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第35章 タラワの舞踏と空回りする怪物

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1943年10月10日 午後2時 中部太平洋 ギルバート諸島・タラワ環礁周辺海域

アメリカ第5艦隊 機動空母打撃群(第11・第16・第18任務群)

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抜けるような青空の下、太平洋の海原は星条旗を掲げた巨大な鋼鉄の島々によって完全に埋め尽くされていた。

新鋭大型空母『エセックス』『レキシントン(CV-16)』『バンカー・ヒル』をはじめとする計8隻の空母群からなる、アメリカ合衆国の全生産力マニュファクチャリングの結晶たる機動打撃部隊。その直衛には、旧式戦艦『コロラド』や重巡洋艦、そして無数のフレッチャー級駆逐艦が隙間のない輪形陣を敷き、空には400機近い『F6Fヘルキャット』戦闘機が分厚い防空の傘を形成している。


だが、この圧倒的な質量を指揮するフランクリン・J・フレッチャー中将の顔には、苛立ちと底知れぬ疲労の色が濃く刻まれていた。


「……またか。またジャップの偵察機と、小規模な雷爆撃機のフェイントか!」


旗艦『レキシントン』の艦橋で、フレッチャー中将は電探レーダーのスクリーンを睨みつけながら吐き捨てるように言った。


「第64任務部隊、対空戦闘! 目標、接近中の敵雷撃隊!」


護衛の駆逐艦群から、一斉に5インチ(12.7センチ)両用砲が火を噴く。「VT信管(的近接信管)」を組み込まれた砲弾が、敵機の接近を電波で感知し、空全体を埋め尽くすような黒い爆発のスプラッシュ・バリアを張る。さらに、上空で待機していた数十機のF6Fヘルキャットが、2000馬力エンジンの出力を全開にして敵編隊へと襲いかかった。

しかし。


「……敵機、反転! 距離3万ヤードのラインから、一機もこちらへ突入してきません!」


レーダー員の報告に、艦橋の将校たちは忌々しげに顔をしかめた。 日本軍の機体──岐州重工製の『流星』や上杉航空製の『天山』の群れは、アメリカ艦隊の対空砲火の射程のわずか外側で、嘲笑うかのように急旋回し、そのまま水平線の彼方へと飛び去っていく。彼らは魚雷の一本も落とさず、ただアメリカ軍に莫大な対空砲弾と航空燃料を浪費させただけであった。


「クソッ! 奴ら、最初から我々とまともに殴り合うつもりがないのだ!」


フレッチャー中将は、葉巻を灰皿に叩きつけた。 アメリカ軍のドクトリンは「消耗戦」である。エセックス級空母の群れと分厚い装甲を持つF6Fで日本の攻撃を受け止め、強引な相討ちによって日本の熟練パイロットを物理的にすり減らす。そのためにタラワ環礁へ大艦隊を張り付けたのだ。


しかし、日本軍の指揮官は、そのアメリカの思惑を完璧に読み切っていた。 タラワ周辺に出没する日本の「第三機動艦隊」と「第五機動艦隊」は、決してアメリカ艦隊の防空網の真ん中へは飛び込んでこない。彼らは圧倒的な速力を誇る『彩雲』で米艦隊の位置を正確に把握し、絶妙な距離感で出撃と陽動フェイントをひたすらに繰り返していた。


「奴らの狙いは、我々をこのタラワ海域に釘付けにすることだ。我々がタラワの海兵隊を援護しようとすれば、すかさず空母から陽動部隊を飛ばして我々の足を止める。我々が反撃に出ようとすれば、自慢の高速でアウトレンジへ逃げ去る。……このままでは、我々の莫大な火力が、何もない空に向かってただ浪費させられるだけだ!」


アメリカの誇る「大量生産の怪物」は、日本の洗練された機動戦術と熟練搭乗員たちの「舞踏」のような牽制の前に、タラワの海で完全に空回りさせられていた。


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同日 午後3時 タラワ西方

攻撃機動海域 第三・第五機動艦隊 合同遊撃部隊

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アメリカ艦隊が焦燥と弾薬の浪費に苦しんでいるその裏側で、日本の機動部隊は冷徹な「拘束」の任務を完璧に遂行していた。


「第三次牽制部隊、全機帰投。敵のF6F部隊と直衛艦艇は、こちらのフェイントに過剰に反応し、大量のVT信管と燃料を浪費しております」


装甲空母『鳳凰』の羅針艦橋。 第三機動艦隊司令長官・山口多聞中将は、和田鉄二郎飛行長からの報告を聞き、双眼鏡越しに東の空を睨みながら獰猛な笑みを浮かべた。


「ルーズベルトの化け物(エセックス級)も、正面から殴り合わねばただの鈍重な鉄の塊に過ぎんな。奴らは自らの『質量』を過信しているがゆえに、目の前をチラつく羽虫(陽動)を無視できないのだ」


