第86話:店長の駆け引きと、蜘蛛の涙
──数日後。ローソン一号店のバックヤード。
ストコンのモニターの向こう側で、ローソン本部の桜塚マネージャーは、その冷徹な美貌の眉根を思い切り寄せ、本日何度目になるかも分からない深い、深い溜め息を吐き出した。
「はぁ〜……。認めざるを得ませんね。今回は私の負けです。最新型ドローンの手配を、私から本部に強く掛け合ってみます」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
「勘違いしないでくださいね? しかたありません。あなたの一号店の売上が、これ以上落ち続けてもらっては本部の損失になって困るだけですから」
画面の向こうから、桜塚マネージャーが氷のような冷たい眼光でギロリと俺を睨みつけてくる。
「本当にすみません……! ドローンが届き次第、すぐに死に物狂いで売上を挽回します!」
俺はモニターに向かって平謝りしながらも、内心では小さくガッツポーズを崩さなかった。
あの千砂との奇跡のリモート接続の一件以来、俺はサカモトが隠し持っているに違いない現実世界への「物理的認証デバイス(USBキー)」を手に入れるため、桜塚マネージャーに新型ドローンの再配備を何度も直談判していた。セ〇ンの強固な防衛網を突破するには、あのドローンの空中戦力がどうしても不可欠だからだ。
とはいえ、お堅い本部が一回撃墜されたドローンの再支給をそう簡単に許可するはずがない。
そこで俺は桜塚マネージャーにプレッシャーをかけるため、あえてお弁当や惣菜の発注数を極端に減らし、夕方のラッシュ時に棚をわざとスカスカにするという「禁じ手の交渉材料」を使ったのだ。
お店の売上を意図的に落として本部を焦らせるという、かつての引きこもりニートからは想像もつかない狡猾な社畜戦術。我ながら、この世界のコンビニ経営で汚い大人に成長してしまった気がする。
──同日の夕方。
俺はバックヤードで、ルカ君と今後のサカモト強奪作戦の会議を行っていた。そこへ再び、桜塚マネージャーからの定期リモート通信がつながる。画面の前の彼女の表情は、どこか諦めを含んだビジネスの顔に戻っていた。
「間宮店長、お疲れ様です」
「お疲れ様です!」
「例のドローンの再配備の件ですが、上層部をなんとか説得し、二週間後にそちらに入庫することが正式に決まりましたのでご報告します」
「あ……ありがとうございます!!」
「ただし……これで来月の店の売上が元の水準に戻らなければ……自分がどうなるか、当然分かっていますね?」
桜塚マネージャーに鋭く睨まれ、俺は条件反射で背筋をピンと伸ばした。
「もちろんです! 全力でやらせていただきます!」
プツン、と桜塚マネージャーとのリモート画面が切れた瞬間。
俺はすぐさま、横にいたルカ君と手を合わせてパチン! と勢いよくハイタッチを交わした。
「よっしゃーーーっっ!! ルカ君、やったぞ! これで現実世界に、日本に戻るために、また一歩大きく前進だ!」
「よかったですね、マモル店長。ドローンが届くまでのこの二週間、僕は僕で、共有網のゲートウェイの仕組みについてもう少し深くハッキングして調べておきます」
「ああ、よろしく頼むよ。本当にいつも助かる」
「いえ。じゃあ、実家からさらに専門的なハッキング用の電子機材をいくつか取ってきたいので、今日は一旦帰りますね」
そう言って、ルカ君は愛用のノートパソコンを小脇に抱えてバックヤードを出て行った。
静まり返った部屋で、俺は自分の手のひらをじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……俺……本当に、帰れるのか」
千砂のあの涙を浮かべた顔が頭をよぎる。真っ暗だった自分の未来に、突然降って湧いた希望の欠片。俺の胸は、高鳴る鼓動を抑えきれなくなっていた。
「……店長……帰るの……?」
「うわっ!?」
突然天井の薄暗い隙間から降ってきた小さな声に、俺は心臓が跳ね上がるほどドキリとして見上げた。
「あ……アラクネ……! いつからそこにいたんだ……?」
「うん。ずっといた」
蜘蛛の巣の陰から、アラクネがいつもの悪戯っぽい笑みを完全に消し去った、今にも泣き出しそうな表情でするすると糸を伝って降りてきた。
そのまま俺のデスクの上にちょこんと着地すると、小さな潤んだ瞳で俺の顔をじっと見つめてくる。
「ねえ……店長……アラクネたちの前から、いなくなっちゃうの?」
「えっ……いや……その、それは……」
言葉に詰まる俺の姿を見て、アラクネの瞳から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。
「いやだ! アラクネ……店長がいなくなるのいやだ!!」
そう言うなり、アラクネは小さな身体で俺の胸元へと全力でしがみついてきた。その細い手足が、俺の制服をギュッと強い力で掴んでいるのが伝わってくる。
この世界に来て、いつも天井から俺をからかい、エッチなサイトを見ていないか監視し、お菓子をねだってケラケラ笑っていた、大切な居候。
現実世界で誰にも必要とされず部屋に引きこもっていた俺が、今、この小さな女の子(蜘蛛だけど)に、これほどまでに激しく必要とされている。
俺は胸が締め付けられるような愛おしさを覚えながら、しがみついて震えるアラクネの小さな肩をそっと抱き、その涙で濡れた瞳を真っ正面からしっかりと見つめて言った。
「大丈夫だよ。俺はいなくなったりしないから」
「ほんと……?」
「うん。本当」
その言葉を聞いた瞬間、アラクネの顔がぱぁっと明るくなり、ニコッといつもの無邪気な笑顔に変わった。
「やったー! 店長はずっとアラクネと一緒! お腹空いたからご飯取ってくる!」
さっきまでの涙が嘘みたいに、アラクネは嬉しそうに弾んでバックヤードを出て行った。
「アラクネ……お腹が空いたからって、売り場の廃棄前の商品を勝手に食べたらだめなんだよ……」
俺はいつもの調子でそう呟いてから、誰もいなくなったバックヤードの天井を見上げ、深く、重いため息をついた。
──アラクネに、嘘をついてしまった。
俺は……あんなに必死に千砂の元へ、あの現実世界へと帰ろうとしているのに……。




