾経始ひだんけいしの曲面装甲によって、アメリカ製の徹甲弾は甲高い金属音と火花を散らして無力に弾き返された。


「装甲貫通せず! 怯むな! 反撃! 敵シャーマンを完全に沈黙させろ!」


『鎧』の車長がハッチから身を乗り出して叫ぶと、水戸徳川製の長砲身75ミリ砲が火を吹き、至近距離からM4戦車の正面装甲を容易くブチ抜いた。被弾したM4シャーマンは内部でガソリンと弾薬が誘爆し、巨大な火柱となって爆散する。さらに、戦車の後方からは三五式の車体に150ミリ榴弾砲を直接載せた『四〇式自走重榴弾砲 震天』36両がキャタピラを軋ませて追従し、生き残っている強固なトーチカへ向けて、巨大な砲弾を直接射撃で叩き込んでいく。


装甲部隊の周囲では、井伊銃器製の『三十八年式小銃』を構えた伝習隊の歩兵たちが、藤堂製作所の油圧緩衝器を備えた『三〇式重機関銃』の精密な掩護射撃を受けながら、塹壕へ肉薄し、残存する英軍のグルカ兵たちと凄惨な銃撃戦・白兵戦を展開していった。


一方、伝習隊による重厚な正面突破劇と完全に並行して、インパール平原の側面の荒れ地では、全く異なるドクトリンを持つ部隊が猛烈な機動を見せていた。


「正面は伝習隊の旦那方に任せておけ! 我々はアメリカのトラックで敵の側背へ回り込むぞ! 止まるな!」


島津忠久少将が直卒する外様財閥の私兵、「第一機動陸戦旅団(財閥遊撃隊)」である。 彼らは数ヶ月前、南太平洋のニューカレドニアでアメリカ海軍シービーズから強奪したキャタピラー社製の大型ブルドーザー(D8)を先頭に立て、障害物や倒木を強引に均して即席の道を形成していた。その悪路を、細川ゴム工業の熱帯用特殊タイヤを履いた前田発動機製の四輪駆動大型トラック群が、時速40キロという猛烈な速度で駆け抜けていく。


「撃て! 逃げる敵の背中を一つ残らずハチの巣にしろ!」


トラックから飛び出した遊撃隊の兵士たちは、佐賀鍋島精密機械製の『百式機関短銃』を構え、英軍の第一陣地の退路を物理的に切断した。圧倒的な連射速度で放たれる弾幕が、後退しようとするイギリス兵を瞬く間に薙ぎ払う。 さらに、密林の奥底に巧妙に偽装され、伝習隊の砲撃を逃れていたトーチカ陣地に対しては、阿波・蜂須賀化学から派遣された特務化学兵たちが猛威を振るった。


「トーチカごと焼き尽くせ!」


特務化学兵が背負ったタンクのバルブを全開にすると、ノズルから噴き出した超高温の特殊火炎(ゲル状燃料)が、トーチカの銃眼へねっとりとへばりついた。内部の酸素を一瞬にして奪い去り、潜んでいた英兵たちを絶叫とともに炭化させていく。熱気とガソリンの臭い、そして焼けた肉の臭いが混じり合う地獄絵図の中で、財閥遊撃隊の兵士たちは、立ち止まることなく次々と猛烈な弾幕を張りながら駆け抜けていった。


重防御と絶対的な火力で正面からすり潰す「幕府の盾(伝習隊)」と、鹵獲重機による速度と近接火力で退路を塞ぐ「外様の矛(財閥遊撃隊)」。 この贅沢極まる二重軍備が完全に噛み合ったことで、ウェーヴェル大将が頼みとしたインパールの第一防衛線は、わずか数日で木端微塵に粉砕されたのである。


だが、制圧した尾根を越え、さらにその奥へ広がるインドの広大な平原を見下ろしたマレー・ビルマ攻略軍総司令官、山下奉文少将と島津忠久少将の顔に、勝利の歓喜は微塵もなかった。


彼らの眼下には、先ほど粉砕した陣地とは比べ物にならないほど無数の塹壕が掘り巡らされていたのである。アメリカからのレンドリース物資で完全に武装した英印軍の無尽蔵の兵士たちが、まるでアリの群れのようにうごめき、次なる遅滞防御の構えをすでに完了させていた。陣地を一つ破っても、彼らはすぐ後方の尾根や谷に新たな防御線を敷き、果てしない消耗戦を強要してくる構えであった。


「……マレーやシンガポールのようにはいかんな」


山下少将は、埃と硝煙にまみれた軍帽を深く被り直し、野戦双眼鏡をゆっくりと下ろした。


「シンガポールは半島の先端だ。最後は海に追い落深せば終わりだった。だが、このインド亜大陸には海がない。敵は豊富なアメリカの物資と広大な後背地を利用して、無限にゲリラ戦と遅滞戦闘を仕掛けてくる。防衛線を一つ割っても、彼らは決してパニックを起こさず粘り強く後退し、次の陣地で再び抵抗を続けるだろう。我々は広大な平原を、血を流しながら一歩一歩進むしかない」


島津少将も、忌々しげに銀張りのシガレットケースから葉巻を取り出し、火をつけた。


「ええ。イギリスは死に体とはいえ、大英帝国最後の王冠の宝石インドをそう易々とは手放しませんか。彼らはアメリカの『マニュファクチャリング・モンスター』という巨大なポンプから、無尽蔵にM4戦車や弾薬を吸い上げている。我々が相手にしているのは、目の前のイギリス軍ではなく、太平洋の向こう側で稼働を続けるデトロイトの自動車工場そのものです」


島津は、紫煙を吐き出しながらインド平原の地平線を睨みつけた。


「ここから先は電撃戦ではない。インド中央部の要衝ナグプールを抑え、イギリスの息の根を完全に止めるまで、最低でもあと半年……いや、それ以上の血と泥の『面』の制圧が必要になります。本当の泥沼は、ここからですよ」


長い雨季を耐え抜き、ついに再起動した帝国の「双頭の鉄脚」。 しかし、その前に立ち塞がるのは、アメリカの無限の工業力に支えられ、絶対にインドを手放すまいとする大英帝国最後の凄まじい執念であった。

一気に王冠を叩き割る短期決戦の夢は消え去った。灼熱のインド亜大陸をナグプールまで一歩一歩、両軍の莫大な血と鉄で染めながら進む、過酷な半年間の進攻作戦の火蓋が、今ここに切って落とされたのである。

世界総力戦の巨大な挽肉機は、太平洋や地中海だけでなく、ユーラシア大陸の南腹においても、その無慈悲な回転を確実に始めていた。

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