第83話:二つの世界を結ぶ、共有網(バックボーン)のバグ
夜のオフィスに戻り、自分のデスクに座ると白石千砂は深いため息をついた。
誰もいない静まり返ったフロアで、彼女は力なくデスクに突っ伏す。
──私の記憶の中にしかいない、あの少年の笑顔。
周囲の誰もが「そんな奴はもともといなかった」と口を揃えて言うけれど、どうしても自分の勘違いとは思えないほどに、今でも鮮明に焼き付いている記憶。
だけど、現実世界のどこを探しても、彼の足跡は一つも見つからない。
千砂は重い身体を起こし、パソコンの電源を入れた。
ブー、と静かな起動音が鳴り響く。
「……今日のあの男(栗原)の取材内容、忘れないうちにデータにまとめておかなくちゃ」
彼女は夜の闇の中で、孤独な戦いを続けるためにキーボードへ指を置いた。
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一方、異世界の一号店。バックヤードのストコンの前で、ルカとマモルは顔を突き合わせていた。
「マモル店長に頼まれてから、僕なりに色々と本部のデータベースをハッキングして調べてみました。……でも、ロー〇ソンのシステム本部のネットワークそのものをいくら掘り返しても、店長の言っていたような『別の世界』に関する有力な情報は、何一つ残ってなかったですね」
「そうか……」
俺はがっくりと肩を落とし、パイプ椅子の上で力なく項垂れた。やはり、本部の表のデータには何も無いか。
「……期待させて、すみません」と、ルカが申し訳なさそうにペコリと頭を下げる。
「いやいや! たしかに残念だけど、完全にルカ君のせいじゃないよ。ここまで極秘で調べてくれただけでも本当に凄いことだしさ。ありがとね」
俺はそう言って、ルカに余計な気を使わせないよう、無理に引きつった笑顔を作ってみせた。
「ただ……」
ルカはノートパソコンの画面を見つめたまま、眼鏡の奥の目をギラリと鋭く光らせた。
「ひとつだけ……どうしても気になる奇妙なデータがあって」
そう言って、ルカの細い指がキーボードを素早くパチパチと操作する。画面には、複雑な青い数式や、網の目のように張り巡らされた二つの回路図が浮かび上がった。
「ロー〇ソンとセ〇ンの自社ネットワーク。これは当然、企業の最高機密ですから、本来はそれぞれ完全に隔離された別々の暗号網として存在しているんですが……実は、ある『特定の場所』でだけ、この二つの巨大なネットワークが同じ一本のパイプを完全に『共有』している部分があるんです」
「共有? ローソンとセブンが、同じネット回線を一緒に使ってるってことか?」
「正確に言うと、お互いのデータをスムーズに交換するために、国境沿いに共同で設置している巨大な中継サーバー……業界用語で『共有IX(インターネット相互接続点)』って呼ばれるハブ拠点ですね。大企業が通信コストを削減するためにインフラをケチった結果、そこだけ一つの公道(共有網)になっちゃってるんです」
「なるほど、ビジネス上の都合ってやつか。……でも、それがどうして気になるんだ?」
ルカは画面の一点を強く指差した。そこには、赤く点滅するエラーコードのような文字が表示されている。
「僕、その共有サーバーの通信ログ(足跡)を裏から覗いてみたんです。そしたら……以前、サカモトが店長のミサイルを緊急回避したっていうあの謎の『セ〇ンテレポート』の瞬間も、本部が配送を停止したあの『ホロ・アテンダント・システム』の復旧信号も、すべてこの共有サーバーの『同じ通信ポート(穴)』を通過していました」
「なっ……なんだって……!?」
俺の背中に、冷たい戦慄が走る。
サカモトの超技術と、我が社のホロ・アテンダント──その二つが、その「共有網の穴」で完全に交差している。
「それだけじゃないんです、店長。ここからが本当の異常事態で……」
ルカは生唾をゴクリと飲み込み、声をさらに潜めた。
「その共有サーバーの穴から外へ向かって、凄まじい量の暗号データが今もリアルタイムで流出し続けている形跡を見つけました。そのデータの転送先のアドレスの規格が……この異世界のどんな国の魔法システムとも、どの企業の通信規格とも、絶対に一致しないんです。まるで──僕たちの知らない、『全く別の文明の世界』のネットワークに直接プラグを差し込んで、データを横流ししているような……」
「別の、世界……。まさか、それって……!!」
俺の脳裏に、あの懐かしい日本の風景、そして高校時代の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
「はい。……おそらく、その共有ネットワークのバグの境界線の先にあるのは──マモル店長が元いた、あの『現実世界』です」
「……っ!!」
ルカの口から告げられたその言葉の重みに、俺は頭を激しく殴られたような衝撃を覚え、その場で見事に足がよろめいた。
「わっ、店長! 大丈夫ですか!?」と、ルカが慌てて俺の身体を横から必死に支えてくれる。
元の世界に──日本に、帰れる……?
この異世界に飛ばされてからというもの、俺はどこかで「もう二度と元の世界には戻れないんだ」と諦めていた。いや、正確には……自分の無力さに絶望したくなくて、あえて考えないように、心の奥底にその感情をずっと蓋して閉じ込めていただけだった。
それが、まさかこんなロー〇ソンとセ〇ンの共有ネットワークのバグという、あまりにも身近なインフラの隙間に、現実世界への扉が繋がっているなんて。
ドクン、ドクン、と──。
俺の胸の奥で、自分でも驚くほどに激しく、熱い心臓の鼓動が高鳴り始めるのを確かに感じていた。
俺はルカに支えられたまま、震える声をなんとか絞り出して相棒の目を見つめた。
「ルカ君……。本当に悪いんだけど、もう一歩踏み込んで、さらに詳しく調べてみてくれないか……? できれば、その共有網の境界線の奥底に、俺たちの側から直接アクセスする具体的な方法を……」
「……うん。わかった、やってみる。店長の元の世界へ繋がるかもしれないんだもんね。僕、ハッカーとしてのプライドを賭けて全力で潜ってみるよ」
ルカは力強く頷くと、再びノートパソコンのキーボードへと指を走らせ始めた。
俺はバックヤードの椅子に座り直し、ストコンの青白い光に照らされながら、思考を限界まで加速させていく。
──サカモトのやつ、どうしてあそこまで執念深く、俺たちの『ホロ・アテンダント・システム』の修理キットの配送を邪魔しにきたんだ?
最初はただの営業妨害かと思っていた。だけど、あのシステムが『現実世界と繋がるための扉』そのものなのだとしたら、話は全く変わってくる。
サカモトの狙いは、ローソン側に現実世界へアクセスさせないこと……。あるいは、あのゲートウェイの通信利権を、セ〇ン側だけで完全に独占しようと目論んでいるからなんじゃないか?
考えれば考えるほど、様々な可能性が頭を巡る。だが、答えは一つだ。
「とにかく……今は『ホロ・アテンダント・システム』の修理が最優先だな。本部の遠隔修理がダメでも、その共有サーバーの穴を経由して、直接ルカ君に本部のシステムを調べてもらえば、もっと詳しいことが分かるかもしれないし……」
「そうだね、店長。システムを無理やり中から叩き起こせば、本部のキットが届かなくても、ホロ・アテンダントを一時的にでも再起動できる可能性はあるよ」
ルカの頼もしい言葉に、俺は拳を強く握り締めた。
待ってろよ、サカモト。お前たちの思い通りには絶対にさせない。
リゼッタの件でヘタレて消沈していた俺の心に、今、かつてないほどに熱い闘志の炎が静かに燃え上がっていた──。




