第40話:店長、最悪のモーニングコールと二通の手紙
翌朝。まだ夜の冷気が売り場に残る早い時間、静まり返った店内に突如として鋭い音が響き渡った。
チリリリリリリリリンッ!!!
ストコンの横に設置された、滅多に鳴ることのない固定電話が激しく鳴動している。
俺は嫌な予感を胸に抱きながら、受話器を耳に当てた。
「はい! ロー〇ソン異世界1号店です」
『……あぁ、失礼。そちらの最高責任者である、マモル店長とお呼びすれば良いのかな?』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、酷く厳格で、どこか浮世離れした初老の男の、冷徹な声だった。
「えっ!? あっ……はい。僕が……店長ですが」
『リゼッタお嬢様の件で連絡した。……結論から申し上げよう。お嬢様がそちらの店舗へ赴くことは、昨日限りで二度と無い。本日以降、雇用契約を即座に破棄していただきたい』
「な……っ!? どういうことですか!? 本人の口から何も聞いてませんし、急にそんな──」
『お嬢様は、西の国の皇太子であるレオナルト様とのご婚姻が、正式に決定された。これより魔王城は国を挙げた婚儀の準備に入る。ゆえに、市井の、それも得体の知れない商店での泥臭い労働など、これ以上続けさせるわけにはいかないのだ』
耳を疑うような言葉が、冷酷なトーンで淡々と告げられていく。
『……お嬢様がこれまで大変お世話になった。少ないながらも、これまでの給与の補填として、後ほど城の兵士に相応の金貨を届けさせよう。──それでは、御免』
「あ、待ってくれ! リゼッタは──」
ツーーー……ツーーー……。
非情な電子音が、俺の言葉を遮って虚しく響く。
ガチャン、と力なく受話器を置いた俺は、そのままレジカウンターの前で呆然と立ち尽くした。
◇
「……店長? どうしたの?」
昼過ぎ。バックヤードの個室からようやく起きてきたアラクネに、心配そうに下から声をかけられて、俺はハッと正気を取り戻した。
窓から差し込む陽光の位置が、いつの間にか大きく変わっている。電話を切ってから実に三時間もの間、俺は微動だにせず、ただレジの前で幽霊のように立ち尽くしていたようだった。
「店長……なんかあったの? お顔、すっごく怖いよ……」
いつもならケラケラと笑っているアラクネが、怯えたようにその目を細めて俺の服の裾を引く。
俺は、自分の喉がカラカラに乾ききっているのを感じながら、消え入りそうな掠れた声でようやく答えた。
「……リゼッタ……お店、辞めるってよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひとまずアラクネにレジを代わってもらい、俺はバックヤードのいつもの薄い扉を閉めて、お馴染みのパイプ椅子にどかっと深く腰を下ろした。
そのまま、何も映っていない白い天井を、ただぼんやりと見上げる。
「ふぅーーーーーっ……」
胸の奥に溜まったドス黒い塊を吐き出すように、長い長い、深いため息が溢れ出た。
電話の相手は、リゼッタが暮らす魔王城の、総括執事と名乗る男だった。
執事の話をまとめると、リゼッタはあの西の国のサイコ皇太子──レオナルトとの結婚が、魔王の命によって正式に決まってしまったらしい。だから、もう二度とこんな最果てのコンビニにバイトなんかには来られない、ということだった。
「結婚、か……」
俺は先ほどよりも、さらに大きく重いため息をつく。
結婚。本来ならめでたいことのはずだ。昨日まで一緒に働いていたバイト仲間が、一国の皇太子と結婚を決めたのだ。店長という立場であるならば、笑顔で「おめでとう、幸せになれよ」と祝福の言葉を贈ってやるのが、あるべき大人の姿なんだろう。
だけど──。
なんなんだよ、この、胸を掻き毟られるような狂おしい感情は。
痛い。胸の奥が、信じられないくらいにズキズキと激しく痛む。
