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第八話:厩の臭い、城の風



近藤の沙汰が下りた翌朝から、カイの「三月の罰」が始まった。


まだ夜が明けきらぬ寅の刻——朝四時前——カイは藁布団から起き上がり、長屋の戸を開けた。


冬の闇は、息をするだけで肺が凍る。


厩は、本丸の東、二の丸の外れにあった。城主・黒羽長政公の馬を含め、上士の馬が二十頭ほど繋がれている。


カイは、桶と藁束、そして馬糞を運び出すための古い木鋤を担いで、厩へ向かった。


組頭の荒木田に直接命じられた仕事ではない。近藤の沙汰書きに「早朝厩掃除を倍」とあるだけの、書面上の罰だ。だが、カイは何も言わず、これを受け入れた。


(……罰として与えられた仕事だ。手を抜けば、近藤様の判断を疑うことになる)


それに——カイは、別の意図も持っていた。


(……厩は、上士の馬がいる場所だ。馬を扱う武士、餌を運ぶ下働き、そして馬の主——様々な人間が出入りする。城内の人の流れを知るのに、これ以上の場所はない)


罰だが、これは情報の場だ。


カイは、口元にわずかな笑みを浮かべて、厩の戸を開けた。


——


藁の差し替え、馬糞の搔き出し、桶の水替え、馬の脚の下まわりの清掃。


朝四時から、夜明け過ぎまで、ほぼ三刻——六時間。


『野性の勘』のおかげで、馬の機嫌も読めた。蹄の踏みつけを食らわぬ位置取りも、自然と身についた。


二日目の朝。


すでに掃除を終えかけていたカイの背後に、足音が一つ近づいた。


「……お前か。例の新入り、というのは」


カイは振り返り、頭を下げた。


声の主は、四十がらみの武士だった。質素な木綿の小袖に、馬糞のついた草鞋。馬の世話を自らする変わり者か、もしくは——馬係を統括する者か。


「足軽カイ、と申します」


「うむ。私は厩番頭の高木たかぎ。お前の働きぶりは、近藤様から伺っておる」


(……近藤様が、すでにこの人に話している)


カイは、もう一度頭を下げた。


「ご迷惑をおかけいたしております」


「迷惑じゃない。仕事はきれいだ。馬の機嫌も、お前が来てから良くなったと、若駒衆が言うておる」


高木は、馬房の柵に手を当てて、中の鹿毛馬を覗き込んだ。


「お前、馬を扱ったことがあるのか」


「いえ、生まれてこの方、馬には触ったことすらございません」


「であろうな。だが、馬がお前を嫌わぬ。それは、生まれつきの素養だ」


高木は、それだけ言って、奥の馬房へ向かった。


カイは、その背中を見送りながら、内心で考えた。


(……素養。たしかに、馬は俺を嫌っていない)


魅力58。家畜にも何か作用しているのかもしれない。だが、それを口に出す必要はない。


——


四日目。


カイが厩の外で水桶を洗っていると、別の声がかかった。


「カイさん。少し、いいか」


振り返ると、太郎丸がいた。


腹の晒布はまだ巻いたままだが、歩くのに不自由はなさそうだ。仕事には、まだ復帰していない——薬師の指示で半月は静養との沙汰だった。


「太郎丸。傷は」


「だいぶ、いい。あんたのおかげだ」


太郎丸は、ぎこちなく頭を下げた。


カイは、少し迷った。


(……『鑑定』を、もう一度かけるか)


長屋で初めて触れた時の数字は記憶している。体力3/18、武力8/14、知力18/28、魅力22/35、統率力6/18。だが、人の状態は変わる。今、何かを抱えているなら、肌の感触で読みたい。


カイは、太郎丸の肩に手を置いた。


「もう、無理して動くな」


その瞬間、指先が太郎丸の首筋に触れた。


【対象:太郎丸】

【職】:足軽

【体力】:13 / 18

【武力】:8 / 14

【知力】:18 / 28

【魅力】:22 / 35

【統率力】:6 / 18


(……体力13まで戻った。順調に治っている。だが)


