第44話:店長、契約のペンと命がけの証拠隠滅
結局、俺はプロ店長としてのプライドと、一人の男としての未練の間で明確な結論を出せないまま──運命の、約束の三日目を迎えてしまった。
ウィーン、ピロリオリーン♪
静まり返った店内に、軽快な入店音が鳴り響く。入ってきたのは、やはりサカモトとモカだった。
「マモルはん、元気にしてまっか〜?」
サカモトはいつも通りへらへらと、だけどすべてを見透かしたような笑みを浮かべて軽く手を挙げた。それに合わせるように、肩に座ったモカもこれ以上ないほど偉そうにちいさな手を挙げてみせる。
俺はモカの生意気な態度に無性にイラッとしながらも、必死に平静を装ってレジカウンターの奥でサカモトを迎え入れた。
「……ちゃんと、考えてくれはりましたか?」
サカモトの静かな問いかけに、俺は言葉に詰まって黙り込む。
すると、サカモトはやれやれと大げさに肩をすくめ、両手を腰のあたりで広げて見せた。その目が、一瞬だけ鋭く細められる。
「マモルはん……わしら大人の商売、ガキの使いちゃいまんねんで? もう三日も経ってますんや。ええ大人がいつまでウジウジ悩んでるんです」
サカモトの口調が、はっきりとキツいトーンに変わる。値踏みするような視線が俺を突き刺した。
「わか……ってるよ……っ」
俺は唇を血がにじむほど強く噛み締めながら、喉の奥から掠れた声を絞り出した。
その瞬間、サカモトの表情がパッとビジネスマンらしい明るい笑顔に切り替わった。
「そやそや! マモルはんは話のわかる大人の男や。覚悟を決めてくれはったんやな! なら、さっさと契約交わしましょか!」
サカモトは待ってましたとばかりに、懐から取り出した業務提携の『契約書』をレジカウンターの上に堂々と広げた。
俺がその文面に目を通そうとすると、サカモトはそれを遮るように手を振る。
「あ、読まんでも大丈夫、大丈夫! 変なことは何一つ書いとりまへん。こことここに、ちゃっちゃとサインしてーな」
差し出されたボールペンを、俺は震える手で握りしめた。
頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。ロー〇ソンが世界に誇る最強のキラーコンテンツ『からあげクン』の技術を、ライバルであるサカモトに差し出す──本当にこれでいいのか? コンビニ覇権を諦めるのか?
……だけど。それでも、もう一度、リゼッタに会いたい。あの冷たい目で「お疲れ様です」と言い残して去っていった、あの後ろ姿が最後になるなんて──そんなの、悲しすぎるじゃないか。
俺は覚悟を決め、書きかけの名前の最初の一文字にペンを走らせ──。
ガチッ。
……やっぱり、そこから先へペンが動かなかった。ロー〇ソンへの愛着が、俺の指先をロックしていた。
「はぁ〜〜〜……」
サカモトが、わざとらしいほど大げさに深いため息を吐いた。
「マモルはん、あんたホンマにはっきりせん男やな〜。わしも暇やないさかい、書かんのやったらこのままドローン持って帰りまっせ?」
サカモトが契約書を引っこ抜き、帰るそぶりを見せる。
どうすればいい。どうすれば正解なんだ。異世界ナンバーワン of コンビニチェーンを目指すプロ店長としての野望と、リゼッタへの不器用な想いが、俺の胸の中で激しく火花を散らして交差する。
その時、レジの横から俺の服の裾をぎゅっと掴む手があった。
「店長……。アラクネも、リゼッタに会いたい……」
涙目で俺を見上げてくるアラクネ。その純粋な瞳を見た瞬間、俺の胸の迷いは完全に消え去った。
「……そうだ。俺も、リゼッタに会いたい」
俺はカウンターの上のペンを握り直し、サカモトを真っ直ぐに睨みつけた。
「からあげクンのレシピが無くたって……商品力と俺のプロ根性で、お前らセ〇ンになんか絶対に負けない……っ!!」
「ニヤァ……」と、サカモトが下劣なキツネの笑みを深くした。
よし、契約だ。俺が名前の続きを本気で書き込もうと、力強くペンを動かした──まさにその瞬間だった。
ウィーン, ピロリオリーン♪
静寂を破って、あまりにも場違いな軽快な入店音が店内に鳴り響いた。
「お疲れ様でーす」
聞き慣れた、だけどもう二度と聞けないはずだった凛とした少女の声。
長い黒髪を揺らした少女は、驚愕で化石のようになった俺たちの前をスタスタと平然と横切り、いつもののコンビニの扉を開けてバックヤードへと消えていった。
「え……?」
レジの前の一同が、完全に時を止められて固まること数秒。
バックヤードの扉が再び開き、青と白のロー〇ソンの制服へと完璧に着替え終えたリゼッタが、いつものように髪を結いながら出てきたのだ。
