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第五話:牙の城、冷たき廊下


ハナの命を繋ぎ止める、長い夜が三日続いた。


カイは一睡もせず、ハナの口に粥を少しずつ流し込み、熊の胆嚢を煎じて飲ませ続けた。鑑定で薬の成分を視認してから飲ませる、という手順が、すでに自然な流れになっていた。


四日目の朝。


ハナが、自力で粥を飲んだ。


「……兄様、おいしい……」


掠れた声だったが、確かに笑顔だった。


カイは、握りしめていたハナの手を、ゆっくりと離した。


(……生きた。俺の妹が、生き延びた)


これまでずっと押し込めていた感情が、胸の奥で熱く膨らんだ。だが、カイはそれを表には出さなかった。出すには、まだ早い。


カイは、ハナの状態をもう一度確かめた。


【対象:ハナ】

【職】:水呑百姓

【体力】:12 / 18

【武力】:1 / 4

【知力】:12 / 70

【魅力】:20 / 95

【統率力】:2 / 30


体力が、12まで戻っていた。あの夜の1から、確実に上がっている。指先の冷たさも引き、頬に薄く赤みが差し始めていた。


(……良かった。生きた)


そして、改めて並ぶハナの天頂の数字を、カイは見つめた。


(知力70、魅力95。……お前、とんでもないものを持って生まれてきたんだな)


その事実は、カイにとって、嬉しさと同時に、ある種の恐怖でもあった。


魅力95。それは、戦国の世においては「狙われる対象」になり得る数字だ。


(……守らなきゃならない理由が、また一つ増えたな)


カイは、静かに息を吐いた。


——


その朝、村は、これまでにない静けさに包まれていた。


村長家は、失脚した。


太田の指示で年貢帳簿が押収され、五郎は代官所に連行されたまま戻らず、その父である村長も、村長家の管理責任を問われて代官所に呼び出された。村の差配は、当面、代官所が直接派遣する役人の判断で行うことになった。


村人たちは、最初、何が起きたのか分からない様子だった。だが、五日が過ぎる頃には、誰もがカイのボロ小屋を遠巻きに見るようになっていた。


——畏怖と、好奇と、わずかな期待をないまぜにした視線で。


「兄ちゃん、おかゆ持ってきたよ」


近所の百姓の女房が、頭を下げて粥を差し入れてきた。


これまで一度も、カイたちに目を合わせなかった女だ。


カイは黙って受け取り、軽く会釈した。


(……変わるものだな。村長家が消えた途端に)


『鑑定』はあえて使わなかった。今の女房の心の中身は、鑑定では読めない。だが、彼女が今ここで頭を下げているという事実だけが、答えだった。村長家が失脚し、自分の評価が変わった。それ以上でも、それ以下でもない。


——


五日目の昼。


代官所から、正式な使者が来た。


直垂を纏った中年の武士と、その配下の足軽が二名。三人とも、村長の家ではなく、迷わずカイの小屋へ歩いてきた。


カイは戸を開け、雪の上に膝をついた。


「水呑のカイ、ここに」


「面を上げよ」


中年の武士は、低く落ち着いた声だった。


「私は代官所の徒士頭かちがしら坂部さかべと申す。先日、太田から報告を受けた。北の森の主の討伐、ならびに村の長年の不正を看破したお前の働き——いずれも、一介の水呑が成し遂げたとは思えぬ」


「恐縮にございます」


「で、ある。代官は、お前の処遇を熟慮された結果、ある決定を下された」


坂部は、懐から書状を取り出し、カイに手渡した。


カイは書状を受け取り、文字を追った。


水呑には本来読めぬ武家の書状だ。だが、知力36の頭は、見たこともない字を妙に滑らかに解読してくれる。


(……黒羽城。城主・黒羽長政ながまさ公の御直々の召命……?)


