表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第九話:白風の予兆


カイが厩番として働き始めて、二十日が過ぎた。

三月の罰の、まだ初めの三分の一にも満たない。だが、雪は確かに解け始め、城の土の匂いが、少しずつ戻ってきていた。

長屋でのカイの立場は、すでに「罰を受けている新入り」ではなくなっていた。


長屋の儀式は、ぴたりと止まった。佐吉は別棟に移されたまま戻らず、兵助は隅で身を縮めて、誰とも目を合わせない。古参足軽たちは、カイに直接話しかけはせぬが、すれ違う時に軽く頭を下げるようになっていた。


太郎丸も、十日目から軽い仕事に復帰していた。腹の傷はまだ痛むが、長屋の雑用と、たまにカイの厩仕事を手伝う程度なら動ける。


この日も、太郎丸はカイの隣で、桶の水を運んでいた。


「兄貴、今日は風が強い」


「ああ。馬が落ち着かないかもしれん。藁を厚めにしておこう」


太郎丸は素直に頷いた。


「兄貴」と呼ぶことを、カイは結局、太郎丸には許した。長屋の他の連中の前でだけは「カイさん」と呼ぶように言ってある。家臣めいた呼び方は、無用な噂を呼ぶ。


(……こうして、二人で動くのも、悪くないな)


カイは、自分の中で生まれている、ある種の安定感を感じていた。


それは、ハナを背負って一人で走り続けていた頃にはなかった、頼れる手がもう一つあるという感覚だった。


——


その日の昼過ぎ。


カイが奥の馬房で藁を替えていると、白風がふと、首を上げた。


『野性の勘』が、馬の心音の変化を捉えた。


(……白風が、何かを警戒している)


カイは、藁を替える手を止めて、馬房の外を見た。


奥の馬房の窓は、二の丸の外塀に面している。塀の向こうは、城の搬入口へ続く細道だ。


普段、その細道を通るのは、米や酒、薪を運び込む商人たち、そして城の門番くらいのはずだった。


カイは『野性の勘』を絞り込んだ。


(……人の気配。三つ。武士でも商人でもない、奇妙な歩き方。重心が低い)


それは、長屋の廊下で何度か感じた、あの気配ではなかった。あの気配は一人で、もっと洗練されていた。今、捉えているのは三人で、もっと粗削りな足取りだ。


(……あの気配の主とは、別の連中か)


カイは、藁束を置き、窓の隙間から外を覗いた。


塀の外、雪の積もった細道に、三人の男が立っていた。


身なりは町人風だが、足の運びが違う。武家奉公人にしては痩せすぎ、商人にしては動きが軽い。腰には何も差していないように見えるが、左の懐がわずかに膨らんでいる男が一人いた。


(……懐に、刃物。三人とも、警戒している。城を見ている)


カイは、声を出さず、身を引いた。


『野性の勘』が、危険信号を強く鳴らしていた。


(……何かが、起きる)


——


カイは、藁束を運ぶ振りで厩を出た。


太郎丸はまだ厩の入り口で水桶を運んでいる。


「太郎丸」


「はい、兄貴」


「お前、この藁束を奥の馬房まで運んでくれるか。俺は、近藤様にちょっとした用事ができた」


「……何かあったのか?」


「分からん。だが、嫌な気配を感じた。お前は厩を離れずに、何があっても白風だけは死なせるな。俺が戻るまで、誰にも近づけるな」


太郎丸の眼が、引き締まった。


「分かった。動かない」


カイは頷き、本丸へ向かった。


(……近藤様に、まず報告だ。下手に動いて、逆に「規律違反の足軽が騒ぎ立てた」と扱われたら困る)


——


本丸の書院に通されるまで、四半刻かかった。


「足軽カイ、参じました」


「面を上げよ。何があった」


近藤は、前回と同じ書院の上座にいた。だが、今日は、傍らに巻物と地図が広げられている。


カイは、簡潔に報告した。


「厩の奥、二の丸の外塀の向こう、搬入口の細道に、町人風の男が三人。武家奉公人にしては痩せ、商人にしては動きが軽い。一人は懐に刃物を隠しています。城を窺う様子でした」


