第69話:姉の前の天使、俺の前のサイコパス
さすがはリゼッタの弟と言うべきか、レオンは恐ろしいほどに優秀だった。
初日のレジ操作から商品の品出し、さらには異世界のロー〇ソンでも取り扱っている複雑な公共料金の支払い代行手続きに至るまで、多岐にわたるコンビニ業務をあっという間にすべて覚えてしまったのだ。
「マモル店長、この処理なんですけど……。ここはこうすればよかったんですよね?」
「ああ。そうそう、完璧。そのやり方で大丈夫だよ」
初日のバックヤードで起こったあの首絞め事件が、まるで俺のただの壮大な勘違いだったかのように、それからの日々は穏やかで平和な日常が続いていた。
そしてこの日は、リゼッタとレオン、俺の三人で日中のシフトに入っていた。
売り場が落ち着いたタイミングで、カウンターの中でリゼッタが俺にひっそりと話しかけてくる。
「ねえマモル、レオンはちゃんと使えそう?」
「ああ、使えそうどころか思った以上に優秀だよ。これならすぐにでも、一人で売り場のシフトを任せられそうだ。さすがはリゼッタの弟だな」
「本当に? 昔から私の後ろばっかりついて歩いてる、ちょっと頼りない弟だと思ってたんだけど……」
「そうなのか? こっちで見てる限りは全然そんな感じはしないよ。頼もしい限りだ」
「それならよかった……。レオンが一人でシフトに入れるようになったら……マモルも、少しは自分の時間ができるようになるよね?」
「あ……ああ……。そうだな」
リゼッタが少し俯きながらそんなことを言うものだから、途端に店内に甘酸っぱい空気がゆるりと流れ始める。
「それに……そろそろ、あの『ホロ・アテンダント・システム』も修理が終わりそうなんでしょ?」
「ああ。バンダル2号店の初日の売上がもの凄く良かったからさ。システム管理本部が優先的に予算を回して、修理を進めてくれるらしいんだ。来週あたりには、また無事に起動するんじゃないかな」
「だったら……ねぇ……。あのシステムが直ったら、また……二人でどこかへ遊びに行かない?」
そう言って、リゼッタが白い頬をポッと林檎のように赤らめた。
俺も一気に心臓の鼓動が速くなり、顔がカッと熱くなるのを感じながら、どうにか声を絞り出す。
「そうだな……。あ、あのシステムが直ったら……そう、しよう……!」
──その、まさに次の瞬間だった。
体温の急上昇していた俺の身体を、一瞬でマイナス数十度の極寒の世界へと叩き落とすかのような、凄まじく冷たい視線を背後から至近距離で感じた。
俺は恐怖で首の骨を鳴らしながら、恐る恐る隣を振り返る。
「ひっ……!!?」
俺の口から情けない悲鳴が飛び出た。
そこには、さっきまで笑顔で隣に並んでいたはずのレオンが、一切のハイライトが消え失せた感情のない冷徹な瞳で、すぐ横から俺をじっと睨みつけていた。
「マモル店長。発注業務について少しお聞きしたいことがあるので──今から、バックヤードへ行きませんか?」
声のトーンが完全に死んでいる。
怯える俺の頭の後ろから、状況を何も知らないリゼッタがのんきに顔を出した。
「あらレオン、自分から発注のお勉強だなんて真面目にやってるじゃない。マモルを困らせないように、しっかり教わるのよ?」
次の瞬間、レオンの顔にパッと満面の爽やかな笑顔が咲いた。
「当たり前だよ、姉さん! 大好きな姉さんに恥をかかせるわけにはいかないからね。それに……マモル店長とは、なんだかもの凄く『気が合いそう』だしね……。ねぇ、店長?」
レオンが笑顔のまま、ギチギチと音が鳴りそうな首の角度で俺の顔を覗き込ん込んでくる。
「あ……あはは……はい……。そう、ですね……」
「じゃあ姉さん、売り場のほうは頼んだよ。──さあ、マモル店長。行きましょうか」
そう言って、レオンは俺の手をにこやかに引いた。
はたから見れば、いかにも仲の良い先輩と後輩の、微笑ましく爽やかな日常の一コマにしか見えないだろう。
俺はすがるような目で、遠ざかっていくリゼッタの背中を見つめた。
(……リゼッタ……。俺、もう二度と生きてお前と売り場に戻れないかもしれないよ……っ!!)
俺はレオンの冷たい手に引かれるまま、死刑台へと向かう囚人のような心境でバックヤードへと連行された。
バックヤードに入ると、レオンは大人しくストコンの前に座り、俺の指示を聞きながら真面目に発注業務のやり方を覚えていった。
……あれ? 意外と普通だぞ。本当に何事もないのか……?
そう思った、その時だった。
カタカタとキーボードを叩いていたレオンの手が不意に止まり、椅子ごとゆっくりとこちらを振り返った。
「僕と姉さんはね、昔からずっと、何をする時も二人きりで一緒に過ごしてきたんですよ」
「あ……ああ、そう……だろうねぇ……」
「何をするにも、どこへ行くにも、姉さんはいつも僕の隣にいてくれた」
「……うん」
「だから……僕にとって、リゼッタ姉さんは世界で何よりも、誰よりも大切な存在なんです」
言葉が進むにつれて、バックヤードの室内の空気が、レオンの身体から立ち上るドス黒い殺気によって見る見るうちに凍り付いていく。
「だからさぁ……。その大切な姉さんに気安く近づく汚ぇクソ虫はぁあああああああ!!!!!! ──今すぐここで、ぶっ殺す!!!!!」
「ガハッ……!?」
レオンの目が血走った魔物のそれに変貌し、怒号とともに猛烈な力で俺の首へと両手がかけられた。
力任せに締め上げられ、視界がチカチカと火花を散らし始めた──。
バタン!!!
激しい音を立てて、バックヤードのトビラが勢いよく開いた。
「ちょっとマモル、さっき言ってたお弁当の──」
そのトビラが開いたコンマ零一秒の刹那。
レオンは俺の首からすっと両手を離すと、何食わぬ顔で俺の肩をポンポンと優しく叩き始めた。
「あ、マモル店長。肩に少し埃が溜まってますよ。ちゃんと掃除しないと駄目ですよ?」
そう言って、氷のように涼しい完璧な笑顔を俺に向けてみせる。
トビラの前までやってきたリゼッタが、俺たちの様子を見て嬉しそうに目を細めた。
「あら、二人ともなんだか随分と仲良くやってるみたいね。よかったわ」
「あ……あは、は……。ああ……」
俺は痛む喉を押さえながら、ゴクリと引きつった唾を飲み込んだ。
やばい……。やばすぎるぞこいつ。完全に頭のネジが何本もぶっ飛んでるガチのサイコ野郎だ。まるで、あのレオナルトを見ているかのような恐怖だ……!
「レオン、ちょっと売り場のほう手伝ってくれる?」
「うん、今行くよ姉さん」
リゼッタに呼ばれたレオンが、彼女の後に続いてバックヤードを出ていく。
その際、俺の横を通り過ぎる瞬間に、レオンはリゼッタに聞こえないくらいの小さな音で、
「チッ……!」
と、これ以上ないほど不機嫌に特大の舌打ちを俺の耳元に残していった。
静まり返ったバックヤードで一人、二人を見送りながら、俺は自分の寿命が凄まじいスピードでゴリゴリと縮んでゆくのを、ただただ恐怖と共に実感するのだった。




