第54話:店長、命を削る絶叫とハエの装い
デート当日。俺は前日にわざわざ(ホログラフの体を使って)デパートへ行き、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入したジャケットとスラックスに身を包み、レジの横でリゼッタの到着を待っていた。ファッション雑誌の『大人の男コーデ特集』に載っていたマネキンの組み合わせを、そのまま丸ごと買い占めた渾身の勝負服だ。
「店長、かっこいい〜!」
いつもと違う俺の姿を見たアラクネにそう褒められて、俺はフンと鼻を鳴らしながら「うんうん」と満足げに頷いた。当然だ、今日の俺はいつもとは意気込みのレベルが違う。
ピロリロリーン……と軽快な入店音が店内に鳴り響き、リゼッタがお茶目な夏物のかわいい白いワンピース姿でお店に入ってきた。
彼女はレジの横に立つ俺の姿を見るなり、一瞬だけ目を見張ったが、すぐに嬉そうに顔を上気させて微笑んだ。
「……ふーん、いいじゃん。似合ってる」
「あ、ありがと……。リゼッタも、めちゃくちゃ可愛いよ」
そうお互いに褒め合った瞬間、二人して同時にボッと顔を真っ赤にする。
「店長もリゼッタも、二人そろって真っ赤なリンゴみたい〜」
そんな俺たちの初々しすぎる様子を見て、レジの横でアラクネがケラケラと楽しそうに笑った。
「じゃあ……そろそろ、行こうか」
「うん」
「アラクネ、今日一日はお店をしっかり頼むぞ」
「はーい、いってらっしゃーい!」
俺たちはアラクネに見送られながら、一歩、外の世界へと踏み出した。
目的地である『デスニーランド』へ行くには、ここから魔界の路線バスを二本ほど乗り換えていかなければならない。
時間にしてだいたい片道1時間ほどの道のり。だが、今の俺たちにとっては、その移動時間すらも短く感じられるほどに特別な時間だった。
魔獣たちでギューギューに詰め込まれた満員のバスの中で、リゼッタと至近距離に密着しながら、周囲に聞こえないように小声でひそひそと会話を交わすのも、我ながら決して悪くないシチュエーションだった。
やがてバスは、おどろおどろしい茨の装飾が施されたデスニーランドの巨大な正門をくぐり、入場ゲートのすぐ目の前へと停車した。
バスを降りると、そこにはすでに信じられないほど長い入場待ちの列ができていた。
「すごい人だな……。ここって、そんなに魔界で人気の遊園地なのか?」
俺が素直な疑問を口にすると、リゼッタがすでに手に入れていた園内マップを嬉しそうに広げながら答えた。
「なんか、最近できたばかりの最新スポットみたいよ。マモルがストコンの画面を食い入るように見てたから、私もそれで初めて知ったんだから」
「そうなのか……」
列は思いのほかスムーズに進み、すぐに俺たちの番がやってきた。
「はい、チケットを拝見します」
ゲートの受付に丁寧な声で言われ、俺は事前にストコンで購入しておいた二人分のチケットを、緊張しながら係員に手渡した。
顔を深く隠した係員は、手慣れた手つきでチケットにパチンとスタンプを押すと、それを再び俺の手に戻してくれた。
「どうぞ、中へお進みください」
「あ、ありがとうございます」
俺たちがそれを受け取ってゲートを一歩またいだ瞬間、後ろからその係員が、どこか聞き覚えのある軽い調子で声をかけてきた。
「──命がけで、最高に楽しんでいってや〜」
(……ん? 今、なんか不穏な言葉と、おかしな訛りが混ざってなかったか……?)
一瞬だけ違和感を覚えたが、隣を歩くリゼッタが「マモル、早く!」と嬉しそうに俺の手を引っ張ったため、俺は考えるのをやめた。二人は広げたマップを真剣に見つめながら、まずは最初どのアトラクションに乗るべきかを話し合う。
「まずは、やっぱりあのジェットコースターに乗りましょ! 観覧車は……うん、やっぱり最後のお楽しみに残しておくのがいいかしら……」
リゼッタが本当にワクワクした様子でマップを覗き込み、目を輝かせながら俺に話しかけてくる。
俺はその夢中になっている彼女の横顔を隣から盗み見ながら、(やっぱり、めちゃくちゃ可愛いな……)と心の中で完全にノックアウトされていた。
『乗れば命を削る、絶叫ジェットコースター』。
一体どんな地獄の乗り物んだと身構えていたが、目の前に近づいてくる実物のレールを見上げてみても、一見すると普通の遊園地にあるコースターと特に変わったところはないように見えた。
「ねえ、早く行きましょうよ!」
リゼッタは俺の手をきゅっと握ると、待ちきれないとばかりにグイグイと引っ張る。
「ちょっと待ってくれよ〜」
そんな幸せな文句を言いながら、俺はリゼッタに合わせるように小走りでジェットコースターの待機列へと並んだ。
近くからそのコースターの構造を観察してみても、やっぱり特に変わったところはない。
このアトラクションは入場口と退場口が全く別の方向を向いているため、先に乗って降りてくる他の魔族たちの顔や様子を窺い知ることはできなかった。しかし、見たところレールから血が噴き出しているわけでもないし、どこかの部位が欠損して帰ってきている様子もない。みんな無事に生還しているようだ。
やがて俺たちの番が回ってきた。
案内された俺たちは、幸か不幸か、一番スリルのある最前列の座席へと案内された。シートに深く腰掛けると、上からがっしりとした安全バーが降りてきて、ガチッと強固にロックされる。
ビーーーーーーーッ!!!
