第89話:言い訳無しの告白と、二つの本心
俺はバックヤードから出たものの、どうしてもリゼッタの前に踏み出す勇気が出ず、入り口近くの商品棚の陰に身を隠して、恐る恐るレジカウンターの様子を窺っていた。
そこには、アンナちゃんと久しぶりの会話を交わしているリゼッタの姿があった。
レオン君が言っていた通り、食事をまともにとっていないせいだろうか、リゼッタのあのふっくらとして健康的な頬は、少しやつれて不健康そうに見える。
(……俺のせいで……)
胸がズキズキと痛み、俺は自分の拳を痛いくらいにぎゅっと握りしめた。
だけど、恐怖と罪悪感のせいで、両足がどうしてもすくんで言うことをきかない。俺はリゼッタの前に出ることができず、ただその場に情けなく立ち尽くしていた。
ドンッ!!!
「うわっ!?」
突如として、後ろから誰かに思い切り背中を押され、俺は勢いよく商品棚の陰からレジカウンターの前へと躍り出てしまった。
驚いて慌てて後ろを振り返ると、棚の隙間からアラクネが「ニシシッ」とケラケラ楽しそうに笑っている姿が見えた。あの野郎……!
だが、もう引き返せない。
俺は恐る恐る前を向いた。そこには、突然飛び出してきた俺に驚き、動きを止めたリゼッタが立っていた。
何か言わなければならないのは分かっている。なのに、頭が真っ白になって言葉がどうしても出てこない。
リゼッタが、その大きな瞳でまっすぐに俺を見つめている。
だけどその美しい瞳は、どこか俺を信じられない……と怯えるように、うっすらと細かく揺れていた。
重苦しい、冷たい沈黙が店内に流れる。
俺はどれだけ頭をフル回転させて考えても、気の利いたスマートなセリフが何一つ出てこない。
どう言ったら……あの時の俺のヘタレな行動を正当化でき、なおかつリゼッタの機嫌を損ねずに丸く収められるのか……。
(──あ。ダメだ。俺、またこんなこと考えてる……)
自分を守るための言い訳を無意識に探そうとしていた自分に気づき、ゾッとした。
「……私、もう……帰るね」
俺の沈黙に絶望したのか、リゼッタは寂しそうに声を落とすと、くるりと背を向けて自動ドアの方へとトボトボと歩き出してしまった。
その横で、レオン君が「どうやってこのゴミムシを殺そうか」とでも考えているような、蛇のような冷たい目で俺を蛇睨みしてくる。
レジの中のアンナちゃんは、顔を手で覆って「はぁ〜あ」と情けない俺に心底あきれ果てているようだった。
──このまま、また逃げるのか?
いや、絶対に嫌だ!
俺は鉛のように重たくなった足を、床を引き剥がすようにして無理やり一歩前へと進め、喉が千切れるほどの声で叫んだ。
「リゼッタ──っっ!!!」
その必死の叫びに、自動ドアの手前でリゼッタの足が止まり、ゆっくりと振り返った。
「……なに?」
その、あまりにも温度のない冷徹なセリフに、俺の心は一瞬で粉々に砕けそうになる。だけど、奥歯をガチリと噛み締めて何とか踏ん張った。俺は、鏡の前で自分に入れたビンタの痛みを思い出しながら、ありのままの言葉を絞り出した。
「リゼッタ……! 俺は、昔からずっと……本当に最低な卑怯者なんだ。人と争うのが死ぬほど苦手で、面倒なことからすぐに目を背けて……。だからあの時も、このまま何事もなかったみたいに、ただ時が過ぎ去ってくれればいいなって、心のどこかで身勝手に思ってたんだ……!」
リゼッタの瞳が、みるみるうちに大粒の涙で潤んでいく。
「リゼッタが、不器用ながらも必死に俺のことを周りからかばってくれていたのも、全部わかってた。……なのに、俺は自分の身を守るために、お前から逃げたんだ。いつもそうやって、現実の争いごとから逃げて、言い訳して、自分だけを安全な部屋に閉じ込めて……。そうやって現実世界でも俺の周りから人がどんどん離れていっても、俺は何食わぬ顔をして、自分は悪くないってそのまま過ごしてきたんだ……!」
