第88話:言い訳の終焉と、鏡の前のビンタ
「マモル店長……ちょっと良いですか?」
前日のレオン君の脅迫の後、俺が一人で売り場で必死に土下座の練習をしていると、バックヤードからルカ君が異様なほど真剣な表情で声をかけてきた。
「ど……どうした、ルカ君?」
「今の店長の土下座の流れなんですけど……」
「なにか動きがおかしいかな?」
「いや、基本的にはそれで良いと思います。ただ……」
そう言うと、ルカ君は実際に自分で膝をつく動作を交えながら熱弁し始めた。
「謝ってからの土下座のタイミングと膝の角度なんですけど……このモーションで行けば、コンマ数秒はタイムを縮められると思うんですよ。僕のPCに今の店長の動きを計算させたところ、謝罪のセリフから土下座までの移行時間は、短ければ短いほど相手の許容成功率が上がるという分析結果が出ました」
「なるほど!! さすがは天才ルカ君、目の付け所が違うな!」
俺は感心して、ルカ君の細い肩をバシバシと叩いた。
「へへ、店長のお役に立てて光栄です」
そう言って、男二人でバックヤードの入り口でフフフと意識高く笑い合っているところへ、アンナちゃんが呆れ顔で入ってきた。
「はぁ〜あ……」
入ってくるなり、アンナちゃんはフロア全体に響くような深い、深い溜め息を吐き出した。
「あんたたち……本気でそんなバカバカしいデータ分析やってんの?」
「えっ!? ……だめ……かな……?」
「ダメに決まってるでしょ? ……はぁ〜。まぁ、二人とも大真面目にやってるんだろうけどさ。普通の人間──っていうか魔族の女の子からしたら、そんな秒数測ったようなマニュアル土下座、小馬鹿にされてると思うわよ?」
「そ……そうなのか!?」
俺は衝撃の事実に目を丸くする。
ルカ君は慌ててノートPCを開き、高速でキーボードを叩き始めた。
「ちょ、ちょっと今のアンナさんの心理情報を入力して再計算してみます! カタカタカタ……」
数秒後、ルカ君の手がピタリと止まった。
「……マモル店長。──アンナさんの言う通り、事実みたいです……」
ルカ君は画面を見つめたまま、まるで世界大会で敗北したかのように悔しそうに唇を強く噛み締めた。何のデータを出したんだ。
俺は予想だにしない恋愛心理の返答に一瞬足がよろめいたが、壁に手をついて何とか踏ん張った。
「アンナちゃん……頼む、教えてくれないか……! 一体、俺はなんて言ってリゼッタに謝ればいいんだ!?」
俺はすがるような真剣な眼差しで、大人の女性であるアンナちゃんを見つめた。
「……ふっ」
次の瞬間、アンナちゃんは堪えきれずにブハッと吹き出した。
「あはははは! ほんとに馬鹿な二人ね〜!!」
彼女は目尻に涙を浮かべ、お腹を抱えて大爆笑し始めた。俺とルカ君は顔を見合わせて、ただ情けなく苦笑いするしかない。
「いいわ! そこまで言うなら教えてあげる」
ようやく笑い止んだアンナちゃんは、いつになく真剣な目で俺の目をまっすぐに見つめて、こう言った。
「自分にも相手にも嘘をつかず、言い訳もせず、ただ誠実に謝るの」
「それ……だけ?」
「それだけ。……だけど、それこそが今のマモル店長が、人生で一番苦手なことでしょ?」
グサッ!!!
本日二度目となるアンナちゃんの超高威力のナイフが、俺の胸のド真ん中に容赦なく突き刺さる。
「まぁ、明日リゼッタちゃんが来るまでに、自分の頭でしっかり考えときなさいよ。じゃあ、私は売り場に行ってくるから」
そう言い残すと、アンナちゃんはパタパタとバックヤードを出て行った。
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それからというもの、接客中も、バックヤードでの葉中作業の合間も、アンナちゃんのあの言葉がずーっと耳から離れなかった。
──自分にも相手にも嘘をつかず……言い訳もせず、か。
元引きこもりニートだったひがみ根性全開の俺の人生。振り返ってみれば、いままで言い訳をしなかったことなど、ただの一度だって無い気がする。
他人はもちろん、自分自身に対しても、「だって俺はニートだから」「どうせ誰も期待してないから」と、常に言い訳の防壁を作って傷つかないように生きてきた。
自分では……そんなつもりもなかったんだけどな──。
そこまで考えて、俺はハッとして激しく首を振った。ほら見ろ、今まさに「そんなつもりはなかった」と言い訳をしようとしていたじゃないか。
俺の周りから、かつて現実世界で次々と人が離れていった本当の理由が……今なら、少しだけわかる気がした。
考えても、考えても、リゼッタへの正しい正解の言葉が見つからないまま、一号店の夜はさらに深く更けていった。
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「はぁっっ!?」
冷たいデスクの感触に、俺は飛び起きるようにして目を覚ました。口元についたよだれを慌てて制服の袖で拭いながら、ストコンの時計のデジタル表示に目をやる。
時刻は、午前11時46分。
──レオン君が出勤してくる、約束の時間だ!
「や……ヤバい……!! 何の答えも出ないまま、朝まで爆睡してしまった……!」
俺は心臓を激しく波打たせながら、慌ててバックヤードの洗面台に備え付けられている鏡の前に立ち、ボサボサの髪と身だしなみを必死に整える。
その時だった。防音性の高いバックヤードの扉の向こう、売り場の方からアンナちゃんの少し弾んだ高い声が微かに聞こえてきた。
『リゼッタちゃん! 久しぶり! 元気だった?』
ドクン、ドクン、ドクン──。
俺の心臓が、破裂しそうなほどの大音響で高鳴りを始める。ついに、来たんだ。
俺は鏡を見つめ、そこに映る情けない元ニートの自分の顔に向けて──両手で思い切り、パァアン!!! と強烈なビンタを叩き込んだ。頬が火を吹くように熱くなる。気合は入った。
「よし……! 行くぞ……!」
俺は小さく息を吐き出すと、運命のバックヤードの扉を力強く押し開け、待っている彼女たちのいる店へと一歩を踏み出した──。




