第89章 血路の果て
1944年12月。
西半球の巨大な竜であるアメリカ合衆国の「マニュファクチャリング・モンスター(大量生産の怪物)」が、その全質量を大西洋へと投射し、イギリス本土とイタリア半島において人類史上類を見ない泥沼の血を流していた頃。
ユーラシア大陸の最深部、すでに身を切るような猛吹雪が完全に支配するウラル山脈の西麓では、人類の流血の限界を試すような終わりのない「装甲激突の挽肉機」が、狂気的な限界点へと達しようとしていた。
外部からの補給路を完全に絶たれ、自国での原油産出も風前の灯となり、燃料枯渇による国家の死を目前にしたソビエト連邦。ヨシフ・スターリンをはじめとする共産党指導部は、シベリアのチェリャビンスク(通称:タンコグラード)などの極寒の軍需工場で狂気的に造り溜めた、すべての最新鋭中戦車『T-34/85』と数百万の歩兵を、ただ一つの戦場へと叩きつけた。彼らの目的はただ一つ、南ロシアの油田地帯へ至る進撃路をこじ開けるための「絶対的な一点突破」であった。
それに対するナチス・ドイツ国防軍・東方軍は、精鋭装甲師団が西ヨーロッパの防衛のために引き抜かれ、完全に空洞化していた防衛線を、クルップ社製の80センチ列車砲『ドーラ(グスタフ・ゲレート)』や旧式のIV号戦車など、持てる火力のすべてを投じて死守しようと足掻いていた。
数週間にわたる凄惨な削り合いにより、両軍は共に天文学的な数の戦車の残骸と屍をウラルの雪原に積み上げ、完全に消耗し尽くしたかに見えた。
だが、国家の「絶対死」という時限爆弾のタイマーを突きつけられているスターリンの冷酷な算盤と、スラヴ民族の狂信的な生存本能は、ドイツ軍の精緻な戦術的計算を遥かに凌駕する絶望的な「質量の波」を、なおもウラルの凍土へと送り込み続けていたのである。
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1944年12月10日 午前6時00分
ウラル山脈西麓 ペルミ東方
ドイツ国防軍 東方軍 第1防衛線
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「……敵戦車群、再び接近! その数、測りきれません! ボリシェヴィキどもは、まだあれだけの数を雪の中に隠し持っていたというのか!」
零下三十度に達する極寒の吹雪が視界を白く染め上げる、ドイツ軍の対戦車陣地。泥と凍傷で顔を黒く腫れ上がらせ、防寒着の端を凍らせた観測兵が、カール・ツァイス製の双眼鏡を落としそうになりながら、恐怖に引きつった声で絶叫した。
「パニックを起こすな! 持ち場を離れた者は即座に銃殺だ! 徹甲弾を装填しろ!」
ドイツ国防軍・第14装甲師団の戦車連隊長、ヨハン・シュトラーゼ少佐は、マイバッハ・HL120TRMエンジンを搭載した長砲身7.5センチ砲搭載の『IV号戦車(パンツァー・カンプフ・ヴァーゲン・フィーア)G型』のキューポラから身を乗り出し、凍りつくような大気に向かって怒号を飛ばした。
だが、シュトラーゼ少佐の眼前に広がる白い地平線を真っ黒に埋め尽くして押し寄せてきたのは、数日前の戦闘で完全にすり潰したはずのソ連軍の波を、さらに倍加させたかのような狂気的な大軍であった。
チェリャビンスクの第183ウラル戦車工場や、ゴーリキーの第112工場など、シベリアの奥地で屋根すらない零下数十度の建屋から直接前線へと自走してきた、無塗装の最新鋭中戦車『T-34/85』。その何千両という群れが、アルミ合金製のV-2 12気筒水冷ディーゼルエンジンから吐き出す強烈な黒煙で吹雪を濁らせながら、文字通り「うねる波」となって雪崩れ込んでくる。
「……信じられん。我々は昨日までに、少なくとも2,000両のボリシェヴィキの戦車をスクラップにしたはずだぞ。あれだけの損害を出して、なぜまだ前進できるのだ。奴らには痛覚も、後退という概念も存在しないのか……!」
シュトラーゼ少佐は、自らの震える手を力ずくで抑え込んだ。
「撃て(フォイア)! 撃ち続けろ! 砲身が焼き付くまで撃て!」
生き残っていたドイツ軍のIV号戦車や、塹壕に据え付けられたモーゼル社製『MG42機関銃』が最後の反撃の火を吐く。毎分1,200発の狂気的な連射音が布を引き裂くように響き、雪原を這い進むソ連兵たちを次々と赤い肉塊に変えていく。
しかし、ドイツ軍の弾薬はすでに致命的な限界を迎えつつあった。
ズドォォォォンッ!!
