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第4章 モスクワ陥落と東西の挟撃

1941年11月という開戦のタイミングは、決して大英帝国から突きつけられた「国債償還の期限」のみによって受動的に決定されたものではない。

東京の首相官邸と大本営がこの時期を第一撃のXデーに設定した背景には、ユーラシア大陸の反対側で猛威を振るうナチス・ドイツとの戦略的な「東西挟撃の密約」が存在していた。


しかし、そもそも大前提として、この1941年の秋に至るまで、日本とドイツの間に同盟関係など一切存在していなかった。それどころか、18世紀以降の日本の最大のビジネスパートナーは、他ならぬ大英帝国であったのだ。


歴史を18世紀後半へと少し巻き戻す。

1770年、イギリスの探検家キャプテン・クックが南半球の巨大な大陸に到達したとき、彼が目にしたものは「未開のテラ・ヌリウス」などではなかった。そこにはすでに、日本から渡った棄民たちの末裔が数世代をかけて切り拓いた、数百万規模の強固な「武士と領民の町(藩領)」が東海岸から北海岸にかけて連なっていた。


世界最強の海洋帝国であったイギリスは、この時、極めて冷徹な現実主義リアリズムに基づく選択をした。

地球の裏側にあるこの強大な武装文明圏と全面戦争を行い、血と金を浪費するよりも、彼らの主権を認め、最大の「取引相手」とする方が大英帝国の国益にかなうと判断したのである。ロンドンは国際条約によって日本の豊秋津島オーストラリア領有を正式に承認し、ここに「実利と帳簿」に基づく日英の長く奇妙な共犯関係が成立した。


日本は幕藩体制のまま産業革命を推進するため、ロンドンの「シティ」から莫大なポンド建ての投資資金と最新技術を吸い上げた。一方のイギリスは、極東から南太平洋にかけての安定した治安維持を日本の強大な軍事力にアウトソーシングし、両国は互いの生存圏を侵さないという暗黙の了解のもとで、150年以上にわたって共存共栄を図ってきたのである。


日本は欧州のイデオロギー闘争(ファシズム対民主主義)などには一切興味を持たず、自らの「鉄と油のブロック経済圏」に引きこもり、ひたすら利払いを続けるだけの静かなる帝国であった。だからこそ、1939年に欧州で第二次世界大戦が勃発した際も、日本は完全なる中立を保ち、ドイツと結ぶことなど微塵も考えていなかったのである。


その150年続いたビジネスライクな関係を突如として引き裂いたのが、ナチス・ドイツの猛攻によって国家破産の危機に直面したイギリスによる「担保接収条項の強制発動(合法的なインフラ強奪)」であった。


国家の心臓部たるインフラを書類一枚で奪われる。この未曾有の国難に直面した東京の首脳陣は、ここにきて決定的な地理的矛盾に突き当たった。

いかに日本が「異形の帝国」であろうと、地球の裏側にあるロンドンのシティに軍艦や航空機を直接送り込み、物理的に帳簿を焼き捨てるだけの長距離投射能力は持ち合わせていない。


金融という不可視の鎖を完全に断ち切るためには、債権者である大英帝国の中枢そのものを物理的に破壊し、国家を解体させる必要があった。その「ロンドン焼却」という大役を果たす刃こそが、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国防軍であった。


ここに、イデオロギーを完全に度外視した、極めて冷酷な「突発的野合」が成立する。


ドイツにとって最大の壁は、イギリス本土上陸作戦(アシカ作戦)をドーバー海峡で阻み続ける、強大なイギリス本国艦隊の存在であった。一方、日本にとっての最大の壁は、自国の極東インフラを強奪しようと迫り来るロンドンの「債権」である。


両者の利害は、この瞬間、完璧なパズルとなって噛み合った。

「極東へ送られたイギリスの執行艦隊を、我々日本の手で一隻残らず海の底へ沈める。さすれば貴国が、空になった海を渡ってロンドンを火の海に変え、我々を縛るすべての借用書を灰燼に帰せ」