書状の内容は、こうだった。


——黒羽城主・黒羽長政が、北の森の主を討伐した若者の話を聞き、これを城下の足軽として登用したく、登城を命ずる。妹の病については、城下の薬師にて引き続き手当てを受けることを許可する。


「……お、俺を、城に?」


「うむ。今回の一件を、太田が城に報告した。その手柄を、長政公が直々に聞き及ばれ、お前を召し抱えるとの仰せだ」


カイの『鑑定』が、書状を視認のまま読み取った。


【鑑定:書状】

 ・正規の城代家老印あり。封蝋に偽造の痕跡なし。

 ・文面に虚偽なし。本物の登城命。


(……間違いなく、本物だ)


カイは、坂部の方を見た。すれ違いざまに少し触れて、鑑定する——という手はあるが、相手は格上の武士。無礼を咎められれば事だ。やめておく。


代わりに、カイは深く頭を下げた。


「ありがたきお話にございます。ただ、一つだけお願いがございます」


「何だ」


「妹は、まだ動かせる体ではございません。私が城へ参る間、妹を村に残すことになります。村長家が失脚した今、村の差配は代官所のお取り扱いと聞き及びました。妹と、妹を看ております寡婦のお吉婆に、村中の安全をお約束いただけぬでしょうか」


坂部は、カイをまっすぐ見た。


「……お前、そういう交渉ができる男か」


「水呑が城に上がるのです。残された者の命は、城に上がる代わりに代官所にお預けする、と、そう考えるのが筋かと存じます」


『交渉』が、言葉に重さを乗せていた。


坂部は、しばらくカイを見つめた後、ふっと息を吐いた。


「……了承した。妹と寡婦の身は、代官所が責任を持って預かる。村人がどう動こうと、二人には手を出させぬ。それで、よいか」


「ありがとうございます」


カイは、再び深く頭を下げた。


——


二日後の朝。


カイは、ボロ小屋を後にした。


背負っているのは、わずかな着替えと、熊の毛皮を裁断して作った防寒着、そして父の形見の古い小刀だけだった。槍と鉈は、お吉婆さんに預けた。「婆さんが俺以外に襲われたら、これで戦え」と冗談めかして言ったが、お吉は真顔で「使い方を教えてくれ」と言ってきた。仕方なく、雪の上で半刻ほど、槍の構え方だけ伝授した。


ハナは、お吉の小屋の前で立っていた。まだ歩くのも辛いはずだが、自分の足で立っていた。


「兄様、行ってらっしゃい」


「ああ。行ってくる」


カイは、ハナの頭にそっと手を置き、北東——黒羽城の方角へ歩き出した。


——


黒羽城。


奥州の荒野にそびえるその巨城は、カイにとって「天を突く怪物の口」のように見えた。


重厚な石垣、立ち並ぶ櫓、行き交う武士たちの研ぎ澄まされた空気。城門を一歩くぐるだけで、これまでの村の理屈が一切通じない別世界であることを、カイの皮膚が感じ取っていた。


カイは、書状を受付の足軽に示し、城内に通された。


通される廊下で、すれ違う武士たちの姿を、カイは目で追った。


『野性の勘』を絞り込む。


(……重い。ここの武士たちは、太田様より重い気配の者が、少なくとも何人もいる)


『勘』は数値を教えてくれない。だが、気配の重さの差は、はっきりと感じ取れた。城下の役人と、城内の武士は、明らかに格が違う。


「おい、新入り。よそ見して足を止めるな。ここは足軽が立ち止まって良い場所ではない」


組頭の荒木田あらきだが、苛立ち混じりにカイの背を小突いた。


カイに与えられたのは、城の最下層、足軽長屋の藁敷きの寝床。仕事は、うまやの掃除と廊下の雑巾がけ。


(……士分とは名ばかりだな。村にいた時と、やってることはほぼ変わらない)


しかし、カイは別段、不満を抱かなかった。


(……構わない。むしろ、これでいい)


代官所の太田が城にカイの名を上げ、長政公の耳にまで届いたとはいえ、カイ自身は所詮「水呑上がりの足軽」でしかない。最下層から始まるのは、当然のことだ。


問題は、ここから何を積み上げるかだ。


——


その日の夕刻。


廊下を磨きながら、カイは自分のステータスを呼び出した。


【対象:カイ】(17歳・Lv.5)

【職】:足軽

【体力】:42 / 42

【武力】:32

【知力】:36

【魅力】:53

【統率力】:25

【SP】:5


(……職が「足軽」に変わってる。なるほど、職ってのは、自分の意志じゃなく、世間がつけてくれるものなのか)


カイは、心の中で小さく笑った。


(SP5。スキル一つ分だ。新しい力を選ぶには足りないが、何もないよりはずっといい)