「……第3砲塔、被弾! 車長、弾薬庫が空です! もう撃つ弾がありません!」
シュトラーゼ少佐の搭乗するIV号戦車の下部を、T-34/85が放った第9砲兵工場製の『ZiS-S-53 85ミリ戦車砲』の徹甲榴弾が容赦なく貫通し、車体を激しく揺さぶった。
精鋭のティーガーIやパンターが西ヨーロッパ(イギリス本土防衛)へ引き抜かれた今、旧式のIV号戦車の前面80ミリの装甲では、ソ連軍の長砲身85ミリ砲の直撃に耐えることは不可能であった。
さらに、ドイツ東方軍の絶対的な切り札であったクルップ社製の80センチ列車砲『ドーラ』も、完全に沈黙していた。重量7.1トンの砲弾をすべて撃ち尽くしただけでなく、巨大な砲身そのものが連続発射による凄まじい摩擦と熱で完全に焼き付き、発射不能な巨大な鉄のモニュメントへと成り下がっていたのである。
「……元帥閣下からの命令だ。ドーラをボリシェヴィキの手に渡すな。爆薬を仕掛けろ」
遥か後方の砲兵陣地では、絶望に満ちたドイツ軍の工兵たちが、人類史上最大の大砲の砲身と巨大な台車に無数の爆薬を取り付けていた。後退させるための時間も、それを牽引するだけの強力な機関車も残されてはいなかった。
ドゴォォォォォォンッ!!!
工兵のスイッチによって、ドーラは自らの巨体を吹き飛ばす巨大な自爆の炎に包まれ、ウラルの雪原で無惨な鉄屑へと還っていった。
「防衛線突破されました! ルーマニア軍の塹壕は完全に蹂躙され、ボリシェヴィキの歩兵が陣地の内部へ雪崩れ込んできます!」
弾薬の尽きたドイツ軍陣地へ、PPSh-41短機関銃を乱射しながらソ連の歩兵たちが怒涛の勢いで飛び込んでくる。彼らは自らの戦友の死体を盾にし、火炎放射器とモシン・ナガン小銃の銃剣、果ては塹壕用のスコップまでを振り回して、ドイツ兵とルーマニア兵を次々と血の海へ沈めていった。
「……ここまでか。退却だ! 全車、エンジンを始動しろ! これ以上ここには留まれん!」
シュトラーゼ少佐は、血を吐くような思いで後退の命令を下した。
1944年12月中旬。
ドイツ国防軍・東方軍が数年にわたって維持し続けてきたウラル山脈西麓の長大な第一防衛線は、弾薬の枯渇と、精鋭装甲師団の不在、そして何よりもソ連赤軍の「人命と鉄を無限に浪費する絶対的な質量」の前に、ついに決定的な破孔(突破口)を穿たれたのである。
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同日 正午
ウラル山脈西麓 突破部隊最前線
ソビエト連邦赤軍 第1戦車軍
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「ウラァァァァァッ!!」
「ウラァァァァァッ!!」
ドイツ軍の強固なコンクリート陣地を完全に粉砕し、燃え盛るトーチカと戦車の残骸を踏み越えていく数千両の『T-34/85』と、何万という歩兵たちの歓声が、ウラルの猛吹雪を吹き飛ばすほどの熱狂となって響き渡った。
「止まるな! ついに突破口は開かれた! ファシストの防壁は砕け散ったぞ!」
T-34/85の無塗装の砲塔にしがみついた内務人民委員部(NKVD)の政治将校が、拡声器で狂信的な絶叫を上げる。
「このまま西へ……いや、南西へ進路を取れ! 祖国の心臓部へ、油の眠る地へ向かうのだ!」
モスクワ陥落以来、数年間シベリアの凍土で泥をすすってきた彼らにとって、ヨーロッパ・ロシアの平原への帰還は悲願であった。しかし、ソビエト連邦亡命政府・最高司令部のゲオルギー・ジューコフ上級大将が描いた冷徹な戦略目標は、モスクワへの「西進」による政治的奪還ではなかった。
