第15章 マニュファクチャリング・モンスターの覚醒
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1942年9月7日 午前9時 米国ワシントンD.C.
ホワイトハウス 大統領執務室
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オーバル・オフィスを支配していたのは、終わりの始まりを告げるかのような重苦しい死寂であった。 窓外の庭園には初秋の風が吹き抜けているが、車椅子に深く身を沈めたフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の視線は、机の上に広げられた二つの絶望的な報告書に釘付けになっていた。
表紙に赤字で『最高機密』とスタンプされたその書類は、つい先日、相次いで発生した世界システムの完全なる崩壊を記録していた。 一つは、モスクワを制圧したナチス・ドイツの狂気的な軍事力が英仏海峡を越え、ついに大英帝国の心臓であるロンドンを完全占領し、イングランド銀行を灰燼に帰したという報。 そしてもう一つは、極東において、徳川家正宰相率いる公武合体政府の軍勢が、大英帝国の東洋における最大の不落の拠点、シンガポールを完全に陥落させたという最悪の凶報であった。
「……世界は、完全に作り替えられてしまったな、コーデル」
ルーズベルトは、火の消えたパイプを机に置き、掠れた声で呟いた。 その前に立つコーデル・ハル国務長官の顔は、かつてないほど深く刻まれた疲弊の皺で覆われていた。
「大英帝国は、事実上地上から消滅いたしました。我が国が戦わずに世界を支配するための武器であった『国際金融』という名のルールの檻は、物理的に粉砕されたのです」
ハルは苦渋に満ちた声を絞り出した。 1941年11月、ジャワ海でイギリスのZ部隊が日本軍に蒸気のごとく消し炭にされてからのこの九ヶ月間、アメリカ合衆国は、世界中から「無為無策の臆病な巨人」と指を差され続けてきた。
原因は、ハワイ沖の公海上に大和型戦艦四隻を含む徳川直轄の第一艦隊が平然と遊弋し、真珠湾に強烈な金縛りをかけ続けていたからだ。日本は星条旗に対して一発の銃弾も撃たず、ただ大英帝国だけを合法的かつ物理的に解体していった。先に手を出せば、国内の強固な孤立主義と『中立法』を遵守する議会によってルーズベルト自身が弾劾される。そのジレンマの檻の中で、アメリカはただ身をよじらせるしかなかった。
さらにこの春には、南太平洋において屈辱的な敗北を喫した。合衆国が来るべき大反攻のためにニュージーランドの地下へ極秘裏に集積していた天文学的な量のレンドリース物資や、港湾拡張のためのシービーズ(海軍建設工兵大隊)と最新鋭土木重機を、一発の砲火を交えることもなく「合法的戦利品」として外様財閥に丸ごと鹵獲されたのである。
だが、ルーズベルトの双眸には、絶望の奥に冷徹な炎が宿っていた。
「世界は私がこの九ヶ月間、ただ指をくわえて怯えていたと思っているようだが、それは大いなる誤算だ。中立の檻に縛られながらも、我々はずっと牙を研ぎ続けてきた。アメリカが何もしていなかったわけがないだろう」
大統領の言葉に応じるように、執務室の壁際に控えていた面々が一歩前へ出た。国家戦時生産本部長に就任した前ゼネラル・モーターズ社長ウィリアム・ヌードセン、そして造船界の怪物ヘンリー・カイザーである。
「その通りです、大統領。この九ヶ月間、世界から批判の的となっている裏側で、デトロイトの自動車工場、ピッツバーグの溶鉱炉、シアトルの航空工廠は、密かに、しかし完璧に国家計画経済の支配下へと組み替えられました。これより我々は、眠れる巨大工場の全出力を解放します」
ヌードセンは冷酷な工業資本家としての笑みを浮かべ、分厚いファイルを机に置いた。
