表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/55

第18章 巨砲の休息と量産の牙

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1942年10月初旬 中部太平洋

カロリン諸島 トラック環礁

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

赤道特有の焼け付くような陽光を反射して、トラック環礁の広大な珊瑚礁の海がエメラルドグリーンに輝いていた。 だが、その美しい海面を埋め尽くしていたのは、南洋の長閑な景色とは対極にある、黒々とした鋼鉄の威容であった。


「……投錨アンカー・ドロップ!」


野太い号令とともに、巨大な鎖が凄まじい摩擦音を立てて海中へと滑り落ちていく。 基準排水量6万4000トン。46センチ三連装砲三基(計九門)を戴く超弩級戦艦『大和』の巨体が、長い航海を終えてトラック泊地の静かな波間にその身を休めた。


続いて、『武蔵』『信濃』『甲斐』の同型艦三隻、そして準新鋭戦艦『長門』『陸奥』が、まるで海に浮かぶ鉄の山脈のように次々と錨を下ろしていく。これこそが、徳川幕府直轄の天領国軍が誇る世界最大の水上打撃部隊「第一艦隊」であった。


前年11月の開戦以来、彼らは実に10ヶ月以上にわたり、ハワイ・オアフ島沖の公海上に陣取っていた。「アメリカが先に手を出せば、ハワイを灰燼に帰す」という無言の恐喝で太平洋艦隊を真珠湾の奥底に縛り付け、ルーズベルト大統領を中立法の檻の中に封じ込め続けた「絶対抑止の盾」。 その長きにわたる金縛りの任務を、彼らはついに解かれたのである。


『大和』の艦橋から眼下の泊地を見下ろしていた第一艦隊司令長官は、日焼けした顔に深い安堵の息を漏らした。


「全艦、機関停止。ご苦労だった。将兵には特別上陸許可を与えよ」


10ヶ月間、文字通り「一発の砲弾も撃たず」、ただひたすらに水平線の向こうのアメリカ軍と睨み合いを続けた将兵たちの精神的疲労は極限に達していた。しかし、彼らが一歩も引かずにハワイを釘付けにしてくれたおかげで、外様財閥の機動艦隊はマレー、蘭印、南太平洋と、背後を突かれることなくすべての目標を強奪し、完璧な防衛線を構築することができたのである。


環礁の周囲には、すでに帝国陸軍の呂宋・南洋諸島防衛軍に属する第22・第23師団の将兵が展開していた。彼らは奥州鉱業(伊達家)が持ち込んだ巨大な動力削岩機を振るい、美しい珊瑚礁の岩盤をくり抜いて強固な地下要塞と対空砲座を構築し、このトラック泊地を「絶対に沈まない不沈空母」へと変貌させつつある。


「工作艦『明石』、第一艦隊の各艦へ横付けします」


副官の報告とともに、島津家の西国重工が建造した巨大な移動洋上工廠『明石』が、小回りの利く曳船に引かれて『大和』の舷側へと近づいてきた。 甲板には、ガスバーナーや溶接機を手にした島津の工廠の熟練工たちがズラリと並んでいる。10ヶ月間、絶え間なく波と潮風に晒され続けた巨艦たちの船体には、無数の赤錆やフジツボがこびりつき、高圧ボイラーにも疲労が蓄積していた。


「さあ、お大尽の船のお手入れだ! ネジ一本まで堺公差の規定通りに磨き上げろ!」


職長が怒号を飛ばし、整備兵たちが蟻の群れのように巨艦の側面へと取り付いていく。 戦うためではなく、次なる「本番」──すなわち、攻勢に転じてくるであろうアメリカの巨大な質量と正面から撃ち合う決戦の日に備え、第一艦隊はここで完全な戦力回復を図るのである。


彼らが南洋の海で鋼鉄の体を休めているその頃、遠く離れた日本本土では、アメリカの次なる「牙」を丸裸にするための、狂気じみた解剖作業が始まっていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1942年6月中旬 帝都防衛圏・相模国

相模航空廠 第七格納庫

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

時は数ヶ月遡る。広大な厚木平野に広がる相模航空廠。その最も奥深く、厳重な憲兵の警備によって隔離された第七格納庫の中に、異様な熱気とグリスの匂いが充満していた。

巨大な格納庫の床には、破壊された数十個の「巨大な木箱」の残骸が散乱し、その中心に、銀色に輝く数機の真新しい戦闘機が安置されていた。


それは3月、山口多聞の第三機動艦隊と財閥の武装開拓陸戦隊がニュージーランドを無血占領した際、オークランドの地下倉庫で発見された、アメリカの「組み立て待ちの新型機群」であった。 アメリカが将来の大反攻のために極秘裏に集積していたレンドリース物資。浅野港湾の高速輸送船団によって本土へと強行輸送されてきたその「未来の牙」を、帝国の航空技術者たちが一堂に会して徹底的にリバースエンジニアリング(技術収奪)しようとしていたのである。