カイは、もう一つの違和感を感じ取っていた。


太郎丸の眼が、カイを見ているようで、見ていなかった。


何かを言いたい。だが、言葉にならない——そういう目だ。


「太郎丸。何か、あるのか」


「……あ、いや」


太郎丸は、唇を一度、噛んだ。


そして、絞り出すように言った。


「……兄貴と、呼ばせてくれ」


カイは、一瞬、目を見開いた。


「俺には、村に兄がいた。三つ上の。流行り病で死んだ。あんたを見ていると、生きていた頃の兄を思い出す」


「……」


「いや、図々しいな。すまん、忘れてくれ」


太郎丸は、慌てて頭を下げた。


カイは、しばらく無言だった。


(……兄貴、か)


それは、家臣の誓いに近い言葉だった。


カイ自身は、まだ「主」になる器ではない。足軽の最下層、罰中の身だ。それを承知の上で、太郎丸はそう呼びたいと言った。


カイは、太郎丸の肩から手を離した。


「俺は、お前の主じゃない」


「……はい」


「兄でも、ない。ただ、同期だ」


「はい」


「だが——お前が困った時に、俺が動ける位置にいるなら、動く。それは、長屋でも、これからも、変わらない」


太郎丸の目に、わずかに光が滲んだ。


「……ありがとうございます」


太郎丸は、深く頭を下げた。


カイは、もう何も言わず、桶を洗う作業に戻った。


(……一人、できたな)


仲間、とも違う。家臣、とも違う。だが、確かに、カイのために動く意志を持った人間が、城内に一人、現れた。


その重みを、カイはまだ完全には理解していなかった。だが、悪い感触ではなかった。


——


七日目の昼。


カイが厩の餌を運んでいると、本丸の方から、若い祐筆が小走りで来た。


「カイ殿。厩番頭の高木様が、奥の馬房にてお呼びでございます」


「はい。すぐに参ります」


奥の馬房は、特別な馬が繋がれる場所だった。


カイは桶を置き、藁束を抱えて奥へ向かった。


そこにいたのは、高木と——もう一人、見覚えのある武士だった。


近藤忠吾。


カイは、瞬時に頭を下げた。


「足軽カイ、参じました」


「面を上げよ」


近藤の声は、書院で聞いたものと同じだった。


近藤は、奥の馬房に繋がれた、白い駿馬の首を撫でていた。


「これは、長政公の愛馬・白風はくふうだ。お前、この馬の機嫌が読めるか」


唐突な問いだった。


カイは、白風の様子を、『野性の勘』で観察した。


馬房の奥で、白風は静かに立っていた。だが、後ろ脚の一本が、わずかに地に着けていない。蹄の方を、時折、気にする素振りがある。


「……右の後ろ脚に、何か違和感がある様子。蹄か、その上か。庇うように、半分浮かせています」


近藤の眉が、わずかに動いた。


「……高木」


「は」


「先日、高木が同じことを申しておった。だが、馬医に診せても、外傷は見つからぬ、とな」


近藤は、白風の右後ろ脚に手を伸ばした。


「お前なら、どこを疑う」


カイは、少し考えた。


(……俺は馬医じゃない。だが、勘で言えば——蹄の表面じゃなく、その奥)


「蹄の中、奥の方に、棘か石が入り込んでいるのかもしれません。表面からは見えぬが、馬の体重がかかると痛む位置に」


近藤は、しばらくカイを見つめた後、高木に頷いた。


「鉄を叩く者を呼べ。蹄を一度、薄く削らせる」


「は、ただちに」


高木が走り去った。


馬房に、近藤とカイだけが残った。


近藤は、白風の鼻面を撫でながら、独り言のように呟いた。


「……お前は、足軽でいる器ではないな」


カイは、答えなかった。


近藤は、カイの方を振り向かずに、続けた。


「だが、いきなり上に上げれば、お前は埋もれる。城には、伸び始めた若芽を踏み潰したがる者が、何人もおる」


(……派閥か)


