第47話:店長、大人の研修期間と魔王軍の大人買い
翌朝。俺は朝からどうにもそわそわする気持ちを必死に抑えながら、レジカウンターに立っていた。
チラリと壁の時計を見る。午前8時45分。そろそろ、彼女が出勤してくる時間だ。
そんなことを考えていたまさにその時、自動ドアが開き、ピロリロリーンと軽快な入店音が鳴ってアンナちゃんが店に入ってきた。
「店長さん、おはようございまーす」
気だるいような、どこか甘ったるい極上の声。そして、衣服の限界に挑むような朝一番のきわどいボディコン姿。不景気な朝の売り場には、明らかに刺激が強すぎる……。だが……控えめに言って、最高に良い。
(いかんいかんいかん!!! お前はプロ店長だろ!!)
俺は激しく首を左右に振り、脳内に湧き出た不純な煩悩を必死に振り払おうとした。
「あれぇ? 店長〜、朝からそんなに激しく首を振ってどうしたの? 体操??」
アンナちゃんにすぐ至近距離からのぞき込まれ、俺はハッと動きを止めた。どうやら煩悩の量が多すぎる、客観的に見たら尋常じゃない首の振り方をしていたようだ。まだ半分しか払いのけられていないのに……。
それにしても、距離が近すぎる。吐息がそのままかかりそうな距離感で会話を仕掛けてくるアンナちゃんを前に、俺の心臓は朝の爽やかな時間帯には全く似つかわしくないほどの猛スピードで鼓動を打っていた。
「じ、じゃあ……まずはバックヤードで制服に着替えてもらえるかな?」
俺は動揺を隠すようにアンナちゃんをバックヤードへと案内し、支給する青と白の制服の場所や, 個人のロッカーの場所を教えた。
「お、俺は売り場で待ってるから。着替え終わったら出てきてね」
「はーい、わっかりました〜」
アンナちゃんはキュートに敬礼のポーズを取り答える。
……か、可愛すぎるぜ、畜生。
俺はデレそうになる顔を引き締め、バックヤードの扉を閉めて、彼女が出てくるのを売り場で待った。
──しかし、しばらくすると、薄い扉の向こうから俺を呼ぶ困ったような声が聞こえてきた。
「店長さん、ちょっと手伝ってほしーなー」
「ど、どうした!?」
事件かと思って急いでバックヤードの扉を開けた俺は、その場でフリーズした。
そこには、ボディコンのワンピースを上半分だけ脱ぎかけ、白い背中を大胆にこちらに向けて立ち尽くしているアンナちゃんの姿があった。
「背中のファスナーが噛んじゃって下りないの。下ろしてくださる?」
「は……はいっ、了解です!」
俺は緊張で指先をガタガタと震わせながら、彼女のワンピースのファスナーに手をかけた。慎重に下ろしていくと、隙間から大人の下着がチラリと見えてしまい、俺は慌てて視線を真上へと逸らした。
(落ち着け、上を見ろ、天井を見るんだ──)
そうして見上げたバックヤードの天井の隅で、俺は見てしまった。
アラクネがいつの間に張り付いたのか、蜘蛛の糸で天井の換気ダクトの隙間から、ニタニタと邪悪極まりない笑みを浮かべてこちらの光景をじっと見下ろしているのを。
ノーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!
あいつ、またリゼッタに余計な告げ口(店長がエロいことしてた)をするんじゃないだろうな!!!
「あ、アラクネ! これは違うんだ!! 決してやましいことじゃない、純粋な業務サポートだ!! それよりお前も早く仕事の準備しろよ!!」
……ていうかお前、いつもならバックヤードのベッドで爆睡してる時間だろ!! なんでこんな時だけ無駄に早起きして特等席で観戦してやがるんだ!!!
「フフッ、ありがとう店長さん。じゃあ着替えるね」
「あ、うん! 売り場で待ってる!」
俺はアンナちゃんに背を向け、大慌てで売り場へと逃げ帰った。
数分後、店内に現れたアンナちゃんは、ロー〇ソンの制服を完璧に着こなしていた。あのボディコンの妖艶さから一転、清楚にまとまったコンビニ店員姿の彼女は、それはそれで破壊的な可愛さを誇っていた。
(……やっぱり。面接で一晩中悩んだけど、採用して本当に良かった……っ!)
