第35話:店長、漆黒のアディオスと三度目のデジャヴ
「いらっしゃいま…………せ」
俺は什器のケースに熱々のホットスナックを詰めながら、来店を告げる愛おしい入店音に向けて挨拶を投げかけた。だが──振り向いた先に立っていたのは、最もこの店に招かざる客、西のサイコ貴公子ことレオナルトだった。
レオナルトはいつも通りニコニコと爽やかな王子様の笑みを浮かべながらレジカウンターの前まで来ると、文字通り、俺の顔面のゼロ距離(コンマ一ミリ)までその美形を近づけてきた。
「てめぇ……リゼッタに何か、余計なことしやがったな?」
先ほどまでの笑顔が完全に消え失せ、底冷えするような暗黒の表情で凄んでくる。俺は恐怖のあまり、本能的にガタガタと後ろへ後ずさった。
「な……な、何を仰っているんですか……? 私は何一つ、何もしてませんよ……っ」
俺は消え入りそうな蚊の鳴くような声でそう答えるのが精一杯だった。
だが、レオナルトは俺が後ずさった分、レジカウンターにその長い半身を乗り出させ、やはりコンマ一ミリの距離まで威圧感を詰めてくる。
「じゃあ……なんであの子は、僕の完璧なデートの誘いを断り続けるんだ?」
「そ……それは……どうしてでしょうねぇ……?」
(お前のことがガチで嫌いだからに決まってんだろ!)という正論を、俺は溢れ出そうになる唾と一緒にごくりと胃の奥へ飲み込んだ。言ったらここでバラバラにされて拷問部屋の壁飾りにされる。
殺される──本気でそう覚悟したその瞬間、ウィーンと軽快な入店音が鳴り響き、長い黒髪をなびかせたリゼッタが出勤してきた。
気が付くと、次の瞬間にはレオナルトの姿は俺の前から消えており、すでにリゼッタの前で流麗に跪いていた。相変わらず動きのキレが怖すぎる。
「ご機嫌麗しゅう、我が愛しのリゼッタ姫」
「お疲れ様です」
リゼッタは俺にだけいつもの挨拶を返すと、跪いているレオナルトの真横を完全に空気か何かのように素通りして、そのままバックヤードへと向かって歩いていく。
一瞬にしてリゼッタに無視されたレオナルトが、凄まじい怒りに支配された形相で、再びレジ裏の俺をギロリと睨みつけてきた。
ヒッ……ヤバい、今度こそ八つ裂きにされる……っ!!
その瞬間、歩いていたリゼッタが、ふと足を止めて振り返った。
途端に、レオナルトの表情がパッと華やかな笑顔になり、再び深々と跪く。
「おお、リゼッタ……! ようやく僕の方を見てくれたんだね」
レオナルトがキザに手を差し出す。だが、リゼッタはその差し出された手を容赦なくバシッと払いのけると、鋭い視線をレオナルトに突き刺して言い放った。
「……マモルに何かしたら、お前、本当に殺すわよ」
リゼッタ……!! お前、口は悪いけど、やっぱり心の中では俺のことを……っ!!
これぞ、愛の防波堤!
それだけ告げると、リゼッタは今度こそ用は済んだとばかりにバックヤードへと歩き出していった。
その様子を見送りながら、極上の妄想でニタニタと締まりのない笑みを浮かべていた俺の目は──その場に立ち上がったレオナルトの目と、バッチリ正面から合ってしまった。
レオナルトは、今度はいつものニコニコとした爽やかな笑顔に戻り、俺の目の前まで歩いてくると、静かに右手を挙げた。
「アディオス……マモル君。……お元気で」
(=次にお前と会う時は、お前の命日だ)という明確な殺意の籠もった挨拶を残し、男は颯爽と去っていった。
自動ドアが閉まった瞬間、俺はその場にドサッと力なくへたり込んだのだった。
◇
その日は、一日中ずっと憂鬱だった。
冷静に考えて、非常にまずい状況だ。西の魔族の凶暴な皇太子に目の敵にされるコンビニ店長なんて、笑い話にもならない。命のスペアが足りない。どうにか穏便に、あのサイコパスの機嫌を損ねずに事を収めなければ……。
「ねえ? ──ちょっと、ねえ! 聞いてるの、マモル?」
「えっ? あ……悪い、ちょっと考え事をしていた」
「ふ~ん。どうせまた、私の制服姿でエッチなことでも考えてたんでしょう?」
そう言って、リゼッタがクスっと悪戯っぽく笑う。
……可愛い。
いつの間にか、最初の険悪さが嘘のように、普通に雑談をして、普通に隣で笑ってくれるようになったリゼッタ。そんな彼女の姿に、俺の心は日々、少しずつ、だけど確実に惹かれていっていた。
「あ、もうこんな時間。マモル、今日はもう上がるわね。最近、うちのオヤジが門限にうるさいのよ」
「ああ……」
バックヤードへと向かうリゼッタの後ろ姿に、俺は軽く手を上げる。
その瞬間、俺の胸の奥で、心臓が今までにないほどドクドクと激しく高鳴り始めた。
もしかして……というか、やっぱり、確実だ。俺は、リゼッタに恋をしてる──。
俺はそっと目を閉じ、覚悟を決めた。
引きこもりニート生活、丸三年。外界とのあらゆる接触を断ち続け、完全に心が死んでいた男が、人生で一世一代となる本気の決意を固めたのだ。
「よしっ……!!」
俺は気合の声を上げると、置いてあったモップを放り投げ、バックヤードへ向かって全力で走った。
「リゼッタ!!!!」
俺は勢いよく、バックヤードの重い鉄扉をバァンと力任せに押し開いた!
「俺……お前のことが、本当は──」
そこまで叫んだ瞬間、俺の脳内にある全ての生存本能(危険察知センサー)が、最大級のサイレンを鳴らして警告を告げた。
──あ。これ、デジャヴだ。
脳裏を過る、強烈な既視感。これは……数日前に全く同じ構図を……。
カメラのレンズのように、俺の視界に完璧に飛び込んできたのは、ちょうどロー〇ソンの制服を脱ぎ捨て、極めて美しい下着姿になったリゼッタの生身の肢体だった。
そうだ……これは、完全に……あの時のデジャヴ──。
バチィィィィィィィィンッッッッッ!!!!!!!
……悲しいかな、俺の記憶はそこから綺麗に途絶えている。
次に俺が、心配そうなアラクネの顔を見て目を覚ますことになるのは──翌日の、眩しい朝の光がバックヤードを照らし出してからの一幕だった。




