第123話:幽霊店員と、哀愁の制服
「な……なんだ……」
ぼやける視界の中、俺はゆっくりと目を覚ました。
見慣れた白い天井。背中に伝わるマットレスの感触。
ここは……店の休憩室だ。
「大丈夫ですか?」
突然、俺の視界の真上に、焦点の定まらない不気味な目がヌッと現れた。
「ノーーーーーーーー」
俺が再び現実から逃避し、三度目の気絶へ向かおうとしたその瞬間──。
ガツンッ!!!
「痛ァッ!?」
頭頂部に強烈な衝撃が走り、強制的に意識を引き戻された。
涙目でそちらを見ると、小さな拳をにぎにぎさせて満足げに佇むアラクネが立っていた。俺と目が合うなり、アラクネは「めんどくさい」と吐き捨てた。
(アラクネ……そりゃないぜ……。気絶は……この過酷な異世界にただ一人放り出された俺に許された、唯一の避難所なんだぞ……)
痛む頭を抱えながらふと隣を見ると、千石さんが静かに寝息を立てていた。
どうやら男二人、同じベッドに並んで寝かされていたらしい。まあ、この狭い店にベッドはこれ一つしかないのだから仕方がない。
もう一度アラクネを見る。それから俺はそっと目を閉じ──られなかった。
アラクネが俺の左右の瞼を指で無理やり引っ張り上げ、閉じられないように固定しているのだ。
「だから、めんどくさい。話し進まないから」
アラクネが心底ウザそうにジト目で言ってくる。
俺は観念して、ベッドの脇に立つ小場毛さんを見上げた。
小場毛さんは申し訳なさそうな(まったく表情からは読み取れないが)顔をして、薄くなった後頭部をポリポリと掻いた。
「すみませんねぇ……私のせいで。でも、この有名なコンビニで接客の何たるかを学ぶことができたら……成仏できるような気がするんですよ」
「そ……そうですか……」
俺は覚悟を決め、体を起こしてベッドから下りた。
隣の千石さんは傷の回復のためか、深く眠り続けている。
「じゃあ……小場毛さんのシフトの調整から始めましょうか」
そう言って、俺たちは静かに休憩室を出てバックヤードへと入った。
ちなみに、バックヤードで作業中だったルカ君は、青白い顔の小場毛さんを見るや否や当然のように悲鳴を上げて気絶したが──話が長くなるのでそこは割愛しよう。
……ガタガタと生まれたての子鹿のように震えながらドローンを操作するルカ君(復活済)の後ろで、俺と小場毛さんはパイプ椅子に座り、シフトの調整を開始した。
「小場毛さんは……その、もうお亡くなりになっているなら、本業の会社やご家族の事は考慮しなくても大丈夫ですよね?」
「はい」
「とはいえ、真昼間から幽霊の小場毛さんがレジに立っているのは、色々とマズい気がしますので……やっぱり深夜のシフト中心になりますね」
「はい」
「小場毛さん、何か勤務時間帯のご希望はありますか?」
「いいえ」
(……なんて会話のはずまない人なんだ。こりゃ確かに墓石は売れねぇな……)
心の中で失礼な納得をしながら、俺はシフト表を広げてペンの頭を突いた。
「うちの店で、幽霊の小場毛さんと物怖じせずに関われるのはアラクネくらいだから……ここと、ここと、この日に一緒に入ってもらいます」
俺はそう言いながら、シフト表の深夜枠に赤いペンで印をつけていく。
小場毛さんは無表情のまま、死んだ魚のような目でそれをじっと眺めていた。
「よし! じゃあ今日はこれから、仕事の基礎研修を始めますね。とりあえずそのロッカーの中にある制服に着替えてください。俺は先に売り場で待ってます」
そう言い残し、俺は一足先に売り場へと戻った。
──数分後。
バックヤードの扉から、青と白のストライプ柄の制服に身を包んだ小場毛さんが、スーッと売り場へ現れた。
「…………」
その立ち姿から滲み出る、圧倒的なまでの哀愁。
だぼついた制服、落ち切った肩、哀愁漂う頭頂部。
……日本の過酷な社会を生き抜き、疲れ果てたサラリーマンのすべての悲哀を、このおっさんは一人で背負っているのではないだろうか。
だが、不思議と悪くない。いや、むしろ応援したくなってくる。
(なんとしても……一人前のコンビニスタッフに育ててあげなければ……!)
俺は胸の奥で、密かに燃え滾るような謎の使命感を覚えていた──。