リゼッタは涙を拭いもせず、完全にこちらへと向き直った。
「だから……何が言いたいの?」
「でも……! リゼッタがお昼の店に来なくなって……今までみたいに、何食わぬ顔をしてやり過ごそうと思ったけど……無理だったんだ。胸が苦しくて、どうしても頭から離れなくて……!」
俺は拳を強く握り込み、自分の心臓の声をそのままぶつけた。
「俺は、リゼッタに……!! 俺の側から離れてほしくないんだ!!! ……だから、ごめん。本当に最低な店長でごめん。俺を許してほしい!!」
そう叫ぶなり、俺は直角に腰を折り、深々と頭を下げた。
ルカ君と練習したコンマ数秒の土下座なんかじゃない。ただ、頭を下げて心から祈るような、不器用で必死な謝罪。
数秒間の沈黙が流れる。その静寂は、俺にとってまるで永遠の時間のように長く、恐ろしく感じられた。
やがて、リゼッタが小さく口を開いた。
「……許さない」
冷酷に告げられたその一言に、俺の身体は一瞬で指先まで凍りついた。やっぱり、ダメだったのか──。
「だけど……。マモルがこれから本当に変われるかどうか……、私がずーっと、横で見てあげる」
「え……? ──それって、つまり、また明日からお店のバイトに戻ってくれるってこと……!?」
俺がパッと顔を上げると、リゼッタはその質問にはあえて答えず、ぷいっと顔を真っ赤にして背を向けた。そして、横にいるレオン君の腕を引っ張る。
「帰るわよ、レオン。明日からまた、このお店で朝からたくさん働かなくちゃいけないんだから。……今日は、しっかりお肉ご飯食べなきゃ」
そう言うと、リゼッタは涙のついた顔のまま、どこか嬉しそうに足早に店を出て行った。
「っ……!」
張り詰めていた緊張が一気に解け、俺はレジカウンターの前で呆然と立ち尽くす。
そんな俺の隣へとレオン君がすっと音もなく寄り添い、耳元でゾッとするような低い声でささやいた。
「よかったなゴミムシ……。少しだけ、寿命が延びて」
「は、はい……!」
そのままレオン君は、自動ドアの外へ出て行ったリゼッタの後ろ姿を慌てて追いかけ、さっきの殺気が嘘みたいに走っていった。
「ねえさ〜〜ん!! 待ってよ〜〜〜!!」
完全に静まり返った一号店の売り場で、俺は糸が切れた人形のように、その場にガクンと膝から崩れ落ちた。情けない姿だったが、胸の奥は信じられないほど軽かった。
すぐ横に来たアンナちゃんが、俺の肩をポンと優しく叩いて、母親のような温かい笑顔で笑いかけてくれた。
「頑張ったね、店長」
「……ああ。ありがとう、アンナちゃん」
俺は、この異世界に来てから、一番「心の底から」と言える本物の笑顔を浮かべていた。
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その日の夜。ベッドの上に大の字に寝転がりながら、俺は静かに天井を見つめて思考を巡らせていた。
昼間、リゼッタに向かって叫んだ言葉。あれは間違いなく、俺の偽りのない「本心」だ。あいつに側にいてほしいと思ったのは真実だ。
だけど……。その一方で、二週間後に届く新型ドローンを使ってサカモトから認証デバイスを奪い、あの千砂の待つ「現実世界」へと帰ろうとしている自分が、今も確かにここにいる。
千砂のあの大人びた涙顔を見て、もう一度会いたい、あっちの世界に戻りたいと強く願った自分もまた、紛れもない俺の「本心」なのだ。
リゼッタを傷つけたくない。だけど、日本に帰りたい。
俺は、自分の中に同時に存在する、決して交わることのない「二つの本心」のはざまで激しく胸を痛めながら──深く、冷たい夜の闇の中へと、意識をゆっくりと吸い込まれていった。