カイは、頭の片隅で、その単語を捉えた。


猪又いのまたという名は、聞いたことがあるか」


近藤の声が、低くなった。


「いえ、ございません」


「やがて、聞くことになる。城代家老・佐久間殿の対抗派閥の頭だ。武力に優れ、家中での影響力もある。お前のような『水呑上がりの異才』を、最も嫌う類の男だ」


カイは、頭を下げたまま、その名を心に刻んだ。


(……猪又。城代家老の対抗派閥の頭)


「お前を取り立てるなら、私も慎重に時を選ぶ。罰の三月、お前は厩で目立たず働け。その間、私はお前を上に持っていく筋を整える」


「ありがとうございます」


「……それと、もう一つ」


近藤の声が、わずかに変わった。


「最近、城内で、奇妙な気配を感じる者がいると、夜回りの足軽が報告を上げてきておる。お前、心当たりはあるか」


カイは、心臓が一度、強く打つのを感じた。


(——あの気配のことだ)


「……足軽でもなく、武士でもない。軽く、重心が低く、足音を持たぬ。私も、二度ほど感じております」


近藤の目が、わずかに細められた。


「……やはり、感じておったか」


「お心当たりが、おありで?」


近藤は、しばらく無言だった。


そして、低く言った。


「城には、私の知らぬ目が、何組かある。誰のものかは、私も摑みきれぬ。お前も、警戒しておけ」


「承知いたしました」


近藤は、それ以上は語らなかった。


カイは、深く頭を下げ、馬房を後にした。


——


夜。


長屋の藁布団の上で、カイは目を閉じていた。


(……猪又。家老の対抗派閥の頭)


(……城内の、誰のものとも知れぬ目)


(……近藤様自身が、把握しきれていない)


城という場所が、自分が思っていた以上に、複雑な奥行きを持っていることが、ようやく見え始めていた。


そして、その複雑さの中で、自分の名はすでに「動き始めている」のだ。


カイは、自分のステータスを呼び出した。


【対象:カイ】(17歳・Lv.7)

【職】:足軽

【体力】:54 / 54

【武力】:35

【知力】:41

【魅力】:58

【統率力】:32

【SP】:5


SP5。次のスキルに、どれを選ぶか。


(——『歩法・忍』。あの足音のない気配に対抗するには、こちらも気配を消せねば話にならない)


(——いや、待て。それは罠だ。あの気配の主は、明らかに俺より上の使い手だ。俺が『歩法・忍』を取っても、敵わない可能性が高い。それより——)


カイの頭の中で、いくつかの選択肢が並んだ。


(——『鑑定』のレベルアップ、もできるはずだ。状態まで読めるようになれば、太郎丸の容態も、馬の不調も、より深く読める)


(——『野性の勘』のレベルアップなら、あの気配の主の正体に、もっと近づけるかもしれない)


(——『威圧』。武力に応じた相手の戦意削ぎ。武力35では、まだ効果が薄い)


カイは、まだ決めなかった。SP5は、じっくり選ぶ価値がある。


廊下の方から、また、あの足音のない気配が、ゆっくりと通り過ぎた。


カイは、目を閉じたまま、その気配を追わなかった。


(……いずれ、向き合う時が来る。それまでに、俺は、もっと深く、爪を研いでおく)


——


■ 第八話・終 現在のステータス


【対象:カイ】(17歳・Lv.7)

【職】:足軽

【体力】:54 / 54

【武力】:35(剛力使用時:60)

【知力】:41

【魅力】:58

【統率力】:32

【SP】:5


【保有スキル】

 野性の勘(Lv.1)/剛力(Lv.1)/鑑定(Lv.1)/冷静沈着(Lv.1)/交渉(Lv.1)/応急(Lv.1)



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