表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

第七話:城代の眼


夜半過ぎ。


カイは太郎丸を背負って、城門を出た。


足軽の出入りは、夜明け前の交代のために常に何人かが行き来している。傷を負った同期を背負っていれば「どうした」と問われるのは当然だが、カイは正直に答えた。


「長屋で、太郎丸が古参に踏まれた。先に薬師に運ぶ。組頭には朝、報告する」


門番の足軽は、しばらくカイを見つめた後、何も言わずに脇に退いた。


太郎丸の腹からは、応急で塞いだはずの傷から、また薄く血が滲み始めていた。


『応急』は、完治させるスキルではない。流出を止め、体力を5回復させる——それだけだ。城下の薬師まで、四半刻。間に合うかは、太郎丸の体次第だった。


——


城下、北の辻。


夜中でも灯りを点けている薬師の戸を、カイは木刀の柄で叩いた。


「薬師殿。城の足軽の急患でございます。御開けくださいませ」


戸は、思ったより早く開いた。


「……何だ、こんな夜中に」


出てきたのは、白髪混じりの老医師だった。眠そうな目をしていたが、太郎丸の腹を一目見るなり、目つきが変わった。


「腹を、踏まれたか」


「はい。一刻ほど前のことです。応急の手当ては施しましたが、これ以上は私の手に負えません」


老医師はカイの顔を一瞥し、すぐに太郎丸を中へ運び入れた。


「銭は、後で構わん。死んでからじゃ何も始まらん」


カイは深く頭を下げ、太郎丸を引き渡した。


(……ここの薬師は、まともだ)


老医師の指先は、慣れた手つきで太郎丸の腹を診ていた。


「肝が腫れておる。だが、出血は止まっておる。お前、何をした」


「水で冷やしました」


カイは、応急のことを話さなかった。スキルの存在は、伏せておくに越したことはない。


老医師は、それ以上は問わなかった。


「夜明け前には、容態が定まる。それまで、お前は城に戻れ。後はわしがやる」


「お願いいたします」


カイは銭袋を懐から出そうとしたが、老医師は手で制した。


「明日、城代から通達があるはずだ。城内での負傷は、城が銭を立て替える決まりがある。お前個人が払うべき筋ではない」


(……そんな決まりがあるのか)


カイは、もう一度頭を下げ、薬師の戸を出た。


——


城に戻る道すがら、カイの『野性の勘』が、もう一度、あの気配を捉えた。


闇の角。完璧に殺された生命反応。


(……まだ、見ているのか)


カイは振り返らなかった。振り返れば、相手は気配を消す。それは前回で分かっていた。


代わりに、カイは歩を進めながら、頭の中で整理した。


(——あの気配、敵か味方かは分からない。だが、長屋の事件を最初から見ていた可能性が高い。なら、城内のどこかに「俺を見ている誰か」がいるということだ)


(——上の人間か、それとも下の人間か)


カイには、まだ答えはなかった。


ただ、自分が「見られる側」になったという事実だけが、確かに腹の底に沈んだ。


——


夜明け。


カイが長屋に戻ると、すでに長屋の中は騒然としていた。


佐吉は床に転がったまま、白目を剥いて意識が戻らない。兵助は隅に座り込み、震えながらカイを見ていた。他の足軽たちは、藁布団から半身を起こし、声を潜めて事の成り行きを見守っている。


戸が、勢いよく開いた。


組頭の荒木田が、踏み込んできた。


「なんだ、この有様は! 佐吉、兵助、何があった!」


兵助が、震える指でカイを指した。


「……こ、こやつが、佐吉さんを……」


荒木田の目が、カイに向いた。


「カイ。お前か」


「はい」


カイは、淡々と答えた。


「同期の太郎丸が、佐吉、兵助に踏まれていました。体力——いえ、命の危険があると判断し、止めに入りました。佐吉は応戦してきたので木刀で制圧、兵助は脇差を抜こうとしたので木刀の切っ先で押さえました。太郎丸は、すでに城下の薬師に運んであります」


荒木田の眉が、跳ね上がった。


「勝手に、城下に出たのか」


「はい。組頭にお許しを得る時間はございませんでした。太郎丸の容態が、それを許しませんでした」


「それは——お前の判断か」


「はい」


(……来るなら、来い)


