第95章 鵺(ぬえ)の出陣
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1944年11月10日 午後9時00分
帝都・東京 江戸城本丸跡・幕府最高臨戦評議場
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帝都・東京の地上では、初冬の身を切るような冷たい木枯らしが吹き荒れ、黒い外套に身を包んだ市民たちが吐く息を白く染めながら足早に家路を急いでいた。大戦下とはいえ、本土への直接的な空襲や飢餓とは無縁のこの帝都は、戦前と変わらぬ穏やかな秩序を保ち続けている。
しかし、その平穏な雪の舞う地表から地下数十メートルの深淵に建造された、分厚い鉛板と親藩・越前松平重工業製の極厚装甲鋼板、そして幾重にも流し込まれた鉄筋コンクリートの複合装甲に守られた帝国の「脳髄」たる幕府最高臨戦評議場には、外界の冷気とは全く無縁の、重苦しく、そして氷のように冷徹な殺意を孕んだ静寂が完全に支配していた。
「……美濃国の『竹中数理演算所』に設置された巨大な電磁自動算盤が、敵の通信網から逆解析によって弾き出した結果は、もはや疑いようのない絶望的な結論を示しています」
幕府特務・防諜総監である小栗 忠純が、漆黒の重厚なマホガニーの円卓の中央に置かれた分厚い極秘報告書を、重々しい手つきで開いた。
「アメリカ合衆国がニューメキシコ州の不毛な砂漠地帯……地図にも載っていないロスアラモス国立研究所という隔離施設において、国家の全生産力の裏側で極秘裏に進めている『マンハッタン計画』。すなわち、濃縮ウラン235およびプルトニウムを用いた『核分裂爆弾』の開発は、彼らの莫大な工業力と無尽蔵の資金を投じた結果、すでに机上の空論を終え、最終的な実証段階へと突入しつつあります。……早ければ来年、1945年の夏には、間違いなくこの『神の火』のプロトタイプ(試作品)が完成するでしょう」
小栗の冷徹な声に、国家財務総監・水野 忠徳が持っていた扇子を固く握りしめ、深く刻まれた顔の皺を憎悪と焦燥で歪ませた。
「たった一発で、都市一つを丸ごと蒸発させる爆弾……。ルーズベルトの奴め、我が国の『質の暴力』に対抗するため、ついに自然界の禁忌たる物理的熱線の領域へと踏み込んだか。……いかに我が国が、南洋の島々に奥州鉱業(伊達家)の動力削岩機を用いて強固な『地下要塞』を築き上げようとも、大和型戦艦の46センチ(18インチ)巨砲の分厚い弾幕を隙間なく並べようとも、その『神の火』が炸裂すれば、すべての防波堤が一瞬にして無意味な灰燼と化す」
だが、その絶望的な重圧に対し、軍務局から特例で同席していた航空参謀が、作戦図を広げながら極めて冷静かつ論理的な口調で補足した。
「お待ちください、水野総監。確かにその『神の火』の破壊力は絶対的な物理消去をもたらします。しかし、現在のアメリカ合衆国には、それを我が国の心臓部たる帝都・東京へ直接投射するための『物理的な運搬手段』が決定的に欠けています」
参謀は、巨大な世界地図の北太平洋、アリューシャン列島とマリアナ諸島を指揮棒で指し示した。
「先般、ボーイング社が大量生産を開始した超重爆撃機『B-29 スーパーフォートレス』が、アリューシャンから我が国の北洋防衛線(千島列島)を空爆しました。彼らの排気タービン過給機と与圧室がもたらす高度1万メートルという成層圏飛行能力は、我々のレシプロ戦闘機を寄せ付けない確かな脅威です。……しかし、現在のB-29の航続距離の物理的限界では、仮に彼らがサイパンやダッチハーバーから発進したとしても、帝都・東京をはじめとする日本本土の心臓部へ到達し、安全に帰還することはギリギリ不可能です。つまり、今の段階であれば、仮に爆弾が完成しても、奴らはそれを日本本土へ落とす術を持っていません。我々にはまだ『時間的猶予』が残されています」
「だが、その猶予も長くは持たんぞ」
小栗忠純が、葉巻の紫煙を細く吐き出しながら、冷酷に言葉を継いだ。