彼らは冷酷なまでに自覚していた。現在の赤軍には、数千キロ離れた遥か南方のバクー油田や、かつての要衝スターリングラードまでを一気に制圧するだけの「兵站の余裕」も「燃料の備蓄」も、もはや一滴も残されていないことを。もし無謀な長距離進撃を行えば、途中の平原で戦車がガス欠を起こし、ドイツ軍の反撃の前に全滅することは火を見るより明らかであった。
彼らの現実的な目標は、ウラルの壁を抜けた先、ヴォルガ川中流域に位置する交通と工業の要衝──『サラトフ』であった。
そこには小規模ながらも稼働可能な油田と製油施設(ネフテペレラバトゥイバユシチー・ザヴォート)が存在し、ドイツ軍が前線の兵站基地として物資を集積させていた。国家が完全に餓死し、すべての戦車のエンジンが沈黙する前に、このサラトフの「油と物資」を力ずくで強奪し、最低限の国家の延命を図る。それがこの反攻作戦における、現実的かつ絶対的な到達目標であった。
「……第183工場の牙は、ファシストの装甲を完全に食い破ったな」
ソ連赤軍・第1戦車軍の指揮官は、車内通話機越しに低く笑った。
T-34/85の幅広の履帯と、V-2ディーゼルエンジンの圧倒的な悪路走破性が、雪と泥にまみれたヨーロッパ・ロシアの平原を恐るべき速度で駆け抜けていく。彼らは退却するドイツ軍の残党を深追いすることはせず、無防備となった平原を迂回し、サラトフの油田と集積所を目指して、一直線に雪崩れ込んでいったのである。
吹雪の中でエンジンが焼け焦げるような異音を立て、燃料計の針が絶望的なまでにゼロへと近づいていく中、ソ連の戦車兵たちはただ「生き残るための油」を求めて、アクセルペダルを床が抜けるほど踏み込み続けた。
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1944年12月20日 午前10時
ヴォルガ川中流域 サラトフ近郊
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ウラル防衛線の突破から約10日。
凍てつくヴォルガ川のほとりに広がる工業都市、サラトフ。ドイツ軍の占領下において、この都市は小規模な油田から細々と原油を汲み上げ、東方軍の燃料を支えるための重要な後方兵站拠点として機能していた。
しかしこの日、サラトフの守備隊が目にしたのは、真っ白な雪原を真っ黒な排気ガスで汚しながら、文字通り「波」となって接近してくる、絶望的な「復讐の装甲群」であった。
「目標、サラトフ市街地および製油施設! ファシストから我が領土と燃料を奪い返せ! 撃て(オーゴン)!」
数百両のT-34/85が、雪煙を上げながら扇状に陣形を広げ、85ミリ戦車砲の一斉射撃を市街地の外縁部へ叩き込んだ。
ズドォォォォンッ!!
「ボリシェヴィキの装甲部隊だ! なぜこんなところに! ウラルの防衛線が抜かれたというのか!」
サラトフのドイツ軍守備隊が、対空用のモーゼル社製『2センチ四連装高射機関砲(Flakvierling 38)』を水平に向けて必死の抵抗を試みる。毎分1,800発近い猛烈な20ミリ徹甲弾の弾幕が、突進してくるT-34/85へと浴びせられた。
カンカンカンカンッ!!
火花が激しく散るが、T-34の洗練された傾斜装甲は、小口径の機関砲弾を見事に滑らせ、致命的な貫通を許さない。主力装甲師団をイタリア半島とイギリス防衛に引き抜かれ、さらにウラル戦線の崩壊によって後方を完全に絶たれたサラトフの二線級守備隊に、この天文学的な質量の波を食い止める力は残されていなかった。
ズガァァァンッ!!
