第107話:ハエ女のレジ打ちと、理不尽な赤パッチン
「マモル店長……どうしますか……?」
画面の向こうの異様な張り紙を見つめたまま、ルカ君がコントローラーを握り、チラチラと俺の顔を見ながら次の指示を仰いできた。
俺はパイプ椅子の背もたれに体を預け、腕組みをしたまましばし沈黙して考え込んだ。
今すぐにでもあの『控え室』のドアを開けて助けに行った方がいいんだろうが……俺の脳裏には、以前サカモトに体良く騙されて大変な目に遭った、あの『セブン襲撃事件』の苦い記憶がまざまざと蘇っていたのだ。
あの時はサカモトの口車に乗せられて散々な目に遭わされたからな……。今回の誘拐劇だって、またあいつが俺たちをハメるために仕掛けた罠じゃないっていう保証はどこにもない。
そんな風に俺が一人で疑心暗鬼に陥っていると、さっきまで俺の膝の上で幸せそうに眠っていたアラクネが、シュバッ!と突然勢いよく起き上がった。そして俺の顔を凝視して、思い出したように言った。
「忘れてた! ……モカが、お店に来てる」
「モカが……? おいおい、お前がレジ裏のバックヤードに来てサボり始めてから、一体何時間経ったと思ってるんだよ」
俺は呆れながら、アラクネを自分の膝の上からフロアへと下ろし、様子を見るためにバックヤードの防音扉を開けて売り場(店内)へと向かった。
すると、綺麗に仮補修されたレジカウンターの方から、聞き馴染みのある音が聞こえてくる。
ピッ! ……ピッ! ──「ありがとうございましたー」
モカだ……。
あいつ、バックヤードで完全に職務放棄して爆睡していたアラクネの代わりに、文句を言いながらも健気にレジを回して一号店をワンオペで守ってくれていたらしい。
俺が売り場に顔を出すなり、レジの中にいたモカは顔を真っ赤にしてこちらをキッと睨みつけ、怒鳴り散らしてきた。
「何やってんだよてめぇーよー! なんでこの私が、ロー〇ソンの売上に律儀に貢献しなきゃなんねぇんだよー、ああ!?」
「お……おう。悪かったなモカ……。お前が店に来てたのを今の今まで全然知らなくてよ」
俺は予想外の光景に圧倒されながらも、とりあえずぺこりと頭を下げた。
「ちっ!」
盛大な舌打ちの音が、静かな店内に不快に響き渡る。
「まぁ……なんだ。わざわざうちの店まで、どうしたんだよ?」
「ちっ!」
「……何か、あっちで新しい動きでもあったのか?」
「ちっ!」
「ああ! もしかして、サカモトの今の状況を聞きに来たのか?」
「ちっ!」
こいつ……。さっきから聞いていれば、本当に腹の立つハエ女だ。俺は今すぐ売り場からキンチョールを引っ掴んできて、こいつの口の中に直接ノズルをねじ込んでやりたい衝動を必死に抑え込みながら、何とか大人の対応で話しかける。
「悪かったよモカ。実は今ちょうど、ファ〇マの要塞の中でサカモトが監禁……いや、『控え室』にいる部屋をドローンで突き止めたところなんだ」
「ちっ! ──……で?」
……このアマ、マジでいい加減にしろよ……。
俺はピキピキと引きつる顔の筋肉を何とか自制心で抑え込み、努めて冷静に話を続けた。
「それで、突入する前にちょっとお前に確認したいことがあるんだけどさ。前回みたいに、お前もサカモトに騙されてるだけで、今回もまた俺たちをハメるためのサカモトの罠ってことは本当にないんだよな?」
「ちっ! あんたまだそんな大昔の事、ネチネチと根に持ってんのかよ。相変わらず器のちっちぇ男だなーお前はよー! そんなことあるわけないだろ? 私はあいつが目の前で、ファ〇マの奴らに無理やり連れていかれるのをこの目で確かに見たんだからよ!」
「おお……そうか……。それなら、いいんだけどさ……」
俺はそこまで口にしてから、自分の心の奥底から、ドス黒いマグマのような怒りが一気に沸き上がってくるのを確かに感じた。限界だ。もう我慢できん。
「てめぇ!! さっきから聞いてりゃ態度が悪すぎんだよ!! もともとお前に涙ながらに頼まれたからこそ、俺たちは本社の命令を無視してまで動いてんじゃねぇのかよ!? こっちにゃなぁ、サカモトを助ける義理もメリットも何もねぇんだよ!! わかったか、このハエ女っっっ!!!!」
俺がこれまでにない大声で怒鳴りつけると、レジの中のモカは予想外の反撃にびっくりしたような顔をして、その大きな目をみるみるうちにウルウルとさせて潤ませた。
「ひ……ひどい……。そんな……ヒック……、う、うわぁああん……ヒック……」
「お……お前、自分の形勢が悪くなったからって、そうやって急に子供みたいに泣き落としに入ってんじゃねぇよ!」
「そんな……ヒック……ヒック……」
「大体お前の、んっ!? ──うおっ!?」
俺が泣きじゃくるモカに向かってトドメの正論を叩き込もうとしたその瞬間、俺の身体が突然、重力を無視して売り場の床からフワリと宙に浮き上がった。
「なっ!? なんだああっ!?」
背後から俺の身体をガシッと両腕で羽交い締めにし、軽々と持ち上げていたのは──いつの間にかバックヤードから出てきていたアラクネだった。相変わらずとんでもない怪力だ。
「店長……。女の子いじめちゃ、絶対にだめ。モカ……アラクネにおいしいポテチくれた、だいじな友達」
「い……いや、違うんだアラクネ!! もともと、こいつが先にレジで理不尽にキレ散らかしてきてな──」
俺が必死に弁明しようとしたその時、モカはこれ幸いとばかりにアラクネの細い身体にしがみつき、胸に顔を埋めて大号泣の演技を始めた。
「アラクネぇええーーー!! 怖かったよぉおおーーー!! マモルが私のことハエ女って言ってめちゃくちゃ意地悪してくるよぉおおおーーー!!」
「こ……っ、このアマ……!!」
「店長……。いじめっ子は、おしおき……メッ、だよ」
「ち……違うんだ信じてくれアラクネ!! お前は完全にこいつの嘘泣きに騙されてるんだあァアアアアアアーーーーーーーッッッ!!!!」
パンッッッッッッッ!!!!!!
真夜中の一号店の売り場に、乾いた、非常に小気味よい破壊音が派手に鳴り響いた。
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バタン。
力なくバックヤードの防音扉を開けて戻ってきた俺の顔を見るなり、ストコンの前に座っていたルカ君が、椅子から転げ落ちんばかりに驚いて声を上げた。
「ど、……どうしたんですかマモル店長!? その顔の、真っ赤な信じられない腫れ方は……っ!?」
「……何でもない。ただの、ちょっとした労災だ」
俺は涙目でそうブツブツと呟くと、ルカ君のすぐ横のパイプ椅子へと静かに腰掛けた。
「ルカ君。……もう、これ以上あだこだ考えても仕方がねぇ。今すぐあの部屋に突入(ドアを開放)しよう」
「……っ、はい!」
俺は、アラクネの全力の掌圧によって、今なおジンジンと激痛の走る己の右の頬っぺたを手のひらでそっと押さえ込みながら、画面の向こうのファ〇マ要塞を陥落させるための本当の覚悟を、静かに決めていたのだった──。




