表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

第六話:泥に研ぐ牙


黒羽城の足軽長屋。


そこは「武士」と「百姓」の境界に置かれた、半ば牢獄のような場所であった。


土間と板間が荒く区切られただけの細長い小屋。湿気を吸って黒ずんだ柱には、誰のものとも知れぬ刃の傷跡が無数に刻まれている。冬の夜気は床下から這い上がり、薄い藁布団一枚を貫いて、寝静まった足軽たちの骨の髄まで凍えさせていた。


カイがこの長屋に放り込まれて、五日が過ぎていた。


(……ここは、村より少しだけ広い「檻」だな)


夜半。カイは藁の上で、目を閉じたまま意識だけを覚醒させていた。


『野性の勘』を絞った糸のように細く維持し、長屋全体の生命反応を「気配の地図」として脳裏に描き出す。鼾を立てる古参足軽、寝返りを打つ若衆、そして——一人だけ、息を殺している者。


(三つ離れた藁山。……あいつだ)


藁が擦れる、極めて微かな音。


冬の冷気の中で、その男の体温だけが、捕食者特有の興奮で僅かに上がっていた。


カイは目を閉じたまま、静かに右手を腰の方へ滑らせた。新入り足軽に支給された木刀を、いつでも握れる位置へ。


──と、突如。


「がっ……ぐぅっ……!」


長屋の反対側、入り口近くの藁山から、押し殺した呻き声が漏れた。


カイは弾かれたように上体を起こす。


『野性の勘』が、入り口付近に三つの生命反応の塊を捉えていた。一つは床に倒れ、二つはその上で蠢いている。


「……始まったか」


低く呟き、カイは木刀を掴んで音もなく立ち上がった。


足元の板を踏み抜く。鳴らさず。重心は常に低く。これも『野性の勘』が教えてくれる、獣の歩き方だ。


入り口の薄明かりの下、二人の男がうずくまる若い足軽を踏みつけていた。


組頭の荒木田の縁続き、佐吉と兵助。


長屋では古株として幅を利かせ、新入りが入るたびに「儀式」と称して金品をせびり、手向かう者には深夜の集団暴行で「教育」を施す——黒羽城足軽組の、最も腐った膿の部分だった。


倒れているのは、カイと同じ日に入った同期、太郎丸。


百姓の三男で、年は十五。家に新たな口減らしを迫られ、藁にも縋る思いで足軽になった少年だ。


「……金を、出さんから言うとろうが……」


佐吉の濁った声。


兵助が太郎丸の腹を踏みつけ、ぐじゅり、と嫌な音がした。


カイは、近くまで歩み寄りながら、太郎丸の手首を掴んだ。


倒れた太郎丸を助け起こす振りで、素肌に指先が触れる。


【対象:太郎丸】

【職】:足軽

【体力】:3 / 18 (重度損傷)

【武力】:8 / 14

【知力】:18 / 28

【魅力】:22 / 35

【統率力】:6 / 18


(……体力3。あと一発、強く踏まれたら死ぬ)


カイは太郎丸の手をそっと放し、立ち上がった。


数字の中で、知力18・魅力22という線がカイの頭に引っかかった。武士の最下層・足軽の中では、明らかに頭の良い側だ。


(……生かす価値がある。それ以前に、見過ごせない)


「……離れろ」


カイの声は、長屋の闇に低く沈んだ。


佐吉と兵助が振り返る。


太郎丸の血で汚れた足袋。にやけた口元。そして——カイの存在を一瞥して、嘲笑に変わる目。


「なんだァ、新入りの泥ネズミか。寝てろ、餓鬼。次はお前の番にしてやってもいい」


佐吉が肩を回した。


カイは木刀の柄を握り直しながら、二人の身体に視線を走らせる。


(……鑑定したい。だが、両手は両方が武器を握る位置だ。隙を作って、触れる)


