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第12章 双頭の鉄脚とマレーの関門

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1942年8月10日 午前11時

マレー半島北部 タイ・マレー国境・南部仏印進出拠点

マレー攻略軍総司令部

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熱帯の執拗なスコールが去ったばかりの密林は、濡れた泥と蒸気、そして強烈なガソリンの匂いに満ちていた。その最前線に設営された総司令部の天幕のなかで、マレー攻略軍総司令官・山下奉文少将は、巨大な作戦机の上に広げられた半島全図を無言で見つめていた。


山下の巨躯から放たれる威圧感は、周囲に控える参謀たちの呼吸を自然と浅くさせている。その山下の鋭い視線の先、マレー半島の最南端には、大英帝国が誇る東洋最大の不沈要塞、シンガポールの文字が赤々と刻まれていた。


「──報告いたします。南太平洋からの兵力再編、および鹵獲装備の慣熟訓練はすべて完了。これより、我がマレー攻略軍の全容と布陣の解説に移行します」


山下の傍らに直立し、乾いた声で図面を指し示したのは、幕府直轄軍から派遣された冷徹な作戦参謀、辻政信中佐であった。辻の指が指し示す青い駒の群れは、この豊栄大日本帝国が誇る陸上戦力の二重構造そのものを体現していた。


この国の海軍が天領の税収による第一艦隊と財閥の私財による機動艦隊に分かれているのと同様に、日本陸軍もまた、相反する二つの思想によって編制された双頭の怪物であった。特に陸軍の中枢は、旧幕府の直系たる徳川親藩や譜代大名の系譜を引く「陸軍閥」によって強固に支配されており、その兵器体系も歴史に名を馳せた名門大名家系重工の傑作群によって固められていた。


陸軍の基幹をなす一つ目の刃は、山下や辻が直卒する幕府直轄の天領国軍、通称「伝習隊でんしゅうたい」である。

これは伝統的な徴兵制と、旧旗本や譜代大名の武家家系からなる格式高き正規国軍であった。彼らが手にする兵器は、すべて旧幕府系・譜代親藩の巨大軍需企業の系譜から生み出された、重厚長大を旨とする国産の最高級品であった。


伝習隊の主力小銃は、外務大臣を輩出する本家とは異なり、陸軍閥に深く根を張った譜代名門の分家が経営する「井伊銃器」が実直に作り上げてきたボルトアクション式の制式小銃であり、職人気質の銃工たちが調整したその精度は世界随一を誇る。さらに、英軍の強固なトーチカ陣地を正面からすり潰すために並ぶ150ミリ重加農砲は、御三家・水戸徳川家の国策巨頭「水戸徳川造兵工機」の結晶であった。


そして、伝習隊の不敵な進撃を先導する 越前松平重工業製・三五式中戦車改の分厚い防盾と無限軌道は、親藩の雄・越前松平家が興し、徳川の潤沢な資金が流れ込む装甲兵器の最高峰「越前松平重工業」の手によるものである。じっくりと腰を据え、これら譜代重工の圧倒的な鉄量と構築陣地によって敵の出血を強いる重厚な正面突破戦において、天領伝習軍の右に出るものは世界に存在しなかった。


そしてもう一つ、天領伝習軍の脇を固めるように、軽快な殺気を放って並んでいるのが、外様財閥が私有する財閥武装陸戦隊──すなわち「諸藩混成の遊撃旅団」であった。


「島津財閥が私費で募った第一機動陸戦旅団、および毛利鉱山の防長山岳猟兵連隊、いずれも第一線への進出を完了しております」


天幕の端で、豪奢な軍服の袖をまくり上げながら不敵に笑ったのは、島津財閥の一門の系譜を引く島津忠久少将であった。島津が誇るこの財閥遊撃隊は、豊秋津島(豪州)の過酷な内陸部で先住民や英軍の遊撃部隊と数世代にわたり実戦を繰り広げてきた、完全な戦闘のプロフェッショナル集団であった。