近藤の目が、すっと細められた。


「……時刻は」


「半刻ほど前」


「行き先は」


「私が見た時は、塀の外で立ち止まっていました。その後の動きは、追っていません」


近藤は、しばらく無言だった。


そして、傍らの地図を、カイの方に向けた。


「これが、城の見取り図だ。お前が見た細道は、ここだな」


カイは、地図を覗き込んだ。文字は読めぬが、絵としての構造は把握できる。二の丸の東側、搬入口の位置を指で示した。


「ここでございます」


近藤は頷き、視線を地図のさらに奥——本丸の方へ滑らせた。


「……搬入口から本丸への最短経路は、厩の脇を通る。ここを抜ければ、長政公の御座所に最も近い、奥廊下に達する」


カイの背筋に、冷たいものが走った。


「……まさか」


「言うな。まだ、確証はない」


近藤の声は、低く、しかし鋭かった。


「だが、お前の見たものが正しければ、それは、明日か、明後日か——遅くとも数日のうちに、城内で何かが起きる予兆だ」


近藤は、巻物を一つ手に取った。


「先月、隣領の葛西から、奇妙な動きの報告が上がっておる。葛西の家中が、長政公の暗殺を望む声を上げ始めておる、とな」


(……葛西。隣領か)


「葛西と当家は、長らく国境を接して睨み合ってきた。だが、葛西が直接、刺客を送り込むほど追い詰められているとは、私は見ていない。送り込ませる側が、別にいる、と見ておる」


近藤の目が、わずかに鋭くなった。


「家中だ。葛西をけしかけて長政公を消そうとしている、家中の者がいる。可能性として、最も高いのは——」


「猪又様、ですか」


カイは、思わず先回りして口にした。


近藤は、わずかに眉を上げ、それから頷いた。


「お前、頭が回るな」


「……前回お話しいただいたばかりです」


「それでも、結びつけられるのは、頭が回る証拠だ」


近藤は、巻物を閉じた。


「お前が見た三人、明日もう一度、現れるかもしれん。お前は、厩で目立たず働き続けろ。城内の警備は、私が動く。お前は、ただ厩から、外の細道を見ていればいい」


「承知いたしました」


「それと、もう一つ」


近藤の声が、わずかに変わった。


「最近、組頭の荒木田の動きが、おかしい。お前、何か感じるか」


カイは、一拍、考えた。


(……荒木田)


近藤が組頭の名を出すのは、初めてだった。


「……はい。私への当たりは大人しくなりましたが、私の目を避けるようになりました。それと、組頭が夜、長屋を出て、本丸の北側へ向かうのを、二度ほど『勘』で捉えています」


近藤の眉が、わずかに動いた。


「本丸の北側」


「はい」


近藤は、地図に視線を落とした。


そして、地図上の本丸の北側を、指で軽く叩いた。


「猪又の屋敷は、ここだ」


カイの背筋が、もう一度、冷たくなった。


「……荒木田は、あくまで縁続きの佐吉が肝を潰されたことを根に持つ程度の小物と思っておった。だが、それが、外と繋がっているなら——話は変わる」


近藤は、巻物を片付けながら、独り言のように呟いた。


「葛西の刺客の動き、荒木田の不審な往来、城内の謎の気配。三つが繋がる線が、どこかにある」


「……」


「お前は、厩の仕事を続けろ。だが、これからは、目を二倍開いていろ」


「はい」


カイは、深く頭を下げて、書院を退出した。


——


廊下を戻る道すがら、カイは自分の中で、状況を組み立て直していた。


(——三月の罰を受けている、ただの足軽だ。表に立つわけにはいかない)


(——だが、近藤様は俺を「使う」と決めた。厩は、もはや罰の場じゃない。監視所だ)