カイは、内心で身構えた。


荒木田は、佐吉と兵助の縁続きだ。私情で考えれば、カイを処断したい立場にある。だが——


「……お前、足軽になって何日だ」


「五日でございます」


「五日で、城内の規律をひっくり返したわけだ」


荒木田の声は、低く沈んでいた。


カイは、答えなかった。答えるべき問いではない。


荒木田は、しばらくカイを睨みつけた後、太い溜息をついた。


「……上に報告する。お前の処分は、私の裁量を超えた。ここで動くな」


「承知いたしました」


——


四半刻後。


長屋に呼び出しが来た。


「足軽カイ、本丸書院へ参られたし」


呼び出しに来たのは、若い祐筆だった。先日、廊下ですれ違った——カイが「武力22/30、知力48/65」と読んだ男だ。


(……本丸書院。組頭の上、物頭、いや、それより上か)


カイは木刀を置き、最低限の身仕舞いを整えて、祐筆について本丸へ向かった。


本丸の廊下は、足軽長屋とは別世界だった。磨き上げられた板間、整然と並ぶ襖、空気の冷たさまで、明らかに格が違う。


書院の前で、祐筆が頭を下げた。


「カイ、参上いたしました」


「通せ」


中から、低い声が返った。


カイは襖を開け、書院に入って、雪の上ではなく板間に膝をついた。


書院の上座には、四十前後の武士が一人、座していた。


濃紺の直垂、髷は端正、背筋は崩れない。眼光は鋭いが、それは威圧というより観察の目だった。


カイは深く頭を下げた。


「足軽カイ、参じました」


「面を上げよ」


カイは顔を上げた。


そして、その武士の姿を視認した瞬間——『野性の勘』が、声を上げずに警鐘を鳴らした。


(……重い。城に入って以来、すれ違った誰よりも、重い)


数値は読めない。だが、気配の重さだけで、太田や荒木田とは比較にならない格上であることが分かった。


「私は近藤忠吾こんどう・ちゅうご。城代家老・佐久間殿の下で、城内の人事と規律を預かっておる」


(……家老格の側近、か)


カイは、もう一度頭を下げた。


近藤は、書状を一枚、手に取った。


「事の仔細は、荒木田から上がっておる。お前の言い分も、書きつけてある。だが、私が知りたいのは、書面に書かれぬことだ」


「……何なりと、お聞きください」


「お前は、なぜ太郎丸を助けた」


カイは、一拍、考えた。


(……「同期だから」と言うのが模範解答だ。だが、それで足りるか?)


カイは、自分の言葉を選んだ。


「太郎丸の体に触れたとき、命があと数呼吸しか持たないと、肌で分かりました。私が動かねば、誰も動かない。それは、長屋の理でございました。理を変えるなら、私が動くしかなかった。それだけのことです」


近藤の眉が、わずかに動いた。


「『理を変える』、と申したか」


「はい」


「足軽五日目の新入りが、口にする言葉ではないな」


カイは答えなかった。沈黙が、肯定でも否定でもない、ただの「事実の提示」になることを、カイはすでに知っていた。


近藤は、しばらく書状を見つめた後、目を上げた。


「お前を、どう処すべきと思う?」


(……来た)


カイは、自分の頭を急ぎ回転させた。


(——近藤様は、俺を試している。「処分されるべきです」と答えれば従順、「お咎めなしを」と言えば不遜。どちらでもない、第三の答えが要る)


「私は、規律を破りました。長屋の私闘も、城下への無断外出も、足軽の本分ではございません。お咎めは、当然のものとしてお受けいたします」


「で、あろう」


「ただ、一つだけ申し上げます。長屋で起きた『儀式』は、長年放置されてきたものと聞きました。今宵、私が動いたことで、それは止まります。お咎めの後、私を長屋に戻していただけるならば——もう二度と、長屋から夜中の呻き声は上がらないでしょう」


近藤の目が、細められた。


「……新入りが、長屋を取り仕切るというのか」


「取り仕切るのではございません。動く者がいる、と知らせるだけです。それで、十分でございます」


カイは、頭を下げたまま続けた。


「もし私が長屋を出されるか、あるいは罰として処断されるのなら、儀式は元に戻ります。それは、近藤様のご判断です。私が決めることではございません」


書院に、静寂が落ちた。


カイは、頭を下げたまま、自分の心音を数えていた。


『冷静沈着』は使っていない。使えば、近藤の重い気配を勘で読む手段を失う。今はそれが惜しかった。だから、自分の頭だけで、ここまで組み立てた。


近藤は、しばらく無言だった。


そして、ふと、笑った。


低く、短く。


「……荒木田が、お前を持て余すわけだ」


カイは、頭を下げたまま、何も答えなかった。


「処分は、こうする。城下への無断外出は不問。長屋の私闘については、佐吉と兵助の暴行が先に立証されておるゆえ、お前の行為は『正当防衛および同期の救助』とする。ただし、佐吉が肝を潰され、回復の見込みは薄い。これについては、お前に過剰な打撃の責が一片ある。罰として、向こう三月、長屋当番の早朝厩掃除を倍とする」


