第87話:シスコンの宣告と、命がけの土下座フォーム
翌日。俺はリゼッタの弟であるレオン君と一緒にシフトに入っていた。
リゼッタがお店にバイトに来なくなってからというもの、彼はすこぶる機嫌が良い。姉を独占できているのがよほど嬉しいのだろう。
時計を見ると、午後三時を少し過ぎた頃だった。ピークタイムが終わり、店内の客足もまばらになっていく。
レオン君がレジカウンターのこちら側を振り返り、王子様のようなさわやかな笑みを俺に投げかけてきた。
「マモル店長、店も少し落ち着いてきましたし、そろそろ休憩に入ってください」
「ああ……ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ」
俺はエプロンを軽く整えながら、ふと、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にするか迷った。だが、意を決して恐る恐る言葉を絞り出す。
「あのさ……レオン君。……リゼッタは、その……元気にしてるかな?」
パキィイイイン……!
途端にレオン君のさわやかな笑顔が文字通り瞬間凍結し、店内の空気が急激に、氷点下にまで下がったような錯覚を覚えた。
「おい……ゴミムシよぉ……。なんだってお前に、僕が姉さんの近況を伝えてやらなきゃならねぇんだよ……あぁん?」
レオン君はドスの効いた極道のような声を喉の奥から響かせ、俺の顔を下からジロリと睨みつけてくる。
「い……いや、あの……その……っ」
あまりの威圧感に声が詰まる。レオン君はカウンターの床を踏み締め、ジリジリと俺との距離を縮めてくる。その漆黒の瞳は、今にも俺を物理的に抹殺しそうな純度の高い殺意に満ち満ちていた。
俺は情けなく後ずさりし、背中が商品棚にぶつかる。心臓がバクバクと悲鳴をあげる。
──だが、その瞬間。俺の脳裏に、昨日のバックヤードでのアンナちゃんのあの言葉が、鮮烈にフラッシュバックした。
『一番大切な人が、一番助けてほしい瞬間に、その人を男らしく守ってあげられないの』
そうだ。ここでまた言い訳をして逃げたら、俺は一生、本当の卑怯者のままだ。
俺は恐怖でガタガタと震えそうになる両足をなんとか床に踏みつけ、喉が裂けんばかりの声を張り上げて叫んだ。
「リゼッタに……会いたいんだ!! 会って、ちゃんと謝りたいんだ!!!」
店内に俺の必死の絶叫がこだまする。
レオン君は、まさかあのヘタレなゴミムシ店長が自分に対して声を大にして反抗してくるとは思わなかったのか、驚いたようにその美しい目を少し細めた。
そして、フッと鼻で冷たく笑う。
「ゴミムシのくせに生意気ですね」
いつもの冷徹なビジネススマイルに戻ったレオン君は、髪を軽くかき上げながら続けた。
「……まぁ、あれ以来、姉さんがすっかり落ち込んで部屋に閉じこもったまま、食事もろくに食べてくれなくてね。僕もパパも少し困ってましてね。──仕方がありませんから、貴方に謝る機会を作ってあげましょうかね」
「えっ!?」
俺は予想外の寛大な反応に、口を開けたまま呆然と固まった。
「明日の僕の出勤に合わせて、姉さんを連れてきます。ゴミムシらしく、土下座でもなんでもしてください」
「あ……ありがとう……っ! よろしく頼むよ……!」
俺は地獄で蜘蛛の糸を見つけたような心地で、レオン君に向かって深く、深く頭を下げた。
なんだ……レオンのやつ、裏の性格はアレだけど、やっぱり姉想いの思ったよりいい奴だったんだな……。
──そんな甘い安堵を抱いたのも、本当に一瞬のつかの間だった。
ガシッ!!!
「ぶふっっ!?」
突如として、俺の頭髪をレジカウンター越しにレオン君の容赦ない腕が鷲掴みにし、無理やり上方へと引きずり上げた。首の骨が折れるかと思った。
レオン君はそのまま、俺の顔面を【距離0.1センチ】という、お互いの睫毛が触れ合うほどの至近距離まで力ずくで近づけ、心臓が凍りつくほど冷酷な声で言い放った。
「もし……姉さんがお前を許さなかったら……グチャグチャに丸めて、ぺらっぺらに引き伸ばして、細切れに切り刻んで、トイレに流してやるからな」
「………………はい…………」
俺は白目を剥きながら、蚊の鳴くような声で完全服従の返事をした。
「……チッ。今日は仕事をする気が完全になくなりました。帰ります」
そう言うと、レオン君はまだシフトの時間が残っているにもかかわらず、制服を雑にレジに投げ捨ててさっさと自動ドアから帰っていった。
静まり返り、一人取り残された一号店の店内で。
俺は明日訪れるであろうリゼッタとの決戦に向けて、床に膝をつき、命をかけた「最も美しく誠意が伝わる土下座のフォーム」の念入りなセルフチェックを開始するのだった──。