「アメリカの航空産業の狂気的な進歩速度と、彼らが投じる天文学的な研究開発予算を計算に入れれば、1年後、長くとも2年後には、B-29の航続距離をさらに数千キロ延長した後継機、あるいは完全な次世代の『六発超大型大陸間爆撃機(B-36など)』が必ずロールアウト(完成)します。……そのさらに巨大化した腹の中に、完成したばかりの『神の火』が搭載され、アメリカ本土の西海岸から直接飛び立ってきた時。それこそが、我が国の絶対防衛圏がいかなる意味もなさず、日本という国家が完全に蒸発する『本当の危機』なのです」
重苦しい沈黙が評議場を完全に満たした。
「圧倒的な質の暴力」でアメリカの「量の暴力」をすり潰すという帝国の基本教義が、根本から無力化される究極の破壊兵器と、それに長大な運搬手段という羽が生える悪夢の未来。それが完全に合致した瞬間に、世界総力戦の勝敗は、日本の「完全敗北」として確定する。
「……ならば、結論は一つしかあるまい」
評議場総裁にして永世宰相たる徳川 家正が、パイプを灰皿に置き、深く、地鳴りのような声で口を開いた。
「完成すれば我々が蒸発するというのなら。……完成する前に、奴らの工場を物理的に粉砕し、研究施設を地形ごと吹き飛ばすまでだ」
家正宰相はゆっくりと立ち上がり、指揮棒の先端を、地図の上のアメリカ合衆国・西海岸、そして内陸部のニューメキシコ州ロスアラモスの砂漠へと鋭く、力強く突き立てた。
「しかし、宰相閣下!」
水野が血相を変えて進言する。
「ロスアラモスは、アメリカ大陸の遥か内陸深くです! 我々の機動艦隊が西海岸へ近づけば、サンディエゴやサンフランシスコから出撃してくる数百隻のアメリカ新鋭艦隊と、西海岸に張り巡らされた分厚い防空電波探知網の餌食になります! アメリカの工場から次々と湧き出す『F6Fヘルキャット』の壁を破って、まともに接近することなど、絶対に不可能です!」
「まともに近づいて殴り合えば、全滅するのは火を見るより明らかだ」
家正の顔には、一切の躊躇もなかった。その眼鏡の奥の瞳には、極限の権謀術数家としての、狂気にも似た冷酷な炎が宿っていた。
「だからこそ、我々がタラワの海で強奪し、帝国の血肉として錬成した『最高の妖獣』を使うのだ」
家正の指揮棒が、日本本土の瀬戸内海に置かれた一つの巨大な駒を叩いた。
「角田 覚治中将が率いる新編・第六機動艦隊。……前年11月、タラワ沖で我々が無傷で鹵獲した元アメリカ海軍の『エセックス級』空母群を、和泉堺の『堺公差』と極限の職人技で魔改造した、8隻の『鷲型正規空母』である。猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾を持つという伝説の妖獣……『鵺』。アメリカの船体を持ちながら、中身は完全に日本の極限規格で駆動し、日本の猛禽を腹に宿したこの『鵺の艦隊』ならば、アメリカの警戒網を必ず欺瞞できる。自軍の艦隊を装って、アメリカの絶対防空圏の懐深くへと潜り込むのだ」
小栗忠純の目が、驚愕に大きく見開かれた。
「敵の船体を借りて防空網を欺瞞する……。そしてそこから、内陸のロスアラモスへ向けて、特攻がごとき長距離奇襲爆撃を敢行せよと仰るのですか。しかし宰相閣下! いかに西海岸沖まで欺瞞して接近したとしても、ロスアラモスまでは往復で膨大な距離があります。岐州重工(織田家)が誇る最新鋭の四三式艦上攻撃機『迅星』を以てしても、航続距離はギリギリ、いや足りません! 攻撃は成功しても、パイロットの帰還は物理的に不可能です!」
その悲痛な懸念に対し、評議場の隅に控えていた島津重工・特務技術少佐の伊集院 誠が、不敵な笑みを浮かべて一歩前へ出た。
「航続距離の問題でしたら、我が島津と、岐州重工、そして細川ゴム工業が、すでに航空力学的な技術解決を完了させております」
伊集院は、一枚の巨大な機体設計図をマホガニーの円卓の上に広げた。