「……はっ。承知いたしました」


カイは深く頭を下げた。


(——軽い)


明らかに、軽い処分だった。長屋の規律違反者として、本来なら鞭打ちか減俸が相場のはずだ。それを「厩掃除二倍」で済ませた。


近藤は、それを承知の上で、軽く処したのだ。


「下がってよい」


「ありがとうございます」


カイは、頭を下げて立ち上がった。


襖を閉める寸前、近藤の声が、もう一度かかった。


「カイ」


「はい」


「お前の名は、覚えておく」


——


書院を出たカイは、長い廊下を歩きながら、自分の手のひらを開いた。


知らず、汗で濡れていた。


(……家老格の武士相手に、よく口が回ったな、俺)


『冷静沈着』を使わずに切り抜けたことが、自分でも信じられなかった。スキルに頼らずとも、思考は鍛えれば回る——その実感が、また一つ、カイの中に積み重なった。


すれ違いざまに、先ほどの祐筆が頭を下げた。


「カイ殿」


「はい」


「ご無事で何よりです。……書院の中で、笑い声が聞こえました。近藤様が下の者の前で笑われるのは、年に数度のことです」


カイは、軽く会釈をして、廊下を歩いた。


(……年に数度。それを、俺は引き出した)


カイの胸の中で、確かな手応えが広がっていた。


——


その日の夕刻。


太郎丸が、城下の薬師から長屋に戻された。


腹に大きな晒布を巻き、まだ歩くのは辛そうだったが、確かに自分の足で立っていた。


長屋に戻った太郎丸は、入り口でカイを見つけると、無言で深く頭を下げた。


カイも、無言で会釈を返した。


それで、十分だった。


——


夜。


長屋の藁布団の上で、カイは目を閉じた。


佐吉は、別の場所に移されていた。意識の戻る見込みは薄いという。兵助は、長屋には残っていたが、隅で身を縮めて、誰とも目を合わせなかった。


長屋の他の足軽たちの空気が、明らかに変わっていた。


カイへの視線が、警戒と——ある種の畏敬を含むものに変わっていた。


(……長屋は、当面、静かになる)


【経験値を獲得:城内派閥構造への足掛かり、上位者からの認知を確認】

【レベル:6 → 7】

【全基本能力値の天頂が上昇】


カイの脳内で、再び黄金の樹が、少し深く根を伸ばした。


【対象:カイ】(17歳・Lv.7)

【職】:足軽

【体力】:54 / 54 (+6)

【武力】:35 (+1)

【知力】:41 (+3)

【魅力】:58 (+3)

【統率力】:32 (+4)

【SP】:5


(……知力41。魅力58。統率力32)


数字の上昇に、戦闘での伸びとは違う傾向があった。武力はわずか1。だが、知力・魅力・統率力が、それぞれ3〜4も上がっている。


(——近藤様との対話で、伸びたのか。人と話すこと、人を動かすことで、こっちの数字が伸びるのか)


カイは、それを心に刻んだ。


(——力で伸ばす数字と、頭と言葉で伸ばす数字。両方、要る)


廊下の方から、また、あの足音が聞こえた気がした。


軽く、重心が低い、足音のない歩み。


カイは、目を閉じたまま、心の中で呟いた。


(……お前は、誰だ)


返事は、ない。


ただ、気配はゆっくりと遠ざかっていった。


——


■ 第七話・終 現在のステータス


【対象:カイ】(17歳・Lv.7)

【職】:足軽

【体力】:54 / 54

【武力】:35(剛力使用時:60)

【知力】:41

【魅力】:58

【統率力】:32

【SP】:5


【保有スキル】

 野性の勘(Lv.1)/剛力(Lv.1)/鑑定(Lv.1)/冷静沈着(Lv.1)/交渉(Lv.1)/応急(Lv.1)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