「じゃあ、まずは一日の全体の業務の流れから教えるね」
俺はマニュアルを開き、コンビニ業務の基本の流れを教え、それから各作業の手順を一つずつ丁寧に教えていった。
意外なことに、彼女は俺の拙い説明を非常に真面目な態度で聞き、手元のメモ帳に細かくペンを走らせていた。その真剣な姿だけを見れば、夜の女王などではなく、ごく普通の女子大生のアルバイトに見えるほどだった。
研修は驚くほどスムーズに進み、あっという間にシフト交代の12時を迎えた。アンナちゃんは起きてきたアラクネと笑顔でレジを交代し、そのまま軽快に帰っていった。
物覚えもいいし、これならすぐに即戦力として計算できそうだ。
◇
13時になり、リゼッタが出勤してきた。ここからはいつも通りの三人体制での業務だ。
半年間、毎日繰り返してきた変わらない光景。
夕方のピークを前に、少し遅い昼食(廃棄弁当)をバックヤードの机で三人で突っついているとき、リゼッタがふと、隣で唐揚げを頬張るアラクネに声をかけた。
「そういえばあんた、そろそろ誕生日よね?」
その言葉を聞いて、俺は箸を止めた。
そうか……考えてみればこいつらにも誕生日があるんだな……と、なんだか不思議な気持ちになった。
「アラクネ、何か誕生日プレゼントで欲しいものはあるのか?」
俺が尋ねると、アラクネはもぐもぐと口を動かしながら、「う〜ん……あれ」と、バックヤードの奥に置いてあるストコンの画面を指さした。
そのモニターに映し出されていたのは、今月のアプロード商品──日本の有名メーカーとコラボした、超限定物の大きなクマのぬいぐるみだった。
「あ、あれかぁ……。あれはなぁ……」
俺の顔が瞬時に引きつる。
「あれ、今回の目玉である『一番くじ』のA賞(大当たり景品)だからなぁ……。1ロットが60枚で、うちの店の割り当てが10ロットだから総数は600枚だろ? くじは一枚800円だから……総額、48万円!!!!!」
確率的に、自腹で当てるには最大で48万円が必要になる計算だ。引きこもり店長のポケットマネーで払える金額ではない。
俺の算盤勘定の顔を見て察したのか、アラクネは気を遣うようにペコッと頭を下げて笑った。
「ううん、なんでもいいよ! 店長、気にしないで!」
「……ごめんな、アラクネ……」
甲斐性のない店長で本当に申し訳ない。そんな俺たちのやり取りを、リゼッタは何も言わず、ただジッと黙って見つめていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌朝。
出勤してきたアンナちゃんに、レジの細かいタッチパネル操作を教えていた俺は、お店に近づいてくる『異様な集団』を目撃して驚愕した。
ズズズ……ズズズ……。
それはまさに、日本の怪談にある「百鬼夜行」を彷彿とさせる、禍々しい魔獣たちの軍勢だった。凶悪なオーラを放つそいつらの行進は、明らかに直進でうちのロー〇ソンを目指してきていた。
(お、おいおい、半年ぶりにサカモトの襲撃か!? あるいはレオナルトの軍勢か!?)
俺が恐怖で完全に硬直していると、先頭の魔獣が自動ドアをくぐって店内に入ってきた。
そいつは巨体を揺らして一直線にレジまで来ると、ゴトッと、禍々しく輝く一級品の『魔石(通貨)』をカウンターに転がし、地響きのような声で言った。
「・・・・一番くじ・・・・」
見れば、そいつは口が耳元まで裂け、鋭い牙が何本もむき出しになっている魔獣だった。
「怖い……! 控えめに言って、めちゃくちゃ怖い……!!」
俺がガチガチに震えて固まっていると、隣にいた新人のアンナちゃんは平然とした顔で「はーい、一番くじですね〜」とレジを叩き、その魔獣にくじを引かせた。魔獣はくじ券を大事そうに握りしめると、そのまま大人しく帰っていく。
その後も、自動ドアの外には次の魔獣が、その次にはまた別の魔獣が、お行儀よく一列に並んで順番を待っていた。
魔獣たちのくじ引きラッシュはその後も延々と続き、なんと、午前中の段階でうちの店の割り当て分だった大量のくじが、すべて綺麗に売り切れてしまったのだ。
「いったい……なんだったんだ、あの集団は……」
嵐の去ったレジの前で、俺は完全に燃え尽きていた。
午後になり、いつも通りの時間帯にリゼッタが出勤してきた。アラクネが品出しのためにバックヤードへと向かったのを見計らい、リゼッタが俺の前に歩み寄ると、スッと一枚の紙切れを差し出してきた。
「はい、これ」
「……ん? これ──って、お前、これ!!! 一番くじのA賞(大当たり券)じゃないか!!!」
「しーっ!! 声が大きいわよ、バカ!」
リゼッタは慌てて口の前で人差し指を立てて俺を制止すると、誰もいないのを確認して、ふんっと鼻を鳴らした。
「……アラクネに、あのぬいぐるみをあげたくてね。今日の朝、城にいたお父様の配下の魔獣たちを全員動員して、お店に買いに行かせたのよ。サカモトの時と違って、ちゃんとお客さんが正規の値段で買ったんだから、本部の人間だって何も文句は言わないでしょ?」
「お……おお……。お前……、あいつのためにそこまで……。優しいんだな、リゼッタ」
俺が心からの感心を込めてそう言うと、リゼッタは一瞬で耳まで真っ赤に染め上げ、プイッと不機嫌そうにそっぽを向いた。
「そ、そんなんじゃないわよ! 勘違いしないでよね!」
リゼッタは照れ隠しにツンツンとした口調を崩さないまま、早足でレジの奥へと向かいながら言った。
「アラクネの誕生日は明後日だから。私の勤務時間が終わったら、バックヤードでパーティーをしましょう。あんたは店長なんだから、ケーキとジュースくらいは責任持って用意しなさいよ!」
「おお……! おう、任せとけ!!」
俺は嬉しくなって、ドンと自分の胸を力強く叩いた。
女の子と、それも二人に囲まれて誕生日会をするなんて、引きこもりニートだった俺のこれまでの人生で一度だって無かったイベントだ。
……待てよ、誕生日会って、俺は何を着ていけばいいんだ?
そんな平和で、少しだけ贅沢な悩みを頭の中で巡らせながら、魔界の夜は静かに更けていくのだった。




