夕食
懐かしい人と再会し、懐かしい味を堪能するルナに異変が?
セレナはルナの本名です。
「今日ばかりは、私の我が儘をお聞き入れください」
エドワードは慇懃に一礼すると、ルナの冷え切った身体にそっと毛布を掛けた。
「お嬢様のそのお体に、これ以上の行軍は危険でございます。幸い、ここは外界の目を欺くために魔術的に秘匿された安全な場所。……今夜はどうか、ここでお泊まりになられては? ヴァレンタイン家の執事として、主を傷ついたまま夜の闇へ返すわけにはまいりません」
エドワードの変わらぬ温かな声音と、暖炉から立ち上る微かな熱気に、ルナの張り詰めていた神経が僅かに弛緩する。何より、限界を超えて磨り減った身体は、これ以上の拒絶を許さなかった。ルナは小さく首を縦に振り、丸テーブルの椅子へと深く腰掛けた。
「……少しだけ、休ませてもらうわ。エドワード」
「畏まりました。では、すぐに夕食を」
そう言って帳の奥へ下がったエドワードは、やがて銀のトレイに載せられた一皿の温かいスープを運んできた。かつてヴァレンタイン家の厨房で、ルナ、いや、セレナだった時に風邪をひいた際によく作ってくれた、香草と鳥肉の煮込みスープだった。懐かしい匂いが、湯気と共にルナの鼻を優しくくすぐる。
「まずは一口、温かいものを。お嬢様の好む味付けにしてございます」
「ありがとう……」
ルナは木製のスプーンを取り、スープを口に運んだ。一口ごとに、凍てついた身体がじんわりと解きほぐされていくような錯覚を覚える。しかし、懐かしさに気を取られそのスープの深い味わいの奥に、ほんの僅かな、極めて精緻に隠蔽された「異物」の苦味があることに気がつかなかった。アサシンとしての勘さえも、エドワードというかつての絶対的な味方を前に、完全に牙を抜かれていた。
三口、四口とスープを運んだところで、不自然なほどの重苦しさがルナの瞼を襲った。
(……おかしいわ。これ、は……戦闘の、疲労のせい……?)
頭の芯が急激に濁り、思考の糸がぷつぷつと断ち切られていく。視界が二重、三重にブレ、持っていたスプーンが指先から滑り落ちて、石の床に高い音を立てて転がった。
「セレナ……お嬢様?」
エドワードの声が、まるで深い水の底から響いてくるかのように遠い。ルナは朦朧とする意識の中で、必死に右腕を動かそうとしたが、鉛のように重くなった身体はびくともしなかった。肩の上のホークアイもまた、主の異変に気づいて激しく羽ばたこうとしたが、ルナの精神とリンクしている彼もまた、強烈な睡魔の波に飲まれ、力なくその場に突っ伏した。
「エド、ワー……私、どうして……こんな、に……」
なぜ自分が眠気に襲われているのか、その理由すら理解できぬまま、ルナの紫色の瞳はゆっくりと閉じられ、ルナの身体はテーブルへと崩れ落ちた。静かな寝息が、洞窟の中に響き始める。
「お嬢様! セレナお嬢様!!」
その瞬間、エドワードの表情が一変した。彼は血相を変えてルナの元へと駆け寄り、その細い肩を激しく揺さぶる。
「なんということだ……! 旅の御疲れがこれほどまでにお嬢様の身体を蝕んでいたとは……! ああ、私がもっと早くにお迎えに上がっていれば、このような深い昏睡に陥るまで無理をなさらぬものを……!」
エドワードは自身の胸元を掻きむしり、まるで天を仰ぐかのように狼狽してみせた。その声には、傷ついた主を心から案じる忠臣としての「焦りと絶望」が完璧に演じられていた。ルナをこれほど深く眠らせた原因が、自らがスープに仕込んだ、魔導師の感覚さえも欺く特殊な睡眠薬であることなど、おくびにも出さない見事な狂言。
倒れ伏したルナの寝顔を見つめるエドワードの狼狽の瞳。その奥で、演じられた焦燥の裏側に隠された、冷徹で歪な「何か」が、消えかけた暖炉の火に照らされて、一瞬だけ妖しく蠢いた。
エドワードの目的は一体何でしょうね?