彼らの装備と戦術は、幕府直轄の伝習隊とは根本的に異なっていた。井伊銃器製の堅実な小銃の代わりに、彼らは西国の盟友である鍋島家の「佐賀鍋島精密機械」が密造・量産した三八式機関短銃を全兵員に配備し、圧倒的な近接火力を誇る。さらに、彼らの足回りを支える輸送トラックの群れは加賀百万石の工業力を継ぐ「前田発動機」が供給し、渡河用の舟艇や特殊工兵機材は築城の伝統を機械工学へと昇華させた中堅名門「藤堂製作所」が固めていた。そして、これらすべての車両の足元を支え、マレーの熱帯を走破するための頑強なゴムタイヤや無限軌道のパッドを供給しているのが、肥後熊本の系譜を引き、将来的な南方ゴム利権の筆頭候補として名乗りを上げている「細川ゴム工業」であった。こうした外様大名系企業の貪欲な実利精神は、この作戦において驚くべき大化けを見せていた。


時計の針を4ヶ月巻き戻す。

同年3月、山口多聞の第三機動艦隊がニューカレドニアとニュージーランドを電撃的に制圧した際、日本側はアメリカが用意していた天文学的な量の武器貸与法レンドリース物資や、海軍工兵大隊シービーズの最新重機群を無傷で鹵獲していた。


公武合体政府の兵站総監部は、4月から7月にかけての丸々4ヶ月間を、この鹵獲品をマレー戦線へ集中ピストン輸送するためのロジスティクス期間として贅沢に消費した。南部仏印やタイ南部の広大な演習場には、強奪されたアメリカ製の大型ブルドーザー、四輪駆動トラック、ジープ、および数万トンの高オクタン燃料が山と積まれた。


財閥遊撃隊の兵員たちは、捕虜となったアメリカ海軍シービーズの工兵たちから国際法の労役規定の枠内でマンツーマンの操縦指導を受け、キャタピラー社製の重機や大型トラックの特性を徹底的に叩き込まれた。最初は敵の機械に戸惑っていた兵士たちも、前田発動機や藤堂製作所の技術者たちが鹵獲品の構造をまたたく間に解析・カスタマイズし、細川ゴム工業の熱帯用特殊ゴムを各所に換装したことも手伝い、4ヶ月の猛訓練を経た今では、アメリカ製のハイパワー重機を自らの手足のように手懐けていた。


水戸徳川や越前松平の堅牢な国産重火器で敵を正面からすり潰す幕府の伝習隊と、アメリカ製の最新土木重機でジャングルを時速数十キロメートルの滑走路へと変えながら突撃する、完全自動車化された外様の遊撃隊。この徳川・譜代の鉄と、外様財閥の速度という贅沢な二重軍備が完璧に噛み合ったことこそが、作戦開始を8月まで後ろ倒しにした最大の理由であり、大英帝国にとっての最大の誤算であった。


「水戸徳川製の重砲が英軍の防衛線を正面から粉砕し、財閥遊撃隊の機動力が、アメリカの重機で切り拓いた密林の裏側から敵の退路を遮断する。幕府の盾と、外様の矛。この双頭の鉄脚が揃って踏み出す以上、マレーの泥濘などただの舗装道路も同然です」


辻参謀が自信に満ちた笑みを浮かべて作戦プランを叩きつけると、総司令官の山下奉文は、静かに腕を組んだ。


「辻、油断は禁物だ。シンガポールに居座る英連邦軍の総司令官、アーサー・パーシバル中将は、本国からの増援が絶たれたいま、マレー半島全域に防衛線を何重にも張り巡らせて我々を泥沼の持久戦に引きずり込もうとしている。奴らの要塞砲は海を向いているが、陸からの接近に対しても、数に任せた徹底的な遅滞戦闘を仕掛けてくるはずだ」


山下の重々しい言葉に、島津忠久少将がニヤリと口元を歪めた。

「パーシバル中将の帳簿は、すでに破綻しておりますよ、山下将官。南太平洋が完全に封鎖され、蘭印が我が国の王土となった今、彼らには一滴の石油も、一発の銃弾も届かない。彼らが消費するすべての物資はただの引き算です。対する我が方は、多良加から届く無限の原油と、アメリカから奪ったばかりの極上の兵站物資が山をなしている。勝負は戦う前から決しているのです」