「『迅星』の強靭な主翼下に備えられた懸架装置に、爆弾ではなく、限界まで航空ガソリンを満たした超大型の『落下増槽』を両翼に懸架するのです。胴体下部の爆弾倉にのみ一発の大型爆弾を格納し、出撃させる。……無論、この状態での機体重量と空力抵抗は航空機の設計限界を超え、最悪の極みに達します。通常の空母の滑走距離では、海へ墜落して絶対に離陸不可能です」
伊集院は、図面のドロップタンクを指で弾き、獰猛に笑った。
「しかし、アメリカ人が造り上げた『エセックス級』の広大な飛行甲板と、そこに我が国の鍋島家(佐賀精密機械)が無理やりねじ込んだ『超高圧油圧射出機』を用いれば、この絶望的に重い機体を、強引に、かつ安全に空へ蹴り出すことが物理的に可能となります。アメリカ大陸の内陸深く、目標上空で爆弾を投下すると同時に、空になった増槽を投棄して身軽になれば、ロスアラモスからの長大な往復航続距離を完全に確保し、母艦への帰還が可能となるのです」
「……見事だ」
家正宰相は、氷のように冷たく宣告した。
「アメリカの『大量生産』と『核の火』という二つの絶望を同時に断ち切るためには、これ以外に道はない。このアメリカ合衆国本土直接奇襲・核施設消去作戦を、これより『迦具土作戦』と命名する。火の神を斬り殺し、その血から新たな刃を生み出した神話の如く、アメリカの『神の火』を産まれる前に斬り捨てるのだ。第六機動艦隊に極秘の出撃命令を下せ。……ルーズベルトの最も柔らかい心臓に、奴ら自身が造り上げた船から放たれた『帝国の刃』を突き立てるのだ」
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1944年11月20日 午前6時00分
日本本土 瀬戸内海 播磨灘沖合
新編・第六機動艦隊
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瀬戸内海の穏やかな冬の海原を、身の毛がよだつような巨大な航跡を引いて進む鋼鉄の異形たちがあった。
前年、中部太平洋のタラワ環礁沖合において、アメリカ合衆国第5艦隊から一発の砲弾も交えることなく無傷で鹵獲された、基準排水量2万7100トンの巨大な鉄の箱。
浅野港湾や伊勢の藤堂製作所の巨大ドックにおいて、和泉国堺の共通規格『堺公差』による極限の魔改造を施された、鷲型正規空母の8隻である。
1番艦『飛鷲』(元エセックス)、2番艦『翔鷲』(元レキシントンCV-16)、3番艦『蒼鷲』(元バンカー・ヒル)、4番艦『猛鷲』(元エンタープライズ)、5番艦『紅鷲』(元サラトガ)、6番艦『白鷲』(元ホーネット)、7番艦『黒鷲』(元プリンストン)、8番艦『神鷲』(元ベロー・ウッド)。
「……何度見ても、おぞましくも頼もしい威容だな」
第六機動艦隊司令長官、角田 覚治中将は、旗艦『飛鷲』の広大な羅針艦橋から、眼下の飛行甲板を見下ろして獰猛に笑った。
アメリカが「未熟な工員でも数週間で造れる使い捨ての空母」としてブロック工法で粗製濫造した巨大な船体。しかし、その飛行甲板には、親藩・越前松平重工業が鍛え上げた極厚の特殊装甲鋼板が二重、三重に上張りされ、日本のドクトリンである「絶対に沈まない装甲空母」へと強引に作り変えられている。重心の上昇を防ぐために船体側面には巨大なバルジ(張り出し装甲)が溶接され、水戸徳川造兵工機が誇る『長10センチ連装高角砲』がハリネズミのように増設されている。その無骨なシルエットは、まさに正体不明の『鵺』そのものであった。
「機関出力、15万馬力で完全に安定しています! アメリカ製の高温高圧ボイラーは、配管を『堺公差』のバルブに交換しただけで、我が国の空母を凌駕する怪物的な出力を叩き出しています!」
航海長が、計器盤を見つめながら興奮気味に報告した。
「よし。甲板の猛禽どもを空へ放て! 限界重量での発艦訓練開始だ!」
角田中将の号令とともに、『飛鷲』の広大な装甲甲板で、アメリカの粗悪な蒸気シリンダーの跡地へ無理やりねじ込まれた、鍋島家(佐賀精密機械)製の『超高圧油圧射出機』が、鼓膜を震わせる凄まじい圧搾音を轟かせた。
シュゴォォォォンッ!!