園内にけたたましい警告音が鳴り響き、ジェットコースターが静かに、滑らかに走り出した。
コースターはまず、ファーストドロップに向けてゆっくりと急斜面の坂道を上がっていく。
ガタガタガタガタ……ガタガタガタガタ……。
規則的な金属音を聞きながら、これから訪れるであろう超高速の急降下を想像して、俺の下半身はすでにキュッと恐怖で縮こまっていた。
しかし、隣のリゼッタを見ると、彼女は怖がるどころか心底楽しそうに周囲の景色を見下ろしている。
(……こいつ、本当に怖いものとか存在しないのか……?)
やがて、果てしなく続くかと思われた上り坂の終わりが、ついに視界の先に見えてきた。
魔界の紫色の空が視界いっぱいに広がり──正式に、一瞬で消え去った。
急降下の始まりだ。
一気にトップスピードに乗った滑車は、暴れる猛獣のように右へ左へと激しく車体を滑らせながら、複雑に入り組んだレールの上を縦横無尽に猛スピードで走り回り始める。
「うわぁああああああああああああああああああっっっっっ!!!!!」
人生で経験したことのない重力にさらされ、全力で絶叫する俺のすぐ隣で、リゼッタは「キャハハハハ!」とまるで少女のようにケラケラと笑い声を上げていた。
ジェットコースターは猛烈な勢いで大きく一回転したのち、大きく外周へと迂回する。前方のレールの配置をたどっていくと、どうやらゴールである乗降口がすぐ近くまで迫っていることを察した。
(……なんだ、おどかしやがって。やっぱりただの、ちょっと激しいだけの普通のジェットコースターじゃないか……)
恐怖が去り、ホッと胸をなでおろした次の瞬間。
俺は、自分の進行方向にある『あり得ない光景』を目にして、我が目を激しく疑った。
そこには──絶対に、物理的になくてはならないはずのものが存在していなかった。
レールが、途中でぷっつりと途切れて消えているのだ。
「おい、リゼッタ!!! あれを見ろ!! あれ!!!」
俺はあまりの異常事態に、喉が張り裂けんばかりの声で叫びながら、レールの先を必死に指さした。
「え〜? なに〜? 風が強くて聞こえないわよ〜!」
リゼッタは暴風の中で髪をなびかせながら、楽しそうにワアワアと歓声を上げている。
(この、脳天気バカ女……っっ!!!)
このままでは死ぬ。俺は半狂乱になりながらリゼッタの顔を両手で挟み込み、その視線を無理やり正面の絶望へと固定させた。
「ちょっと、いきなりなによ〜!」
頬を膨らませて不満げにしていたリゼッタが、俺の指し示す方向をようやく正面から捉えた。
「あ──っはははは! 本当だ、レールがないわ!!!! ははははっはっはは!!!」
……本気か、この女。レールが消失しているのを見て、なんでそんなに嬉しそうに爆笑できるんだよ。
そんな俺たちのやり取りの間にも、ブレーキを失ったジェットコースターは、文字通り一網打尽の猛スピードでレールの終端へと突き進んでいく。
「もう……だめだ……っっっ!!!」
俺は全ての思考を放棄し、ぎゅっと強く目を閉じた。
直後、ガクンと車体が浮き上がり、滑車が完全に重力から解放されて宙に浮かんだことを、身体に伝わる振動が明確に告げていた。
(ホログラフとはいえ、五感に完全同期しているこの恐怖システム……! この高さから真っ逆さまに地面へ叩きつけられる痛みに、バックヤードのカプセルにいる俺の本物の身体は、一体どこまで耐えられるっていうんだよ……っ!!)
永遠のようにも思える、重力を失った絶望の時間がゆっくりと過ぎてしていく。
ガシャアアアアアアン!!!!
鼓膜を突き破るようなけたたましい金属音とともに、車体が再び強引にレールへと着地する激しい衝撃が全身を襲った。
俺は驚いて勢いよく目を開け、大慌てで後方の景色を振り返った。
なんと、コースターは宙を大きく大ジャンプし、何十メートルも離れた場所に設置されていた『後半のレール』へと、物理の法則を無視して見事に着地していたのだ。
なるほど……そういうことか。確かにこれは、『命が削られる思い』がする。心臓がいくつあっても足りやしない。
命からがら乗降口へとコースターが戻り、プシューという音とともに安全バーのロックが跳ね上がった。
俺は生まれたての子鹿のようにフラフラになった両足を必死に動かし、座席から這い出るようにして地面に降り立った。
「マモル! 凄かったね! はい、次行くよ、次!」
リゼッタは全くの無傷、それどころかエネルギーに満ちあふれた様子で俺の腕をぎゅっと掴み、次のアトラクションへとぐいぐい引っ張っていく。
「ああ……分かった……」
こりゃ……想像を遥かに超える、とんでもなく大変な一日になりそうだ。