山下は地図の最南端、シンガポールの島影に置かれた、イギリスの象徴たる赤い駒をじっと見つめた。


かつて150年間、この大英帝国は日本の最大のビジネスパートナーであり、ロンドンのシティは帝国の産業革命を支える金の泉であった。だが、彼らは自らの破産を穴埋めするために、日本のインフラを強奪するという一線を越えた。ならば、その報いは物理的な消滅によって支払われねばならない。


数日後、欧州ではドイツ軍によるロンドン本土上陸作戦──アシカ作戦の火蓋が切られる。その瞬間、このマレー半島に残されたイギリスの残党たちは、名実ともに拠って立つ祖国そのものを失うことになるのだ。


「よし、全軍へ伝達せよ」


山下奉文がゆっくりと立ち上がると、天幕の中の空気が一瞬で氷結した。その巨躯から発せられた号令は、大英帝国の極東における支配の終焉を告げる、鉄の宣告であった。


「天領の伝習隊と、外様の遊撃隊。その全質量をもってマレーを駆け抜けよ。目標はシンガポール。敵の息の根が止まるまで、1歩も足を止めるな」


1942年8月10日、正午。

山下の号令とともに、タイ国境の密林が激しく揺動を開始した。幕府伝習隊が誇る水戸徳川重砲の150ミリ口径が一斉に火を吹き、財閥遊撃隊が駆るアメリカ製の大型ブルドーザーが、咆哮をあげてマレーの原生林を圧殺していく。


「撃てェッ!」


伝習隊重砲兵連隊・野村健太郎のむら けんたろう大尉の軍刀が鋭く振り下ろされる。 池田化学が合成した強力な新型装薬が爆発し、重量40キロを超える150ミリの巨大な榴弾が、耳を聾する轟音とともにマレーのジャングルへと撃ち込まれた。


弾着と同時に、前方を塞いでいた英軍のコンクリート陣地が土砂もろとも粉々に吹き飛ぶ。 その硝煙の向こうから、アメリカから強奪した巨大な黄色のキャタピラー社製ブルドーザーが、地響きを立てて突進していく。操縦席で分厚い装甲板の裏に身を隠しているのは、第一機動陸戦旅団・工兵特務曹長の西郷隆さいごう たかしだ。


「ハッハァ! 水戸の旦那方の砲撃は派手でいい! だが、道を切り拓くのは我々外様のキャタピラーだ! 止まるな! ジャングルごとイギリス兵を轢き潰して進め!」


細川ゴム工業の熱帯用特殊パッドを履いた無限軌道が、太いヤシの木を次々とへし折りながら、時速数十キロという驚異的な速度で密林に「道路」を形成していく。


その不敵な進撃を先導したのは、中堅大名たちの圧倒的な化学・土木力であった。密林に潜む英軍の強固なトーチカ陣地は、阿波の蜂須賀化学が開発した特殊火炎放射器によって文字通り焼き尽くされ、備前の池田化学が合成した新型爆薬が障害物を跡形もなく吹き飛ばす。


「トーチカごと焼き尽くせ!」


蜂須賀化学から派遣された特務化学兵・徳島治郎とくしま じろう上等兵が、背負ったタンクのバルブを全開にする。ノズルから噴き出した超高温の特殊火炎が、トーチカの銃眼へねっとりとへばりつき、内部に潜む英兵たちを絶叫とともに炭化させていく。熱気とガソリンの臭いが混じり合う地獄絵図の中で、佐賀鍋島精密機械製・三八式機関短銃を構えた遊撃隊の兵士たちは、立ち止まることなく次々と猛烈な弾幕を張りながら駆け抜けていった。


さらに、南下を阻む幾多の河川や、最終関門たるジョホール海峡の渡河作戦において、伊勢の藤堂製作所が真価を発揮した。彼らの高度な油圧技術を駆使した架橋重機や揚陸ハッチは、鹵獲したアメリカ製重機と見事に融合し、伝習隊の重戦車部隊をいとも容易く対岸へと送り届ける絶対的な架け橋として機能したのである。


武力と法理、そして徹底された実利の帳簿によって世界を塗り替える豊栄大日本帝国。その親藩・譜代の誇りと外様財閥の野心が混ざり合って生み出された双頭の鉄脚が、大英帝国の喉元へと向けて、ついに容赦のない一歩を踏み出した。

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