カイは、わざと木刀を斜めに下ろし、無防備な姿勢で一歩、佐吉に近づいた。


その動きに反応した佐吉が、面倒臭そうに右の拳を振り上げる。


カイは——避けなかった。


避ける代わりに、踏み込みざまに、自分の左肩を佐吉の拳に当てに行った。


ガッ、と鈍い衝撃。


肩に痺れが走る。だが、それは目当ての副産物に過ぎない。


——拳が当たった一瞬、カイの肩が佐吉の手首の素肌に触れていた。


【対象:佐吉】

【職】:足軽

【体力】:50 / 50

【武力】:42 / 45

【知力】:6 / 10

【魅力】:3 / 8

【統率力】:4 / 12


(——武力42か。村の五郎より上。荒木田より下。城の中堅って感じだな)


カイは咄嗟に背後の兵助にも目を走らせる。佐吉の影で、兵助の腰に脇差が見えた。鞘の汚れ具合からして、長屋に持ち込んでいる私物だろう。長屋に刃物の持ち込みは禁じられているはずだが、組頭の縁続きという立場でなぁなぁになっているらしい。


兵助の素肌に触れる機会はない。だが、視認できる範囲で武装は確認できた。


(——佐吉、武力42。兵助は分からないが、佐吉より下なのは動きで分かる。脇差を持っている分、要注意)


(——俺は武力32。剛力で57。佐吉一人なら一発で潰せる。だが、剛力は30秒で切れて、次は30分使えない。30秒以内で、佐吉と兵助、両方を制圧する必要がある)


カイの口元が、闇の中で微かに歪んだ。


「は、ハハッ! こいつ、わざと食らったぜ。痛いか、餓鬼?」


佐吉が背を反らして笑う。


その笑い声が長屋の闇に響き渡った瞬間。


カイは、すでに動いていた。


「『剛力』」


囁くような発動の声。


【スキル:『剛力(Lv.1)』を発動】

【現在体力 42 の一割を消費——切上げ5消費】

【体力:42 → 37 / 42】

【一時補正:武力 32 → 57(+25)】

【効果時間:30秒】


体内で熱が爆ぜる。


血管が浮き、皮膚の下で筋繊維が悲鳴を上げる。


だが、村で初めて発動した時とは違った。あの時のような視界の白濁も、肺の千切れる感覚もない。一度、限界まで使い切った肉体は、再びその領域に踏み込む際の「痛み」を覚えている。獣が傷の場所を覚えるように。


(——一の太刀)


カイは木刀を低く構え、佐吉の懐に滑り込んだ。


笑い顔のまま、佐吉の表情が固まる。新入りの動きではない。あまりに静かで、あまりに早い。


カイの木刀が、下から斜めに——佐吉の右の脇腹、肝の位置への一閃。


ゴッ、という、木が肉を打つ音。


佐吉の腰が「く」の字に折れた。


「ぎゃっ……!」


剛力に乗った木刀の一撃が、佐吉の肝を完全に潰した。骨は砕いていない。だが、内臓に走った衝撃は、佐吉の意識をその場で奪うのに十分だった。


佐吉は床に倒れ、白目を剥いて痙攣した。


(——二の太刀)


カイは止まらない。


崩れる佐吉の身体を踏み台にして、その背後で固まっていた兵助へ。


兵助の右手が、ようやく脇差の柄に触れた、その瞬間。


カイの木刀の切っ先が、兵助の喉元に「触れて」いた。


刺してはいない。突きの寸前で止めてある。だが、剛力で叩き込まれた木刀の先は、兵助の喉仏の皮一枚を確かに削り、薄い血の筋を引いていた。


「……抜けば、貫く」


カイの声が、兵助の耳元で氷のように凍った。


兵助は脇差から手を離し、ガクガクと震えながら膝をついた。佐吉は床に転がり、白目のまま動かない。


開始から、十数呼吸。


剛力の効果時間が、まだ十秒以上残っていた。


長屋の他の足軽たちが、藁の中から息を潜めて事の次第を見つめていた。誰一人として、新入りに加勢しようとも、佐吉らに加勢しようともしない。


それが、ここの理だ。


カイは木刀を引き、太郎丸に駆け寄った。


「太郎丸。聞こえるか」


「……か、カイ……ぃ……」


「動くな。傷を見る」


カイは太郎丸の腹に手を当てた。


【対象:太郎丸】

【体力】:3 / 18


(……まだ3のままだ。腹の中で出血が止まっていない。このままだと、半刻もたない)


