事件簿6「ボイラー点検で事故発生!」後編
まずは被害者が倒れていたボイラーを調べることにする。屋敷から連れてきた小鳥の鳥かごを手に中に入る。無垢な表情で飛び跳ねたり首を傾げたりする様子に、すこし心がいたむ。
一般的に小動物は一酸化炭素への感受性が高いとされている。炭鉱労働者が小鳥――カナリアが有名だろうか――を伴って仕事に向かったというのはよく聞いた話だ。
こちらの世界でも炭鉱などではポピュラーな災害抑止の手段なのだけれど、日常的に危険個所に立ち入ることがない今回のような工場の場合は、そのような小動物は用意していないことの方が圧倒的に多い。
思いのほか空気は清浄の様に感じられた。事故が起こってから時間が経ったからだろうか。ここで一酸化炭素中毒による事故が起こったとは思えないくらいだった。
石炭はホッパーから導入路を経由し自動でボイラーに投入される。導入路は狭く、人の頭が入るかどうかといった感じだ。
覗き込んでみると少し離れたところにうっすら明かりが見て取れるので、そこがミル――石炭を細かく砕く機械だ――の出口辺りなのだろう。通常は密閉している部位なので明るいという状態は運転時ではおき得ないはずだが、現在は点検の最中だったためか、点検口の類が開いているのだろう。
頭上には整然と並ぶ無数の金属管が、ちょうど切妻屋根の様に並んでいる。この中を高圧の水が流れ、蒸気を発生しタービンを回すのだ。その奥の天井面には排気口があるはずだが、金属管や元々の薄暗さが手伝ってよく見通せない。
足元は一部燃え残っている石炭のほか若干砂も交じっているようで、歩くたびにじゃりじゃりと音を立てる。
その後もボイラーの確認を続けてはみたものの、想像はしていたが特に目立った収穫は得られなかった。
排気工程はどのように点検するのかを工場長に尋ねると、上階に排気設備を点検する場所があるという。早速案内してもらう。
階段で上がるようだが、ところどころ煤でついたのだろう、足跡が残っている。かかと側だけついている。おそらく下りの足跡だろう。
「なんだ、片付いていないじゃないか……」
排気点検口があるという三階に上がってくるなり工場長がぼやいた。
三階というより屋上と言った方がいいそこはちょっとした広さがあり、その端に煙突設備が据えられている。その一部が開くようになっていてどうやらそこが点検口のようだった。
見ると点検口あたりの床がずいぶん煤で汚れていた。工場長はこれを見てぼやいたのだろう。
「点検するのですから、汚れるのはある意味当たり前なのでは?」
「いや、この場所は休憩時にも使うので点検後はきちんと清掃するようにしているのです。二人しかいないから手を抜いたのか……?」
そういってぶつぶつ言いながら扉に向かって歩き出す。煤には足跡がいくつかついているようだった。
「あ、ちょっと工場長さん止まって!」
「え、なんです?」
「足跡をちょっとしらべたい」
足跡はずいぶん特徴的だった。点検口に向かってほぼ正対した左足にくらべ、右足の跡がない。またこの左足の跡には煤がほとんど降っていない。煤が降るような状況の前にここに足をついていたことになる。
足跡から見て後ろに下がった先には楕円形の形と手形がひとつ。
つまりこれはのけぞって右足をそのまま振り上げた後、尻もちをついたといったことか。
それとは別の足跡。同一人物だとは思うけれど煤を踏みつけつつ移動している。これは煤が降った後を歩いたからだろう。念のため、ペトラに手と足のサイズを測ってもらう。
「この点検口って、普段どのように使うんですか?」
「そうですね。日頃の点検では過度につまりが無いかを目視で点検することと、清掃の際には清掃具を取り扱うために使いますね」
「清掃具?」
「まぁでかいブラシみたいなものです。それを煙突の上とココの両側で持ってこう、ゴシゴシと」
「なるほど。では点検時にこのように汚れることは?」
「ああ。おっしゃりたいことが判りましたよ。確かに目視検査くらいでこんな汚れることはないですね。……すこしつまり気味だったのかもしれません。そういう時はですね……ほらこれ。これで思い切り吹き飛ばすんです」