そして、雑巾を絞り直しながら、目の前を行き交う武士たちを観察し続けた。


『鑑定』は、相手に触れなければ使えない。だが、すれ違いざまに、わざと肩がぶつかる距離まで近づくのは、足軽の所作としては不自然ではない。


最初に「ぶつかった」のは、目つきの鋭い、中年の武士だった。組頭の荒木田だ。


「あっ、申し訳ございません!」


カイは慌てて頭を下げ、その瞬間、武士の手の甲に自分の指先を触れさせた。


【対象:荒木田直之】

【職】:足軽組組頭

【武力】:48 / 50

【知力】:22 / 28

【魅力】:18 / 25

【統率力】:35 / 45


(……武力48。村の中じゃ無敵の数字だ。だが、限界に近い。これ以上は伸びない)


「気をつけろ、新参者が」


荒木田はそれだけ言って、立ち去った。


カイは、もう一度雑巾を握り直した。


(……一人ずつ、見ていく。城という場所が、どんな数字で動いているか)


夜になるまでの間に、カイは何度か「ぶつかる」機会を作った。


すれ違いざまの祐筆らしい若い武士は、武力22/30、知力48/65。書を扱う武士の数字。


廊下の角で道を譲った中年の武士は、武力55/62、知力40/50、統率力50/60。荒木田より上の、おそらく物頭ものがしら格。


人の天頂は、一様ではなかった。武力が高い者、知力が高い者、両方を持つ者、どちらも凡庸な者。


カイの中で、世界の解像度が、また一段上がっていく。


(……少しずつ、わかってきた。武力32、知力36の俺は、足軽としては並、書役としては論外。だが、両方を併せ持つという意味では、城の中でも珍しい部類だ)


——


夜。


足軽長屋の藁布団の上で、カイは目を閉じていた。


長屋の隅で、若い足軽が一人、こちらを見ているのに気づいていた。カイと同じくらいの背格好。痩せていて、目が落ち着きなく動いている。


(……同期だな。俺と同じ日に入った口減らしの百姓三男坊か)


カイは、軽く会釈だけしておいた。男も会釈を返した。それで終わりだった。


足軽長屋には、独特の空気があった。


古参が新参をいびる。いびられた新参は古参に擦り寄るか、潰される。組頭の荒木田は、いびりを止めず、むしろ「鍛えだ」と笑って見ている。


カイは、初日からそれを観察していた。『野性の勘』が、誰が誰を狙っているかを、空気の流れで教えてくれる。


(……佐吉、兵助。あの二人が、特に質が悪い。組頭の縁続きで、長屋の幅を利かせている。狙いは、新入りの俺と、もう一人の同期だな)


カイは、まだ動かなかった。


動くなら、相手から手を出させてからだ。先に手を出せば、こちらが「乱暴者」になる。


(……もう少し、観察する。こいつらの動きの癖、武器、寝入りの時刻。すべて把握してからだ)


廊下の方から、わずかな足音と、布の擦れる音が聞こえた。誰かが、深夜に廊下を歩いている。武士の足取りではない。だが、足軽でもない——もっと、軽く、しかし重心が低い。


『野性の勘』が、それを「異質」と告げた。


(……何だ、あの足音は)


だが、それは廊下の角を曲がり、すぐに気配が消えた。


まるで、霧のように。


カイは目を閉じたまま、頭の片隅にその違和感だけを刻んだ。


——


冬の夜気が、長屋の床下から這い上がってくる。


カイの隣で、同期の若い足軽が、寒さに身を縮めて寝返りを打った。


(……明日からだ。明日から、ここで生き延びる方法を探す)


カイの瞼が落ちる。


水呑百姓だった少年は、城という新しい「檻」の最下層で、再び一から積み上げる夜を迎えていた。


だが、もう村にいた頃のカイではない。


体力42、武力32、知力36。


熊を倒した手と、五郎を屈服させた頭が、ここにある。


それで足りるかは、まだ分からない。


だが、足りないものを買うための「樹」は、いつでも、彼の脳内に揺れている。


——


■ 第五話・終 現在のステータス


【対象:カイ】(17歳・Lv.5)

【職】:足軽

【体力】:42 / 42

【武力】:32(剛力使用時:57)

【知力】:36

【魅力】:53

【統率力】:25

【SP】:5


【保有スキル】

 野性の勘(Lv.1)/剛力(Lv.1)/鑑定(Lv.1)/冷静沈着(Lv.1)/交渉(Lv.1)



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