「マモル、ごめんねー! ちょっと長い間お休みしちゃってさ」
「「「えっっっ!!!???」」」
俺、サカモト、 Richmondの声が見事にハモった。アラクネだけが「リゼッタァー!」と大喜びで飛びついている。
「リ、リゼッタ……お前、お店を辞めたんじゃなかったのか!?」
「辞める? 何言ってんのよ、急に。ちょっとお父様に言われて、数日間お隣の国まで小旅行(表敬訪問)に行ってただけよ。誰がそんなデタラメ言ったのよ?」
「だ、だって、お前の城の総括執事から電話があったんだよ! 『お嬢様は西の皇太子と結婚するからもうバイトには行けません』って!」
それを聞いた瞬間、リゼッタの美形が見る見るうちに般若のように歪んでいった。
「あのジジィ〜〜〜〜っ!!! また勝手に私のお見合い話を既成事実化しようとして……ッ! 帰ったら絶対あのヒゲ全部むしり取ってやるわ……!」
怒りに震えるリゼッタだったが、ふぅと呼吸を整えると、俺の方を見て少しぶっきらぼうに言った。
「……とにかく。私はお店を辞める気なんて一ミリもないけど──働かせてもらえるわよね?」
「う、うんっ! もちろんさっ!!」
俺は嬉しさのあまり、角刈りの頭を壊れるんじゃないかってくらい激しくコクコクと縦に振った。心の底から笑顔が溢れ出す。
と、その時。リゼッタはレジカウンターの上に広げられた怪しい書類を見つけ、それをひょいと手に取った。
「……何これ?」
「いや……それはだな、説明すると非常に長くなるんだけど──」
ビリビリビリビリッッッ!!!
俺の言い訳が終わるより早く、リゼッタは一切の躊躇なく契約書を真っ二つ、いや、紙吹雪のように細切れに破り捨てた。
「なっ……な、何しまんねんお嬢ちゃんっ!?」
サカモトが今日一番の焦り顔でリゼッタに詰め寄る。だがリゼッタは、サカモトを極寒の氷線で睨みつけた。
「だって、これ『からあげクン』をセ〇ンに渡すって書いてあるんだもん。そんなことしたら、マモルが困るに決まってるでしょ。絶対にダメ」
リゼッタは破り捨てた紙クズを床へ放り投げると、そのままサカモトの足元に置いてある風呂敷包みをジッと見据えた。中から覗く金属のパーツに気づいたリゼッタが、眉をひそめてそれを片手で掴み上げる。
「ちょっと。これ、うちの店の『ドローン』じゃない。なんであんたが勝手に風呂敷に包んで持ってんのよ?」
リゼッタは確信に満ちた鋭い視線を、じりじりと後退するサカモトへと突き刺した。
「もしかして……あんた、うちの備品を盗んで隠し持ってたわけ?」
サカモトは観念したようにボリボリと頭を掻くと、いつもの飄々としたキツネ笑いに戻った。
「いや〜……なんや、実につまらん、お堅いオチになりましたな〜」
サカモトはくるりと鮮やかに身体を反転させると、モカを肩に乗せて自動ドアへと歩き出した。
ウィーンとドアが開き、サカモトの身体が店の外へと出る。だが、そこで奴はニヤリと振り返り、胸のポケットからクシャクシャになった一通の紙切れを取り出した。
「忘れるところやったわ、マモルはん。──あんたの書いた『熱烈なラブレター』、これも持ち主に返しまっせ?」
そう言って、サカモトは手紙をフッとひらひら宙に投げ捨て、今度こそ夜の闇へと去っていった。
(……あ、最悪の爆弾が残された──っ!!!)
手紙は、放物線を描いてリゼッタの目の前の床へと綺麗に落ちた。
リゼッタは何気なくそれを拾い上げ、広げて文字を目で追い──そのまま、朗々と読み上げ始めたのだ。
「……えーっと? 『リゼッタ、今まで恥かしくて言えなかったけど、俺は本当はお前のことが──』」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああッッッッッッッッッ!!!!!!!!(断末魔)」
俺はプロニートの限界を超えた神速の跳躍でレジカウンターを文字通り飛び越え、リゼッタの手からその紙切れをひったくるように奪い取った。
そして──そのままの勢いで、手紙を丸ごと口の中へと押し込み、噛み砕くことなく喉の奥へとダイレクトに押し込んだ!!!
「ごふっ……げほっ……っ!!!」
当たり前だが、便箋の紙が喉にガチッとつっかえ、完全に気道が塞がれる。
みるみるうちに俺の顔面はトマトのように真っ赤──いや、酸素不足でドス黒い紫色へと変色していき、俺はレジ前の床の上へと激しくのたうち回りながら倒れ込んだ。
(ごくんっ……!!!)
涙目になりながら、喉が裂けるような感覚と共に、どうにか手紙の証拠物件が食道を通過したのを確認し──。
俺はそのまま、安堵と酸欠によって、静かに意識を失い暗闇へと落ちていったのだった。