そういいながら工場長は傍らにある道具入れのようなところから人の頭よりずいぶん大きな道具を取り出した。大きさの割にはずいぶん軽いらしく、楽に取り扱っている。
「このフイゴで吹き飛ばせば、大体解決します」
そうやって傍らから持って出てきた工場長は、腕を左右に動かしフイゴを動作させる。それは動きに合せてフシュ、フシュと空気の吹き出る音をたてた。
「これを使ったらこの床のような状況に、なりそうですね」
「ある程度は逆流してきますからね。こうなります」
工場長は床を見て肩をすくめる。
「ということはつい最近これを使ったということよね。……どう思う、ペトラ」
なんだろう、この違和感。
「ガスがボイラー内に充満した理由としてはここでフイゴを使ったから、という可能性が高いでしょうね。問題は誰が使ったのか? ってところでしょうか」
「そうなのよ。やるわねペトラ」
「えっへん」
成長してもかわらず成長のあとがみえない胸を張ってペトラがドヤった。
「じゃあペトラ、試しにやってみてくれない?」
「え、なにをです?」
「それで勢いよく空気を吹き込んでみて」
「それやったら私、汚れませんか?」
「……するどいわねペトラ。驚いたわ」
「フラン様? 私だって怒ることもあるって知ってます?」
仕方がないので別の従業員に試してもらうことにした。
「スルーですか!?」などとうるさいペトラを後目に工場長に若い子を連れてきてもらった。
大方の予想通り、思い切りフイゴで空気を吹き込むと盛大に煤が吹き返してくる。実験に付き合ってもらった子には悪いけれど、よくわかった。
そしてやや急ぎ足でボイラーに向かう。入口から中の様子を伺うだけでわかる。
「こんな状況で中に入りたいと思う?」
目を向けたペトラが露骨に顔をゆがめる。
「うわ、煤だらけ。これじゃ入れないですね」
「しかし今でも解せないのが、イヴァンが手抜き作業を提案したということなんですよねぇ。そういう悪知恵が働くのはむしろウドというか……」
「それ、どういうことかしら」
「いやなに、イヴァンは真面目が服を着ているような男でしてね。対してウドは隙があるとすぐに手を抜くというか」
その言葉で確信した。
「――悪いんだけれど、ウドを連れてきてもらえないかしら」
「お呼びですか、お嬢様」
「悪いわね。さて、前置きなしに言うけれど。あなたが犯人でしょ」
「……え、何のことですか」
「もう一度聞くわ。今回のボイラーの点検は二人でおこなった。間違いないわね」
「はい、イヴァンと役割を分担して……」
「で、あなたは石炭ホッパーからボイラーまで、彼がボイラーから排気までを担当することにした。これは彼のアイディア、だったかしら?」
「はい、彼女のところに行く用事があるとかで早く仕事を終えたいと」
「ライラに聞いたけれど、そんなに急ぐ用事でもなかったそうよ?」
「えっ。い、いや確かにイヴァンがそう言ったので」
「まぁいいわ。イヴァンがガス中毒になったのは、作業中にガス混じりの空気を吸ったからというのは間違いないのだけれど、すこし妙なことがあってね」
「……妙なこと?」
「ええ。そのガスを吸うための条件が厳しくてね」
「そんなこと。煙突から強風でも吹き付けたのでしょう。それで排気設備に滞留していたガスが」
「当時は無風。逆流するほどの風は吹いていないわ。もっとも逆流防止の煙突になっていることは、あなたも知っているわよね」
「そ、そうですね。では点検口かも」
「ああ、なるほど点検口」
「そこからフイゴを使って吹き込んだとか」
「ふんふんフイゴ。確かに。誰がやったのかしら」
「そりゃ担当のイヴァンが。そうすればボイラーにガスが」
「なるほどね。でもそれっておかしくないかしら」
目をぱちくりさせてじっくり思案を巡らしたようなウドがやがて言葉を絞り出す。
「……どういうことです?」
「工場長さん。まず確認したいのだけれど、事故があった際、このボイラーの周りにいたのはお二人だけ。それは確かよね?」
「はい、周りの従業員もそう言っています。もともとボイラー棟は火気があるので開けた場所にありますから、だれか来たらいやでも目につきます。それに多重事故の可能性もあり得たので、点呼もしましたから間違いありません」