生まれてから二十数年、実質この異世界に来てからの一ヶ月間で、初めて味わう本物の『心の痛み』に、俺の貧弱な精神は完全にキャパシティをオーバーして戸惑っていた。
それに……最後があんな最悪の別れ方だなんて、あんまりじゃないか。
パフェをアンナちゃんに取られて、デレデレしていた俺に、あの感情の消えた声で「お疲れ様です」と言い残して去っていった、あの後ろ姿が最後になるなんて──そんなの、悲しすぎるじゃないか。
「うおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
耐えきれなくなった俺は、バックヤードの天井に向かって、腹の底から、枯れるほどの声を上げて絶叫した。ニートの、情けない、だけど本気の悲鳴が狭い室内に木霊する。
カタッ……。
「店長……」
静かにバックヤードの扉が開いた。覗き込んできたアラクネの目には、今にも溢れ出しそうなほどの大粒の涙が、いっぱいに溜まっていた。
アラクネは俺と目が合った瞬間、我慢できなくなったようにトトトッと駆け寄ってくると、俺の胸の中に勢いよく飛び込み、その小さな肩を激しく震わせながらワンワンと声を上げて泣き始めた。
「え~ん……リゼッタ、辞めちゃうのぉ? アラクネ、リゼッタともう会えなくなるの嫌だぁぁぁっ!!」
泣きじゃくるアラクネの肩を、俺は優しく抱きしめながら、必死になだめた。
「アラクネ……俺だって嫌だ。というかさ……あんな、最悪の誤解(エロ店長だと思われたまま)の状態で終わるなんて、絶対に嫌だっ!!」
俺の言葉を聞いて、アラクネが涙で濡れた目を潤ませながら、じっと俺の顔を見上げてきた。
「……どうするの?」
「手紙を届ける」
「……てがみ?」
「そうだ。俺たちの本当の気持ちを書いた手紙を、レベル10になったこの店の最新鋭ドローンに持たせて、リゼッタの手元へと直接届けるんだ」
俺の提案に、アラクネはパッと目を輝かせると、涙をゴシゴシと拭って力強く頷いた。
「アラクネも……リゼッタにお手紙書くっ!」
「よし! 作戦開始だ。──アラクネ、お前はリゼッタの城がある場所、だいたいの位置は分かるよな?」
「うん、わかる!」
「よし、じゃあまずは現地の地図を描いてくれ。それを頼りにドローンを飛ばす」
「わかった……アラクネ、地図描くっ!!」
そう言うと、アラクネは事務所の机に転がっていた紙とペンを引っ掴み、猛烈な勢いで地図を描き始めた。
俺はその間に、ストコンのモニターを立ち上げる。
「あいつの城の周辺は、きっとここ(ロー〇ソン周辺)よりも魔力が濃くて、環境も劣悪なはずだ。ドローンが途中で叩き落とされないように、考えられるトラブルをすべて想定して、しっかり準備を整えておかないとな……」
レベル10で強化された機体のスペックを確認し、最善のルートを脳内でシミュレーションする。
「店長っ!! 地図描けたぁっ!!」
しばらくすると、アラクネが描き終えた紙を両手で掲げながら、俺のもとへとタタタッと駆け寄ってきた。
「よし、よくやった! 見せてみろ」
俺はアラクネからその紙を受け取り、ストコンのバックライトに透かして、その中身を凝視した。
──そして、俺の顔からサァッと血の気が引いた。
「な……な、なんだ……これは……っ!?」
そこに描かれていたのは、地図とは名ばかりの、まるで幼稚園児がクレヨンで自由気ままに描き殴ったような、絶望的に頼りない謎の幾何学模様(お絵描き)だった。城らしき四角形から、謎のニョロニョロとした線が四方八方に伸びている。これで目的地にたどり着けという方が無理だ。
「……ま、まあ、方角さえ合っていれば、あとはドローンの高精度カメラで索敵すれば大丈夫なはずだ……っ!!」
俺は自分自身にそう言い聞かせるように大声で叫ぶと、これ以上の躊躇を振り払うように、ストコンの画面にあるドローンの起動スイッチを力いっぱい押し込んだのだった。




