第八話 閉ざされた部屋
気づけば、外はすっかり暗くなっていた。さっきまで差していた陽も落ちて、窓の外は青く冷えた空気に包まれている。通りを歩く人たちも、どこか足早だ。
……寒いな。
診察室の窓を開けて、空気を入れ替える。ひやりとした風が流れ込んできて、思わず大きく伸びをした。肺に冷たい空気が入る。嫌いじゃない。
袖をまくって机に戻ると、自分の腕にある傷跡が目に入った。もう見慣れたものだ。気にせず、書類に視線を落とす。朝から作ってきた記録の確認と、明日の準備。手は慣れたものだ。淡々と処理していく。
――その途中で、ふと手が止まった。
違和感。
一枚の資料を引き抜いて、他の書類と見比べる。
……混ざってるな。
確認のためにそれだけ持って、部屋を出た。廊下はもう人もまばらで、暗い部屋も増えてきている。そのまま奥へ進むと、ちょうど一人の研究員が部屋から出てきた。
「お疲れ様です」
「お疲れ。この部屋に用か?」
鍵束を持った男が、扉に鍵をかけかけて止まる。
「はい。明日の患者の資料に、別のものが紛れていて。返却しようかと」
「珍しいな、書類が混ざるなんて」
「同じ名前の患者がいたみたいで……」
そう言うと、納得したように頷いた。
「ああ、この時期ならあり得るな。新人も多いし」
「なので、他にも取り違えがないか確認しようと思って。鍵、お借りしても?」
「いいけど、あんまり遅くなるなよ」
「ありがとうございます」
鍵を受け取って、部屋に入る。
中には棚がずらっと並んでいて、隙間なく資料が詰め込まれている。そして一番奥には、見慣れない鍵付きの扉。
……あれは、入ったことないな。
明かりをつけて扉を閉めると、やけに静かになった。手元の資料を確認する。
登録は――十年近く前。この研究所の資料は、すべて十二桁の番号で管理されている。日付や性別なんかを元にした番号だ。棚の番号を追いながら、奥へ進む。中ほどで足を止めて、背表紙を指でなぞる。
……あった。
同じ番号を見つけて、一冊引き抜く。中を開いて、混ざっていた資料を戻す。ついでに中身を確認していると、違和感に気づいた。
……記録が、足りない?
登録時の治療記録が抜けている。十年前の資料だ。書き方も今とは違うし、新人でも違和感に気づくはず。
首をひねりながらページをめくると――インクが滲んだ跡が目に入った。
ああ、これ。
書いた直後に紙を重ねたときのやつだ。乾ききる前のインクが移る。なんとなく気になって、その跡をじっと見る。
ほとんど読めないが、かろうじて単語が拾えた。
『貴重』『奥』『移動』
……奥?
視線が自然と、部屋の一番奥へ向く。
あの扉しかない。
ゆっくり近づく。扉には、番号式の鍵がついていた。
十二桁。
手元の資料と、同じ桁数。
……まさか。
少し迷ってから、番号を入力してみる。
――開かない。
当たり前か。
少しだけ安堵して、背を向ける。
……いや。
もう一度振り返る。
好奇心と、少しの後ろめたさ。
いくつか適当な番号を試す。
当然、開かない。
最後に。
……自分の番号。
登録番号くらいは、忘れるはずがない。
指が勝手に動く。
最後の数字を押した瞬間――
カチリ、と音がした。
……え?
思考が止まる。
鍵は、確かに開いていた。
ゆっくりと扉に手をかける。
開く。
中には、また資料の棚。
でも、違う。
見たことのない番号で管理された資料が並んでいる。
心臓の音がうるさい。
適当に一冊手に取る。
『獣』『騎士』『生命力』『実験』
……なんだ、これ。
分からない。
分からないまま、棚の奥へ進む。
――あった。
一番奥。
少し古いが、埃はない。
それを取り出して、表紙を見る。
書かれていたのは。
――俺の名前。
『被検体1 グロウ・クロワ』
……は?
力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
目を閉じる。
……何だよ、それ。
研究所の奥にあった記録と、そこに残された痕跡。
小さな違和感が、少しずつ形を持ち始める回でした。
まだ何も分かりませんが、確実に何かが動いています。
続きも楽しんでいただけたら嬉しいです。