T-34/85の85ミリ砲弾が対空陣地に直撃し、四連装機関砲が操作員ごと粉々に吹き飛ぶ。市街地の建物が次々と破壊され、レンガと石造りの瓦礫の山へと変わっていく。
ソ連の歩兵たちは、モシン・ナガン小銃とPPSh-41短機関銃を手に、サラトフの市街地へと容赦なく突入していった。彼らの目には、同胞を虐殺された恨みと、何より生き残るための「燃料と食糧」への狂気的な渇望が燃え盛っていた。
「油だ! 製油施設と燃料集積所を制圧しろ! 絶対にタンクに火をつけるな!」
市街戦の混乱の中、ソ連赤軍の戦車長が血走った目で怒号を飛ばす。
彼らがウラルで何千両という戦車と数万の命を犠牲にし、極寒の平原を越えてここまで進撃してきた最大の理由は、このサラトフに備蓄されている、ドイツ軍から奪い返すべき「一滴の血たる燃料」であった。
T-34/85の群れは、残存するドイツ軍のトーチカをその履帯で強引に踏み潰しながら、雪を被った製油プラントや巨大な燃料タンク群へと殺到し、それを無傷で確保するための凄惨な白兵戦を展開した。ドイツ兵が爆薬を仕掛けようとするのを、ソ連兵が銃剣で刺し殺し、施設を強引に奪い取っていく。
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同日 午後3時
サラトフ中心部 製油施設および燃料集積所
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「……制圧完了! ファシストの守備隊は完全に沈黙しました! 製油施設、燃料タンク(バク)および貨車数十両分の備蓄物資、無傷で確保いたしました!」
硝煙と、鼻をつく濃厚な重油の匂いが立ち込めるサラトフの中心部で、顔を血と煤で真っ黒にした将校が、息を切らしながら報告を上げた。
「よくやった。……これで、我が軍のエンジンは止まらずに済む。国家の死は、首の皮一枚で回避されたのだ」
T-34/85のハッチから降り立ったソ連軍の指揮官は、凍りつくような冷気の中で、安堵とも狂気ともつかない重い息を吐き出した。
彼らの戦車の燃料槽は、ウラルからの長距離進撃と激しい戦闘によって、文字通り「最後の一滴」まで枯渇しかけていた。もしサラトフの制圧にあと数日時間がかかっていれば、数千両の戦車はすべて平原の真ん中で完全にガス欠となり、巨大な鉄の棺桶と化していたはずであった。
そしてスターリングラードやバクー油田まで足を伸ばすなどという無謀な作戦をとっていれば、途中で完全に干上がって全滅していたことは火を見るより明らかである。
だが、彼らは血の代償と引き換えに、自らの身の丈に合った現実的な「生命の泉」を強奪することに成功したのだ。
「ヴォルガ川中流の要衝は、再び我が祖国の手に戻った。このサラトフの小規模油田と備蓄燃料があれば、シベリアの工場をあと数年は回し続けることができる」
指揮官は、雪に覆われた氷結するヴォルガ川を見つめながら低く呟いた。
ソビエト連邦は、このサラトフの制圧によって、国家の命運をギリギリのところで繋ぎ止めることに成功した。完全な戦線崩壊を引き起こしてモスクワまで奪還するような余力は残されていなかったし、巨大なバクー油田を奪い返す力もまだない。だが、国家生存のための絶対条件である「最低限の燃料の奪還ルート」を見事に力ずくでこじ開けたのである。
「ファシストの独裁者に教えてやれ。我々スラヴの熊は、まだ決して死んではいないと」
1944年12月下旬。
ウラルの泥沼から放たれた血塗られたアタックは、何千両もの鉄屑と屍を代償として、サラトフに再び赤旗を打ち立てるという「最低限の、しかし決定的な延命」を収めた。
パナマ運河破壊によって西側の超大国が狂乱の海に溺れ、ドイツ軍が二正面作戦の分散に苦悶するその間隙。
ユーラシアの東で限界まで追い詰められていた巨人は、凍てつく大地に自らの血で細いパイプラインを引き直し、終わりのない世界総力戦の盤面において、なおもその恐るべき生存本能と執念を不気味に輝かせていたのであった。