山口中将の言葉に、別海域で展開する第五機動艦隊の真田幸道中将の知略が見事に噛み合っている。彼ら二人の提督に与えられた任務は、「米新鋭空母群の撃滅」ではない。江戸城の徳川家正宰相が下した至上命令は、「米主力をタラワ海域に拘束・牽制し、一歩たりともハワイ方面へ戻らせないこと」であった。


「……そろそろ、本命の刃が届く頃合いだな」


山口中将は、懐中時計の蓋をパチンと閉めた。


「我々がここでルーズベルトの矛を空転させている間に、松平大将の第一艦隊と、小沢・立花の第二・第四機動艦隊はハワイを完全に包囲しているはずだ。そして、細萱の第五艦隊がミッドウェイの補給線を確保したならば……真珠湾は今頃、文字通り解体されている」


日本の真の恐ろしさは、この「盤面全体を使った冷徹な分業」にあった。 アメリカが誇る最強の盾をタラワの海で完全に無力化(拘束)し、その裏側で、ハワイという太平洋の心臓部へ「大和の巨砲」と「新造空母の暴力」のすべてを叩き込む。 それは、正面からの消耗戦を避け、盤面の急所のみを確実に抉り取るという、諸侯連衡国家の冷徹な計算の極致であった。


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同日 午後5時 タラワ周辺海域

アメリカ第5艦隊旗艦『レキシントン』

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夕闇がタラワの海を包み込み始めた頃、旗艦『レキシントン』の通信室に、ワシントン海軍省、そしてハワイの太平洋艦隊司令部から、暗号を解読する暇もないほどの「平文の緊急電報」が滝のように雪崩れ込んできた。


「司令官! ニミッツ大将からの大至急電です!」


通信参謀が、血の気を完全に失った顔で、震える紙片をフレッチャー中将へと差し出した。 フレッチャーはその電報に目を通した瞬間、葉巻を落とし、まるで信じられない悪夢を見たかのように後ずさりした。


『──ハワイ・オアフ島、敵機動部隊約660機による奇襲を受く。上空の制空権を完全に喪失』 『──ミッドウェイ環礁からの通信途絶。敵旧式戦艦群による艦砲射撃を受け、守備隊は玉砕。同島は敵の占領下に置かれ、補給の中継拠点と化している模様』 『──真珠湾沖合に、日本の超弩級戦艦群(大和型)5隻が侵入。バトルシップ・ロウ(戦艦通り)および乾ドック、燃料タンク群に対し、四六センチ砲による艦砲射撃を開始……』


最後に記された一文が、フレッチャーの心を完全にへし折った。


『──真珠湾は解体された。太平洋艦隊の残存機能は消滅。第5艦隊はタラワの作戦を直ちに中止し、全速で反転、ハワイを救援せよ』


「……なんだと? ハワイが、第一艦隊と新鋭空母群の総攻撃を受けているだと……!」


フレッチャーの背筋に、氷のような戦慄が走った。 罠だったのだ。日本軍の主力がタラワの防衛に集中しているというのは、完全にアメリカ側の思い込みであった。日本はあえて、タラワの守備隊に凄惨な出血を強要させることでアメリカの目を釘付けにし、さらに山口と真田の機動部隊で「付かず離れずの牽制」を行うことで、アメリカの最強の空母群をこの海域に完全に「拘束」したのである。


そしてその隙に、彼らは太平洋のもう半分を使い、ハワイとミッドウェイを同時に奪取するという、神業のような超広域挟撃戦を展開していたのだ。


「中将! ニミッツ大将の命令通り、直ちに艦隊を反転させ、ハワイの救援に向かいましょう!」


幕僚が叫ぶが、フレッチャーはその場に立ち尽くしたまま、絶望的に首を横に振った。


「……無理だ。反転など、できはしない」


フレッチャーは、レーダーのスクリーンの端で、依然として不気味な機動を続けている日本の空母群の光点を指差した。


「我々がハワイへ向けて反転し、あの山口と真田の機動部隊に『無防備な背中』を見せればどうなる? 彼らは我々が陣形を崩した瞬間、その速度とアウトレンジ戦術を駆使し、我々の背後から『流星』と『彗星』の全火力を叩き込んでくるぞ。……追撃戦となれば、足の遅い戦艦や輸送船を抱えた我々は、完全に食い破られる!」


進むことも、退くこともできない。 タラワの海兵隊を見捨ててハワイへ向かえば、背後から山口と真田に食い殺される。だが、このままタラワの空何もない空間へ弾薬を浪費し続ければ、ハワイは完全に灰燼に帰し、太平洋の覇権はアメリカの手から永久に失われる。


「我々は……日本の描いた盤面の上で、完全に『チェックメイト(詰み)』にされたのだ」


マニュファクチャリング・モンスターが生み出した規格外の暴力は、タラワの美しい珊瑚礁の海で、完全に身動きの取れない「巨大な鉄の案山子」へと成り下がった。 太平洋の覇権を懸けた死闘は、アメリカの圧倒的な物量が、日本の冷徹な知略と分業の前に完全に敗北した瞬間を刻んでいたのである。

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