「島津の西国重工が鍛え上げる装甲空母や、織田の岐州重工が組み上げる液冷発動機『水星』、そして最新鋭の四〇式艦戦『烈風』は、確かに職人技の結晶であり、驚異的な運動性能を誇る。鍋島家(佐賀精密機械)が削り出す油圧カタパルトにいたるまで、あの大名カルテルの兵器はあまりに精緻です。だが、職人の技には必ず『量産の限界』がある。我々は熟練工を必要としないブロック工法とベルトコンベアの津波で、彼らを圧殺します」
傍らのカイザーが、自信に満ちた声で引き継いだ。
「私のドックでは、溶接と規格化されたブロック建造法により、数週間で一隻の巨大商船が湧き出す体制が整いました。エセックス級空母や、クリーブランド級軽巡洋艦の月産体制もすでに軌道に乗っています。彼らが職人技で一隻の船を丁寧に仕上げる間に、我々は十隻の鋼鉄の塊を海に投げ込む。質量という名の暴力を、極東へ叩きつけるのです」
「情報戦の備えはどうだ、ヴァネヴァー」
ルーズベルトの問いに、マサチューセッツ工科大学のヴァネヴァー・ブッシュ教授と、IBM社長トーマス・J・ワトソンが応じた。
「幕府特務・防諜総監である小栗忠純の裏に潜む、美濃岩手の竹中数理演算所……あやつらが記述する運行制御や暗号ロジックは、人間の脳では解読不可能です。奴らは見えざる数理の算盤で、帝国の複雑な物流と軍備を最適化している。なれば、我が方はワトソン社長のパンチカード統計機を軍事転用し、真空管と電磁リレーを用いた『世界初の電磁計算機』を稼働させます。竹中の脳髄が編み出す数理の壁を、アメリカの電気と真空管の計算速度で凌駕するのです」
ワトソンの言葉に、ルーズベルトは深く頷いた。かつて日本の財務総監・水野忠徳がロンドンの帳簿を無効化したあの算盤を、今度はアメリカの計算機で上書きするのだ。
最後に、合衆国陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャルと、海軍作戦部長アーネスト・キングが巨大な太平洋の海図の前に立った。キングは、日章旗の色に染まりつつある太平洋の西半分を睨みつけていた。
「大統領。三月にニュージーランドやニューカレドニアの備蓄を奪われたことは、確かに我が軍にとって痛恨の極みでした。しかし、あの時無為に動かず堪え忍んだことで、米大陸西海岸からハワイに至る『絶対防衛線』の背後には、いかなる兵站の枯渇も許さない天文学的な量の燃料と弾薬が集積されました」
マーシャル陸軍大将が海図を指し示す。
「日本の双頭の陸軍……水戸徳川の重砲と、我々の重機を模倣した外様財閥の遊撃隊は、確かにマレーで無類の強さを見せつけました。しかし、彼らの兵站線はすでに伸び切っている。我が方はUSスチールの装甲をまとったM4シャーマン戦車と、クライスラーの超重四輪駆動トラックの月産数千両のラインが、今この瞬間に咆哮を上げています。彼らが南方で勝ち誇っている間に、我々はこの圧倒的な艦艇と物資の波で、太平洋の島々を一つずつ、物理的にすり潰しながら押し返すのです」
ルーズベルトはゆっくりとパイプに火をつけた。吐き出された濃厚な紫煙の向こうで、彼の目は完全に中立の檻を踏みつぶしていた。
「ロンドンが落ち、シンガポールが奪われた。もはや、どこの国の借金のもつれだの、我が国が一発も撃たれていないだのという、生ぬるい法理の議論は通用しない。世界システムが死んだのだ。ならば、次は我々が新しいルールを、この工場の煙と鉄血の力で書き換えてやるまでだ」
大統領は机の上の『国家総力戦生産計画最終承認書』を引き寄せ、万年筆を握り締めた。それは中立法という建前を完全にかなぐり捨て、アメリカの全産業を事実上の戦時体制へと強制移行させる、超法規的な大統領令であった。
「日本の連中が誇る将軍のソロバンと、職人の刃の全盛期はここまでだ。全軍、怪物のエンジンを始動せよ。これより、アメリカ合衆国の逆襲の準備を完了させる」
1942年9月。世界の半分が暗黒に包まれたその裏側で、西半球の巨大なマニュファクチャリング・モンスターが、ついにその圧倒的な牙を剥いて太平洋へと進撃する準備を開始した。