「……なるほどな。こいつは芸術品じゃない。『空を飛ぶ工業製品』だ」


機体の周囲を取り囲む技術者たちの中で、岐州重工(織田家)の航空機設計局・主任技師である丹羽にわ 俊介しゅんすけが、分厚い眼鏡の奥の目を細めて呻いた。

彼らの目の前にあるのは、アメリカが来るべき対日戦のために量産を開始したばかりの新型機、F6F『ヘルキャット』の初期型、およびP-51『マスタング』のプロトタイプであった。


「我が社の『烈風』は、空気抵抗を極限まで減らすために超々ジュラルミンを使い、職人の手で三次曲面の美しい流線型を叩き出している。だが、こいつらは違う。機体表面の処理は粗く、ネジの頭もろくに揃えられていない。だが……」


丹羽主任技師は、ヘルキャットの機首の装甲板をモンキーレンチでカンカンと叩いた。


「プラット・アンド・ホイットニー製の2000馬力級エンジンを強引に積み込み、パイロットの座席と燃料タンクの周囲を分厚い防弾鋼板で完全に囲い込んでいる。運動性や美しさなどどうでもいい。ただ『熟練工がいなくともベルトコンベアで大量生産でき』『誰が操縦しても素直に飛び』『少々被弾しても絶対に落ちない』ことだけに極振りした設計だ」


「我が社の重防御ドクトリンと似ているが、思想の根底が違うな」


対抗馬である親藩・葵航空工機(尾張徳川家)の航空機体開発部・技術大佐、成瀬なるせ 雅之まさゆきが、腕を組んで呟いた。 葵航空も重防御を旨としているが、それは「限られた数の貴重な職人とパイロットを護る」ためである。しかしアメリカの設計は「いくらでも湧いてくる未熟なパイロットを死なせないため」の重装甲であった。


「それに、成瀬大佐、丹羽技師、この防弾燃料タンクの構造を見てください!」


機体の腹部に潜り込んでいた、細川ゴム工業(肥後細川家)の特殊素材開発部・主任研究員、松井まつい 忠雄ただおが、取り出した真っ黒なゴムの塊を手に興奮した声を上げた。


「何層にも重ねられた生ゴムの間に、特殊な化学繊維がサンドイッチされています! 被弾した瞬間にガソリンと反応してゴムが膨張し、瞬時に穴を塞ぐ自己漏洩防止セルフシーリングの技術です! 我々の技術に近いですが、接着剤の成分と量産工程の簡略化が尋常じゃありません。防長化学(毛利家)の連中に成分を解析させれば、我々の『烈風』や『荒鷲』の生存性を、コストを半減させながら倍に引き上げられます!」


技術者たちの狂騒は止まらない。

P-51の腹部から取り出された「ターボスーパーチャージャー(排気タービン過給機)」の部品を前に、震える手でノギスを当てていたのは、佐賀鍋島精密機械(鍋島家)の特務機関設計課長、江藤えとう 晋太郎しんたろうであった。


「信じられん……。水戸徳川の反射炉でもここまでの耐熱合金は量産できていないぞ。排気ガスの超高温に耐えながら、薄い空気を圧縮してエンジンに送り込むこの精度……。アメリカは、この複雑なタービンを『使い捨ての消耗品』として量産する気か!?」


江藤課長は、血走った目で周囲の技術者たちに怒号を飛ばした。

「すぐに和泉堺の商工組合へ図面を送れ! 堺公差の基準に照らし合わせ、帝国全土の下請け工場へこのタービンの部品製造を分散・割り当てろ! 開発中の排気タービンを、アメリカの合金配合で一気に塗り替えるんだ!」


彼らの目には、アメリカという巨大な「マニュファクチャリング・モンスター」が振り下ろそうとしている質量のハンマーに対する、純粋な恐怖と、それを上回る「技術収奪」への獰猛な歓喜が入り混じっていた。

使える技術は他国の懐からでも躊躇なく奪い、自らの血肉として咀嚼し、元の持ち主へと撃ち返す。これこそが、明治維新を素通り(パス)して封建制のまま重工業化を成し遂げた「異形の帝国」の強さを支える真髄であった。


「アメリカの連中がベルトコンベアで何万機作ろうが知ったことか。奴らの『規格化の思想』と『生存性』を丸ごと我が国の生産ラインに叩き込み、それを職人の精度で組み上げれば、奴らの量産機などすべて空の屑鉄だ」


技術者たちの怒号と機械油の匂いに包まれながら、アメリカの極秘兵器は文字通りネジ一本に至るまで丸裸にされ、豊栄大日本帝国の巨大な帳簿の中へと冷徹に吸収されていったのである。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1942年10月下旬 米国ハワイ準州・オアフ島 

真珠湾 太平洋艦隊司令部

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ハワイの海から、ついに「鉛色の山脈」が消えた。 10ヶ月間、オアフ島沖の水平線を我が物顔で遊弋し、四六センチの巨砲で真珠湾を睨みつけていた日本海軍第一艦隊の姿は、影も形もなくなっていた。


だが、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将の顔に、解放の喜びは微塵もなかった。 司令部の窓から広大な真珠湾を見下ろす彼の双眸には、冷え切った焦燥だけが宿っている。