次々と瀬戸内の冷たい空へ蹴り出されていくのは、第六機動艦隊に満載された、帝国航空技術の最新鋭機群である。
2500馬力級の超大出力空冷星型発動機を搭載し、二重反転プロペラを回転させる四二式艦上戦闘機『天風』。そして、ターボジェットエンジンを搭載して時速850キロ超で空を切り裂く岐州重工製の四三式艦上噴進戦闘機『焔風』。
だが、何よりも異様な姿を晒していたのは、長距離奇襲爆撃の主役を担う岐州重工製の四三式艦上攻撃機『迅星』であった。
「……重い。機体がまるで鉛の塊のように重いぞ!」
『迅星』の操縦桿を握るパイロットは、全身の筋肉を硬直させながら防喉マイクで叫んだ。
その強靭な主翼の下には、細川ゴム工業が精製した特殊な落下増槽が限界まで航空ガソリンを満たした状態で両翼に懸架され、機体の重量と空気抵抗は最悪の極みに達していた。通常の滑走発艦では、絶対に浮力を得られず海へ墜落する重さである。
しかし、佐賀の超高圧カタパルトが爆発的なエネルギーを解き放つと、その絶望的に重い機体は、巨大な『飛鷲』の装甲甲板から数十メートルの距離で強引に空へと放り出され、2500馬力級大出力エンジンの暴力的な推力で喘ぐように高度を稼いでいった。
「……素晴らしい。アメリカの広大な船体容積と、我が国の高圧カタパルトが完全に融合したことで、ドロップタンクを満載した重量級の『迅星』を、次々と空へ放つことができる。これならば、ロスアラモスからの帰還も可能だ」
角田中将は、双眼鏡越しに『迅星』が安定した編隊飛行へと移行するのを見上げながら、深い満足の息を吐いた。
「長官。軍令部より、最終の作戦指令書が届きました」
通信参謀が、厳重に封印された赤いファイルを持って角田中将の前に直立した。
角田はファイルを受け取り、無言で目を通した。
『──作戦名「迦具土作戦」。目標、米国ニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所。第六機動艦隊はこれより無線封止のまま太平洋を隠密裏に東進し、アメリカ合衆国西海岸の絶対防空圏へ侵入せよ。貴艦隊の船影(アメリカ製空母)と星条旗を最大限に活用し、敵の防空電波探知網を完全に欺瞞せよ』
角田中将の顔に、死狂いの武人としての冷酷な笑みが広がった。
「ルーズベルトめ、自分たちが手塩にかけて造り上げたエセックス級空母が、まさか自分たちの最も柔らかい喉元に牙を突き立てに来るとは夢にも思っていまい。……総員に通達! これより本艦隊は抜錨し、太平洋を東へ向かう!」
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同日 午後1時00分
紀伊水道 太平洋進出口
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静かな瀬戸内海を抜け、太平洋の冬の荒波が打ち寄せる紀伊水道。
『飛鷲』をはじめとする8隻の巨大な『鵺』の空母群は、直衛の防空駆逐艦『満月』や『北風』ら無数の新鋭護衛艦群を従え、漆黒の煙を吐き出しながら外洋へとその巨体を滑り出させた。アメリカの艦隊陣形を完璧に模倣した、巨大な輪形陣である。
艦隊の各マストには、敵の警戒網をすり抜ける欺瞞のため、一時的に掲げられることを許された『星条旗』が冷たい海風に翻っている。しかし、その甲板の下、越前松平の装甲で覆われた格納庫の暗闇の中には、アメリカの核開発を根絶やしにするための、純粋な大日本帝国の冷徹な殺意が研ぎ澄まされて眠っていた。
「……アメリカの『神の火』が産声を上げる前に、我々がその揺り籠ごと完全に蒸発させてやる」
角田覚治中将は、広大な太平洋の東の果て──アメリカ大陸の方角を睨み据え、軍刀の柄を固く握りしめた。
アメリカの船体を持ち、日本の極限規格で駆動し、東洋の猛禽と極限までガソリンを詰め込んだ『迅星』を腹に宿した異形の妖獣。
人類史上最も大胆かつ狂気的な「本土直接奇襲・迦具土作戦」を成し遂げるため、帝国の放った巨大な『鵺』が、終わりのない世界総力戦の暗黒の海へと、いま静かに、そして確実に解き放たれたのである。