(——荒木田が猪又と繋がっているなら、長屋にいる俺の動きは、すでに筒抜けの可能性がある。今夜から、長屋では『野性の勘』を寝ていても起こすように維持する)


カイは、廊下の角を曲がった瞬間、ふと立ち止まった。


『野性の勘』が、一拍遅れて、捉えた。


(——あの、足音のない気配だ)


廊下の暗い柱の影。


完璧に殺された生命反応。だが、今日は、消えなかった。


カイは、振り向かなかった。だが、確かに、気配はカイを観察している。


そして、声だけが、低く、囁くように届いた。


「……荒木田には、気をつけておけ」


カイの背筋が、ぞわりと震えた。


声は、女のものでも男のものでもない、極めて低く抑えた声だった。年齢も、性別も、判別できなかった。


カイは、振り返らずに答えた。


「……あなたは、誰です」


「いずれ、名乗る時が来る。今ではない」


「敵か、味方か」


「お前次第だ」


気配は、ゆっくりと遠ざかった。


カイは、しばらく動けなかった。


(——お前次第、か)


カイは、長く息を吐いた。


(……まったく。城ってのは、こんなにも、いろんな目が、こっちを見てくる場所なのか)


——


夜。


長屋の藁布団の上で、カイは目を閉じた。だが、『野性の勘』は、寝息の中でも糸のように細く、起きたまま維持していた。


(——SP5、ついに使う時が来た)


カイは、黄金の樹に意識を伸ばした。


『野性の勘』のレベルアップを最初に考えた。だが、それでもあの気配の主の正体は読めない。それは、もう感覚で分かっていた。あの主は、俺よりずっと格上だ。


『歩法・忍』も考えた。だが、向こうに敵わない。


『鑑定』のレベルアップは、心理や思考が読めるようになるなら強力だが、Lv.2でそこまで行くかは分からない。


『威圧』は、武力35では、相手の武力が高ければ効かない。


——カイは、もう一つ、別のスキルを思い起こした。


【保有SP:5。習得可能なスキルを表示します】


【習得可能スキル】


1. 『歩法・忍(Lv.1)』 必要SP:5

 ・足音と気配を最小化する。


2. 『威圧(Lv.1)』 必要SP:5

 ・自身の武力に応じて、対峙する相手の戦意を削ぐ。


3. 『指揮(Lv.1)』 必要SP:5

 ・自分の意志に従う者の動きを、戦闘中に指揮できる。

 ・対象が増えるほど、効果は薄くなる。

 ・統率力に応じて効果が伸びる。


(……『指揮』。これだ)


カイの統率力は32。さほど高くはないが、太郎丸という、明確に従う一人の人間がいる。


明日からの城内で、もし刺客の動きに対応する場面が来れば——カイ一人ではなく、太郎丸を動かす手段がいる。


【スキル:『指揮(Lv.1)』を習得。SP:5を消費しました】


カイの脳内に、新しい感覚が生まれた。誰かに意志を伝える、声の通り道のようなもの。説明できないが、太郎丸の方向に意識を向けると、その「通り道」が、薄く繋がっているのが分かった。


(……これで、太郎丸は俺の手だ。一人じゃ、ない)


カイは、目を閉じたまま、闇の中で小さく頷いた。


明日、何が起きるか分からない。だが、刺客が来るなら、カイは自分一人ではなく、太郎丸と二人で迎え撃つ。


そして近藤様が、その背後を抑える。


——


■ 第九話・終 現在のステータス


【対象:カイ】(17歳・Lv.7)

【職】:足軽

【体力】:54 / 54

【武力】:35(剛力使用時:60)

【知力】:41

【魅力】:58

【統率力】:32

【SP】:0


【保有スキル】

 野性の勘(Lv.1)/剛力(Lv.1)/鑑定(Lv.1)/冷静沈着(Lv.1)/交渉(Lv.1)/応急(Lv.1)/指揮(Lv.1)



皆さんの応援が力になります。いいね。感想、お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