「……金縛りの呪縛が解けたからといって、喜べる状況ではないな。奴らは『勝つため』に退いたのではない。『次の一撃』の準備のために、態勢を整えに帰っただけだ」


ニミッツの背後で、太平洋艦隊情報参謀のエドウィン・レイトン中佐が重々しく頷いた。


「その通りです、長官。我々が第一艦隊の巨砲に釘付けにされていたこの10ヶ月の間に、奴らは東洋の海を完全に制圧しました。マレー、蘭印、ニューカレドニア、ニュージーランド。アメリカとイギリスが南太平洋に構築していた大反攻のための足場は、すべて無傷で奴らの重工業財閥に強奪されました」


レイトンが広げた太平洋の海図には、赤道周辺から南半球にかけて、日本の「絶対防衛圏」を示す分厚い青い線が幾重にも引かれている。


豊秋津島オーストラリアの沿岸に残されたシドニーやメルボルンの英連邦軍は、海上封鎖によって一滴の物資も届かず、飢えと渇きで全滅を待つばかりです。もはや我々が南から反攻するルートは、物理的に消滅しました」


「だが、我々もただ指をくわえて怯えていたわけではない」


ニミッツは窓ガラスを軽く叩き、眼下の真珠湾を顎でしゃくった。 金縛りが解けた真珠湾の港内は、今や10ヶ月前とは比較にならないほど異様な活気に満ち溢れていた。

アメリカ合衆国という名の「マニュファクチャリング・モンスター」が、ついにその圧倒的な出力をハワイの最前線へと到達させ始めていたのである。


港の拡張ドックには、造船界の怪物・カイザーの造船所でブロック建造され、わずか数週間で湧き出すように海へ投げ込まれた無数のリバティ船(戦時標準船)がひしめき合っている。 さらにその奥には、就役を前倒しされたエセックス級大型航空母艦や、クリーブランド級軽巡洋艦の威容が並んでいた。


陸揚げヤードには、日本の技術者たちが相模で解剖していたのと同じ、F6F『ヘルキャット』の初期量産型や、分厚い装甲をまとったM4シャーマン戦車が、デトロイトの工場から直送されたばかりの姿でズラリと整列している。職人技を排除し、ひたすらに大量生産とパイロットの生存率のみに極振りした「規格化された鉄のハンマー」の群れであった。


「ワシントンのルーズベルト大統領は、国家の全産業を戦時体制へと強制移行させる『ヌードセン・プラン』を完全に軌道に乗せました。このハワイには今、毎日数万トンの物資と、数千人の新兵が本土から溢れんばかりに流れ込んできています。兵站の備蓄は、すでに真珠湾の許容量を限界まで突破しようとしています」


レイトンの報告に、ニミッツは振り返り、鋭い視線を向けた。


「地下のHYPO(戦闘情報班)のロシュフォートたちはどうなっている? 例の『電磁計算機』は、反撃の糸口を弾き出したのか?」


「はい」


レイトンは、一枚のパンチカードの出力結果をニミッツの机の上に置いた。


「日本の『紫式部』の暗号内容そのものは、未だに解読不可能です。しかし、IBMの真空管計算機が二十四時間休まずに敵の通信トラフィック(通信量)を統計処理した結果、奴らの強固な防衛線の中に、たった一つだけ『胃袋の綻び』を発見しました」


レイトンの指が、海図の上の小さな諸島を指し示した。


「ソロモン諸島、およびギルバート諸島。奴らがオーストラリアを封鎖するために南太平洋へ急速に版図を広げすぎた結果、本土からこの最前線の島々への補給ダイヤに、明確な『遅延と滞留』の癖が生じています。奴らの兵站線は、ここで確実に伸び切っている。ここならば、我々の圧倒的な物量で局地的に押し潰すことが可能です」


「ソロモン……ガダルカナルか」


ニミッツはその地名を低く呟き、瞳の奥に冷たい闘志の炎を燃やした。


「第一艦隊がトラック泊地へ引っ込み、我が艦隊の金縛りが解けた今、ルーズベルトが議会に宣戦布告を承認させるための『障害』はすべてなくなった。中立法の檻は、この数週間以内に必ず取り払われる」


ニミッツは机の上の海図を力強く拳で叩いた。


「日本がどれほど職人技の戦闘機を作り、無敵の艦隊を揃えようとも、我々はこの規格化された鉄と爆薬の『質量』で、奴らの防衛線を物理的にすり潰す。全艦隊、出港準備を急がせろ。開戦の火蓋が切られた瞬間、我々はソロモンへ向けて全軍を叩きつける」


トラック泊地で巨砲を休める東洋の怪物と、ハワイで爆発的な生産力を限界まで溜め込んだ西半球の巨人。 武力と法理で完璧な防波堤を築き上げた豊栄大日本帝国と、圧倒的なマニュファクチャリングの津波でそれを押し流そうとするアメリカ合衆国。両者のエネルギーは今まさに臨界点に達し、今にも弾け飛ばんばかりに膨れ上がっている。


だが、引き金はまだ引かれていない。広大な太平洋の青い海は、未曾有の鉄と血が激突するその『時』を、不気味なほどの静寂とともにただ冷徹に待ち受けていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