第85話:境界線の邂逅と、元ニートの覚醒
「私……寝ちゃってたんだわ」
白石千砂は身体をビクッと大きく震わせて、デスクから飛び起きた。
慌てて周りを見渡す。深夜のオフィスはすでに完全に静まり返っており、誰もいないフロアの暗闇の中で、彼女がつけっぱなしにしていたパソコンの液晶画面だけが青白い光を放っていた。
千砂は眠気でかすむ目をこすると、マウスを動かしてパソコンの電源を落とそうとした。
──その、まさに次の瞬間だった。
画面の端で、突如として身に覚えのないリモート会議画面が勝手に立ち上がったのだ。
「あれ……?」
こんな時間にリモートなんて、一体誰が……?
だが、立ち上がった画面は正常には映らず、まるで古いテレビの砂嵐のように「ザーザー」と激しいノイズの線が流れているだけだった。
スピーカーからは、通信障害による途切れ途切れの音声が不気味に響いてくる。
『……カ……なの……か……?』
『はい……た……ぶん……です……』
(……なんだろう。別の誰かのリモートに、システムのエラーで間違って繋がっちゃったのかな。まさかね……)
そんなことを思いながら、千砂が気味悪がってリモート画面の「退出」ボタンを押して閉じようとした、その時だった。
『マモル店長……! これで……いけると……思います……!』
「──ッッ!?」
マモル……。
スピーカーから漏れ出たその聞き覚えのある名前に、千砂の手が完全に止まった。
パッ!
突然、それまで画面を覆い尽くしていた激しい砂嵐が綺麗に晴れ、モニターに鮮明な映像が映し出された。
レンズの向こう側に映っていたのは、千砂がこの5年間、現実世界のどこを探しても見つけることができなかった──あの、大切な人の姿だった。
「……マモ……ル……?」
画面の向こう側の男──ローソンの制服を着たマモルもまた、こちら側のカメラを見て、信じられないものを見たという風に驚愕の表情を浮かべて固まっていた。
そして、震える消え入りそうな声で、ぽつりとこう呟いたのだ。
「……千砂……なのか?」
その瞬間。
世界の理によってパズルのようにバラバラにされ、脳の奥底へ失われかけていたマモルとの大切な記憶が、激しい電撃のように一気に、鮮明に千砂の脳裏へと蘇ってきた。
二人で過ごした学校での何気ない出来事。一緒に行って大笑いしたカラオケ。そして、初めて二人きりで行った、あの忘れられない夏祭りの夜の匂い──。
「マモル!!! マモルなの!!!? あんた!!! 今まで一体どこに居たのよ!!!」
千砂は椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がり、モニターに向かって狂ったように叫んだ。
『千砂……! 本当に千砂だよな……。なんか……俺の知ってる頃より、ちょっと……大人っぽくなってないか?』
涙が一気に溢れ出し、千砂の視界が激しく曇る。5年間の執念が、今、確かに報われた。
「マモル……! もう、……ご──」
ブツン!!!
非情な電子音と共に、突如として画面が真っ暗に切れた。次の瞬間、再び元の冷たいザーザーという砂嵐だけが画面を虚しく流れ始める。
「マモル!!! マモル!!!! マモル!!!!!!!!!!」
どれだけ叫んでも、画面からの応答は二度とない。
深夜の静まり返ったオフィスに、千砂の悲痛な絶叫だけがいつまでも、いつまでもこだましていた。
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一方、ローソン一号店のバックヤード。
「………………」
俺は、たった今目の前のストコンのモニターで起こった奇跡の出来事がどうしても信じられず、魂が抜けたように呆然と立ち尽くしていた。
あまりの俺の変貌ぶりに、ルカが心配そうに横から顔を覗き込んでくる。
「マモル店長……。今の画面のひと……一体、誰ですか?」
「……俺の、元いた世界の……一番の、友達だ」
千砂の、あの大人びた姿が脳裏から離れない。あいつはまだ、俺を探してくれていたんだ。
激しい感情が胸の奥から爆発するように湧き上がり、俺は思わずルカの両肩をがっしりと掴んで激しく揺さぶった。
「ルカ君!! 頼む!! もう一度、もう一度だけさっきの画面に繋げることはできないのかっ!?」
ルカはこれまでに見たことがないほど、激しく悔しそうな顔をしながら力なく首を横に振った。
「すみません、店長……。僕のハッキングによる強制侵入を検知されて、あっち側の世界から何か『物理的なシャットダウン』が行われたようです」
「物理的な……シャットダウン?」
「はい。単なる通信の遮断じゃなくて、メイン回線の根元を物理的にロックされた形跡があります。……あの境界線を開いて通信を安定させるには、システム本部の暗号を解除するための『物理的な認証デバイス』が、必要なんだと思います」
「認証デバイス……か」
俺は掴んでいたルカの肩からゆっくりと手を離し、自分の血が滲むほどに拳を強く握り締めた。
「……セ〇ンのサカモトさんなら、そのデバイスについて何か知ってるかもしれませんね。あの人、テレポートの技術を独占してますし」
ルカのその言葉に、俺の答えは最初から決まっていた。
「そうだな……」
フッ、と俺は自分のデスクを見つめ、どこか自虐混じりの、だけど底抜けて力強い笑みを浮かべた。
「サカモト……。やっぱりお前をぶっ倒さなくちゃ、俺は先には進めないみたいだな」
まるで王道の格言格闘漫画の主人公が放つような、最高にキザな決め台詞をバックヤードの壁に響かせながら──俺は、自分のヘタレな保身の殻を完全に破り捨て、宿敵サカモトの首を獲るための次なる一手を、冷徹に脳内で組み立て始めていた。