「検査の手順通りに実施したというのなら、誰がここでフイゴを操作したのかしら?」
ウドは当然といった表情で口を開く。
「だからそれはイヴァン」
「うーん、でもそれじゃあ手順通りではないわよね? それにその手順では無理よ」
「ど、どうして」
「だってボイラーが煤まみれになるんですもの。中は見通せないし検査なんてできる状態じゃないってだれでもわかるわ。そうでしょ?」
「そうかも、しれ、ません」
「ということで操作したのはあなた、ってことになるわけだけれど」
手のひらでウドを指してやると、彼はにわかに気色ばんだ。
「いや、違いますよ! なんで私がそんなこと!」
「貴方の顔や服の汚れ。あれはまさに排気設備の点検口にフイゴで空気を送ったときについたものでしょう?」
私の小ばかにしたような物言いがお気に召さなかったのか。顔を更に赤らめて言い募る。
「なんでっそんなこと!」
「わかるんだ、って? そりゃあ試したからよ。……彼に来てもらって」
工場長が一つ頷くと、さきほど『犠牲』になってもらった従業員に来てもらった。その姿を見たウドは途端に顔色を失くす。
「なっ、なっ……」
「ほら、顔と上半身だけ汚れて。下半身は綺麗で……背中側を見せてくれる?」
「ね? 背中側はキレイ。……あなたと同じ汚れ方」
「これはっ……ホッパーの点検中にっ……それにっ」
「それに?」
「わ、私が排気の点検口に行こうとしたらイヴァンに気づかれますよ! それじゃ驚かせられ……ない」
ウドは言葉の途中から何やらしまったという表情をみせた。声のトーンも途端に尻すぼみとなる。
「なるほどなるほど、驚かせたかったんだ?」
しばし沈黙が流れた。彼にとっては永遠の時に感じられたかもしれない。
ウドはあきらめたのか、深いため息をひとつつくと「私がやりました」と小さく口にした。
「ちょっとした嫌がらせのつもりだったんです」
惚れていた女の子を取られた妬みによる犯行だったようだ。
結婚が決まったイヴァンを少し困らせてやろう、と。
――作業を二つに分けたのもそのためだった。自身はホッパーの点検に行くふりをしてイヴァンがボイラーに入るのを陰で確認し、彼が背を向けている間にウドはそおっと三階に上がり、点検口からフイゴを使って空気を送った。
吹き戻しで自分も煤を被って大変なことになったが構やしない。あいつはきっと全身真っ黒だ。出てくる姿を待ち構えて笑ってやろう。
けれどそうやってボイラーの出口で待ち構えていたが一向に出てくる気配がない。やがて煤が落ち着いたボイラーの中にはイヴァンが倒れていた――ということらしい。
ふざけるな、お前のうっぷん晴らしの結果がこれだぞ!
「こ、殺すつもりなんてなかったんです、本当です! ちょっとしたいたずらのつもりで私は」
いいかげん黙らせようかと思ったけれど、そこから先の言葉は唐突に途切れた。
そのままウドが床に倒れ込む。驚いて隣に目を向けると工場長が涙を流しながら拳を振りぬき、荒い息をついていた。
今回のようにいかに手順や道具を整備したとしても、人がルールや仕掛けを意図的に無視した結果残念ながら災害に至るケースもある。
ただ困らせたい、困った顔が見たい。ウドが行ったそのあまりに幼稚で利己的な行動はいたずらという範疇をこえ、破局的な代償を支払うこととなった。
今回の件は職場安全の観点において、「作為による不安全行動、および状態の作出」といえるだろう。結果ライラは婚約者と親友を同時に二人失い、工場としても貴重な戦力を失なった。
日常にも様々な危険が姿かたちを変え潜んでいる。工場勤務でないから安心、だからちょっと気に入らないからいたずらしてやろう。ここで背中をポンと押したらびっくりするだろう。これくらい大丈夫。そういう気持ちが人にはある、それは事実だし自然だ。
けれどそんなうっぷんを気軽に職場で晴らした結果、深刻な悲劇を生まないようモラルの教育を推進しつづける必要があるのだろう。
そのような日々の地道な積み重ねこそが災害を一件、また一件と減らす原動力になるということもまた事実なのだ。