カイは黄金の樹に意識を伸ばした。


【保有SP:5。習得可能なスキルを表示します】


【習得可能スキル】


1. 『応急(Lv.1)』 必要SP:5

 ・触れた対象の出血と体力流出を一時的に止める。

 ・対象の体力を5、確実に回復させる。



2. 『威圧(Lv.1)』 必要SP:5

 ・自身の武力に応じて、対峙する相手の戦意を削ぐ。


3. 『歩法・忍(Lv.1)』 必要SP:5

 ・足音と気配を最小化する。


(……『応急』。それしかない)


【スキル:『応急(Lv.1)』を習得。SP:5を消費しました】


カイの右の掌が、淡く金色に灯る。


太郎丸の腹に押し当てた瞬間、内臓の出血が——目に見えぬ速度で「縫い合わされて」いく感覚があった。


【対象:太郎丸】

【体力】:3 → 8 / 18


(……あくまで時間稼ぎだ。。ただ、今なら城下の医者まで運べば助かる)


カイは深く息を吐き、立ち上がった。


剛力の効果はもう切れている。クールタイムが30分。今、もう一度の戦闘になれば、剛力なしで挑むしかない。


足元では、兵助が震える瞳でカイを見上げている。


「……お、お前……何者だ……っ……!」


カイは答えなかった。


代わりに、長屋全体に響く、低く、しかしどこまでも届く声で言った。


「明日から、長屋の儀式は終わりだ」


闇の中で、誰も口を開かなかった。


ただ、カイが村で初めて五郎に向けたのとは比較にならぬほど冷えた殺気が、足軽長屋の空気を重く沈めていた。


——


太郎丸を背負って長屋を出たカイは、夜の城内をひっそりと歩いた。


組頭の荒木田に先に報告すれば、佐吉と兵助の縁続きという立場で揉み消される可能性が高い。それより、傷を負った同期をまず城下の薬師に運んだという事実を作っておく方がいい。城内の規律違反として後で公にされても、こちらは「同期の命を救った」という大義名分が立つ。


——『冷静沈着』を起動するまでもない。剛力の余熱が引いた頭で、それくらいの算段はついた。


その時、ふと、カイの『野性の勘』が、長屋の外の闇に「もう一つの気配」を捉えた。


廊下の角の暗がり。極めて密度の高い、しかし完璧に殺された生命反応。


(……誰だ。いつから、見ていた)


カイが視線を向けた瞬間、その気配は霧のように引いた。


足音は、ない。


(……あの晩、廊下を歩いていた気配と同じだ)


カイの背筋に、熊と対峙した時とは別種の——上位者のみが放つ、静かな寒気が走った。


太郎丸を背負い、城下へ向かうカイの胸の内を、一つの予感が満たしていた。


この城には、自分の知らぬ「何者か」が、すでに棲んでいる。


そして、それらに食われぬためには——もっと、もっと深く、爪を研がねばならない。


——


【強敵の制圧、長屋支配構造の転覆を確認】

【レベル:5 → 6】

【全基本能力値の天頂が上昇】


カイの脳内で、再び黄金の樹が、深く根を張り巡らせた。


【対象:カイ】(17歳・Lv.6)

【職】:足軽

【体力】:48 / 48 (+6)

【武力】:34 (+2)

【知力】:38 (+2)

【魅力】:55 (+2)

【統率力】:28 (+3)

【SP】:5


雪は、降り続いている。


だが、もはやそれは、村で凍えていた頃の、ただの絶望の象徴ではなかった。


——ここから先は、研ぎ続けるための「砥石」だ。


——


■ 第六話・終 現在のステータス


【対象:カイ】(17歳・Lv.6)

【職】:足軽

【体力】:48 / 48

【武力】:34(剛力使用時:59)

【知力】:38

【魅力】:55

【統率力】:28

【SP】:0


【保有スキル】

 野性の勘(Lv.1)/剛力(Lv.1)/鑑定(Lv.1)/冷静沈着(Lv.1)/交渉(Lv.1)/応急(Lv.1)



皆さんの応援が力になります。いいね。感想、お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