第3話:ニート、未知との遭遇と究極の命乞い
少女の大きな口が俺の頭をすっぽりと包み込み、その鋭利な毒牙が、俺の額をチクリと軽く刺した──その瞬間。
ピタッ、と彼女の動きが止まった。
ゆっくりと俺の頭から口を離し、元の儚げな美少女の顔に戻った彼女は、じっと俺を見つめて呟いた。
「それ……ほんと?」
「ほんと! 本当です! ここには美味いものが山ほどあります! でも、俺がいなければ絶対に食べられません! 俺が死んだら、この建物自体が跡形もなく消えちゃうシステムなんで!」
俺は必死にうなずき、口から出まかせのハッタリを並べ立てて命乞いをする。
少女はしばらく首を傾げて、何かを真剣に考えていたが、やがてぽつりと言った。
「なら……それ、ちょうだい」
「あの……じゃあ、まずはこの糸を解いてもらえませんか……?」
俺が情けない声で頼むと、少女はあっさりと俺の身体に巻き付いた糸を解いてくれた。
拘束から解放された俺は、ガクガク震える足で立ち上がり、彼女をバックヤードから店内の売り場へと案内する。
弁当コーナーまでの短い道のり、頭の中で必死に逃げ出す方法を考えたが、すぐに無駄だと気づいて諦めた。
仮にこの店から脱走できたとしても、自動ドアの外はマグマの地獄だ。どっちにしても、俺が生き残る道は、この蜘蛛女にコンビニの食べ物を気に入ってもらう以外にない。
俺は歩きながら必死に思考を巡らせる。
一体……蜘蛛って何を食べるんだ? 高校の生物の教科書にそんなの載ってたっけか?
焦る俺の背後から、気怠そうな声が突き刺さる。
「ねえ……さっさと歩きなさいよ。食べちゃうわよ」
おっと、牛歩戦術は国会議事堂でしか通用しないらしい。
俺は覚悟を決めて、弁当コーナーの前に立った。
内容物の多いお弁当系はリスクが高すぎる。仮に一つ美味しいおかずが入っていても、別の総菜が口に合わなければ全て台無しだ。サンドイッチはどうだ? マヨネーズを蜘蛛は受け付けるのか?
いや……ここは限りなく天然素材に近い、自然の産物で勝負するべきだ。
コメ、そして……ウメだ!!!
俺は棚から『梅おにぎり』をひったくるように手に取ると、パリパリとフィルムを剥がして彼女に差し出した。
少女はおにぎりを受け取ると、まずはくんくんと匂いを嗅ぎ、それから小さな口で一気に頬張った。
もぐ、もぐ……。
次の瞬間、少女の顔が梅干しの酸っぱさで「キューっ」と中心に縮んだ。
やばいか!? 酸っぱすぎたか!? どうなんだ……!
ゴクン。少女の高鳴る喉が、おにぎりを胃袋へと流し込む。
さあ、どうにでもしてくれ……。
俺はもはや、受験の合格発表を待つ時のような悟りの境地で、静かに審判の時を待った。
やがて、少女の口から、俺が心の底から待ち望んだ答えが返ってくる。
「おいしい……」
気怠げだった彼女の目が、キラキラと輝きだす。
「おいしい!! これ、すっごくおいしい!!!」
「そ、そうだろう!? 美味しいんだよ! ここにあるものは全部美味しいんだ! だけど……さっきも言った通り、俺がいなくなったら全部なくなっちゃうんだからな?」
勝ちを確信した俺は、畳みかけるように恩を売る。
「わかった。じゃあ、あんたは食べないことにする」
「……っ!」
安堵のあまり、一筋の涙が俺の頬を伝い落ちた。生き延びた……!
「わたしはアラクネ。あんたは?」
「お……俺は間宮守。マモルって呼んでくれ」
「じゃあマモル。わたし、ここに住むことにするわ」
「えぇーーーーーーーーっ!?」
安心したのも束の間、とんでもない爆弾発言に心の声がそのまま飛び出してしまった。
いかん、機嫌を損ねたらまた牙が飛んでくる。俺は優しく諭すように言った。
「こ、ここはお店と言ってね、働く場所なんだよ。仕事をしない人は、ここにはいられない決まりなんだ」
だから、おにぎりに満足したらさっさと自分の巣に帰ってくれ……。
そんな俺の淡い願いを、彼女は一瞬で粉砕した。
「じゃあ、私もここで働く」
「いやいや! でもそんなに足がたくさん生えてたら、もし他のお客さんが来たらびっくりしちゃうから……」
アラクネは首をかしげて少し考えると、フンッ、と小さく鼻を鳴らした。
その瞬間、背後で蠢いていた禍々しい蜘蛛の多脚が、衣服の奥へとスルスル引っ込んでいく。
どこからどう見ても、ただの可憐な人間の女の子にしか見えない姿。
……退路が、完全に塞がれていく。
「し、仕事は厳しいぞ? お店の中で人を食べちゃ絶対にダメだし……店長である俺の言うことも、ちゃんと聞かなきゃいけないんだぞ?」
「うん。マモルが店長なの?」
「そ……そうだよ。俺が店長だ」
「じゃあ……マモルの言うこと聞く。だから、またあのおにぎり頂戴」
引きこもり籠城生活、わずか一日目。
一歩も外に出ないまま、まさかの人外美少女の居候ができてしまった。
……部屋に帰りたい。