ベルリンと東京の間で、暗号無線を通じたこの非情な取引が交わされたまさにその頃、欧州の戦局もまた、この計画を強力に後押しする決定的な局面を迎えていた。


1941年6月に始まったバルバロッサ作戦(独ソ戦)は、この点において決定的な局面を迎えていた。

アメリカのレンドリース法による物資援助も、北のムルマンスク航路をドイツ海軍に早期遮断されたソ連には届かなかった。結果として赤軍の組織的防衛は秋を待たずに瓦解し、同年11月中旬、冬将軍が本格的に牙を剥く直前に、ドイツ軍はついに首都モスクワの完全占領(解体)を成し遂げたのである。


この「モスクワ陥落」という巨大な地政学的地殻変動が、世界大戦の天秤を決定的に傾かせた。

東部戦線での決着により、背後の憂いを完全に絶たれたドイツ軍の膨大な軍事質量(数百万の将兵とルフトヴァッフェの主力)が、そのまま西ヨーロッパ、すなわち英仏海峡へと反転しつつあったのだ。


ベルリンと東京の間では、すでに暗号無線を通じて冷酷な「取引」が成立していた。

ドイツにとっての最大の壁は、イギリス本土上陸作戦(アシカ作戦)を阻む、強大なイギリス本国艦隊とドーバー海峡の防空網であった。一方、日本にとっての最大の壁は、自国の極東インフラを合法的に強奪しようと迫り来るロンドンの「帳簿」である。


両者の利害は、ここに完璧な一致を見た。


破産寸前であったイギリスのウィンストン・チャーチル首相は、国家の延命を賭けた最大のギャンブルに打って出ていた。豊秋津島(豪州)の資源接収の法的執行力、および帝国への軍事的威嚇を担保するため、本来なら自国のドーバー海峡防衛に投入すべき駆逐艦などの軽快艦艇や最新鋭の航空母艦、さらには巡洋戦艦に至るまでの「本国艦隊の過半数」を、あらかじめ極東のシンガポールやパースへ大量に回航・配備させていたのである。


東京とベルリンが仕掛けた罠は、まさにこの「イギリスの傲慢が生んだ自国軽視の兵力分散」を逆手に取ることであった。


「極東へ送られたイギリス艦隊を、一隻残らず海の底へ沈めよ。さすれば我々が、空にして海からロンドンを火の海に変え、貴国を縛るすべての借用書を灰燼に帰してみせよう」


1941年11月27日、ジャワ海。

帝国海軍が放った『流星』の九一式改航空魚雷と、『九九式艦上爆撃機』の急降下爆撃が、イギリス東洋艦隊(Z部隊)を完膚なきまでに粉砕した瞬間。それは単なる海戦の勝利ではなく、大英帝国を死に至らしめる「致命的なドミノ」が倒された瞬間であった。


極東の海で本国艦隊の半数を一網打尽に蒸発させられたイギリスは、もはや海峡の防壁を維持する物理的な盾を完全に喪失した。もぬけの殻となった英仏海峡へ向けて、満を持したナチス・ドイツの数千隻に及ぶ上陸舟艇が一斉に殺到を開始するための道筋が切り拓かれたのである。


とはいえ、ロシア奥深くからの数百万の兵力反転と、冬将軍がもたらす英仏海峡の絶望的な悪天候を考慮すれば、ドイツ軍が実際に海を渡れるのは翌年の夏を待たねばならない。だが、大英帝国の死刑執行の署名は、すでに極東の海でなされていたのだ。


日本の絶対物理力による極東での「執行艦隊の消滅」と、それに呼応したドイツ軍による欧州での「ロンドン(債権者)の直接解体」。

ユーラシア大陸の東西から突き立てられたこの巨大な双頭の刃こそが、借金の型としてインフラを強奪しようとした大英帝国の野望を打ち砕き、逆にその国家としての息の根を止めるための、計算し尽くされた帝国の戦略であった。

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