事件簿6「ボイラー点検で事故発生!?」前編
今日の現場も事故現場だ。
そういう現場は何度立ち会っても慣れるものではない。
いや、慣れるべきではない。
馬車が止まり、程なく御者さんが扉をひらく。同時に耳朶を叩くのは女性の悲鳴にも似た泣き叫ぶ声。絶望的な状況を想像させるその声に、否応なく気持ちは滅入る。
心のなかで深い溜息と、まだ見ぬ犠牲者への祈りを捧げた。
「ごめん、ペトラ先行って」
おさげの薬師――最近は医師としても活動している――は頷くと大きなバッグを抱えて小走りに工場へと向かった。
――製造業は常に危険と隣合わせだ。
領地内の各種産業のカイゼン活動に携わるようになってからずいぶんと安全に気を使った施策を打ち出してはいるけれど、根絶できるものでないことは私自身経験から知っている。
死亡災害件数でいえば建設業と並ぶ危険な業種といえる。建設業では墜落や転落がダントツであることは想像に難くないだろう。製造業では機械装置が主な起因物――死亡に至る原因、となる。
ものづくりをしている以上、設備をなくすわけにはいかない。そして生産活動をする以上、災害は必ず起きる。
私達の活動はまるで砂に水を撒くがごとく。賽の河原で石を積み上げるがごとく。いつ果てるとも知れない無謀なチャレンジなのかもしれない。
災害が発生しない社会の実現。そんなコト夢物語かもしれない。実際無理だ。自分だって思う。けれど私は諦めない。いつか実現するために、今日を精一杯生きる。
だから今日も声掛けをするのだ。『ゼロ災でいこう、ヨシ!』と――
ペコペコと卑屈な態度で頭を下げる工場長がついてくるなか、ペトラを追って現場にたどりつく。彼女はすでに活動を始めていた。大きく開いたバッグから、せわしなく道具を取り出す様子がみえた。
「先生、彼、たすかりますよね!?」
地面に横たえられた人の脇で手早く状況を確認している様子のペトラ。その脇で泣きはらした様子の女性が訴えかけている。その周りを数人の作業員が取り囲んで様子を見下ろしている。
「しずかに」
ペトラはそんな女性のことを無視し、黙々とバイタルチェックを進めている。彼女の火事場での集中力は相当なものだとおもう。
「せ、先生! ほ、ほらまだこんなに顔色だっていいんです。……助かり、ますよね?」
一通り確認し終えたのか、身を起こし小さくため息を付くと、ペトラは女性に向き直った。
「あなた、こちらの方との関係は」
彼女の鋭い視線に射すくめられでもしたか。女性はわずかに身を引いた。
「え、はい、婚約者、です。か、彼は、イヴァンは」
ペトラが横たわる患者に再び視線を向ける。
「そうですか……。残念ながら、すでにお亡くなりになっています」
「え」
「ガス中毒です。状況からいって、苦しまずに逝かれたかと」
「いや、だってこんなに血色も」
女性が言い募るのを遮るように、再びペトラが彼女に目を向けた。
「良すぎるんです。これは石炭の燃焼時に発生する毒ガスにやられた症状です」
「そんな、毒、ガスだなんて」
「心中、お察しします。……だれか担架を。彼を一旦ご安置できるところに」
「いや、いや、うそでしょイヴァン、やぁ……」
再び女性は泣き叫びだした。犠牲者が事務所に運ばれるのにあわせこの場を離れ、まもなく現場は静寂を取り戻した。
一酸化炭素の危険性を周知していたはずの工場での死亡災害だ。こういうときは自分の無力さを痛感せずにはいられない。
握りしめた拳に爪が食い込む。そんな右手をいつの間に隣にきたのか。ペトラがしゃがんでそっと両手で包んでくれた。
「大丈夫ですよ、フラン様のせいじゃないです」
「ペトラ……」
「うん、フラン様はいつも頑張ってらっしゃるから。きっと今回も別の理由があったんですよ。もう、そんな泣きそうな顔。らしくないですよ?」
「な、泣いてなんか」
「たしかに犠牲になられた方にとっては不幸な事故でしたが……」
そこでわずかに視線を落としたペトラはしかしすぐに顔を上げる。
「また新たな問題点を見つけてカイゼンできたら、将来のみんなが助かります! うまく言えないですけど……だからきっと大丈夫ですよ? うん、大丈夫」
そうやってペトラが頭を撫でるものだから、不意に目頭があつくなる。
「ふふ、なにそれ。慰めてるつもり?」
「あ、そういうところ可愛くないですよ、フラン様」
「可愛くなくて結構。よっし! じゃあ気合い入れて、物証を確認しますか!」
立ち上がり彼女に背を向ける。涙は隠せたと思う。よかった。
――ペトラ。ありがとね。
現場に向かおうとしたが、ハタと気付き急ぎ足で事務所に向かう。
「ど、どうしましたフラン様」
「いえ、あの彼女。物証を消してしまわないかと気になったものだから」
事務所に着いたとき、まさに心配した通りの状況が始まろうとしていた。
「ごめんなさい。彼女さん、ちょっと待ってもらえますか」
犠牲者の婚約者と名乗った女性が犠牲者の汚れを拭き取ろうとしているのだろう。私の声に布を持つ手を止め、こちらにその泣きはらした顔をむけた。
「彼自身の状況確認を先にした方がいいと思いまして。……彼をキレイにしてあげるのは少し待っていただけますか」
おずおずと手を引っ込めると、女性は身を引いた。
「ごめんなさい。時間は取らせませんから」
ペトラが手袋をつけながら女性に声をかけた。
外観を眺める。全身煤まみれ。ボイラーの中に、奥に頭を向けうつ伏せに倒れていたという。なるほど、顔にはところどころに砂粒が付着しており、おでこなどは血が滲んでもいる。
「おでこ、鼻、顎……正中にだけ集中して付着しています。倒れた後、顔を動かした様子がありませんね」
意識を失ってから倒れた、と考えるのが自然ということか。
顔色は煤にまみれていてもはっきりわかるほど頬紅を差したようなピンク色。典型的な一酸化炭素中毒の症状だ。鼻腔および口腔内も煤が多く付着している。呼吸が止まってから煤を被ったわけでもなさそうだ。また熱傷の痕もない。火が熾きていたということもないようだ。
「おかしいですね、状況が」
ふいにペトラが声をあげた。
「なに? 何か気になること、ある?」
「ええ。煤を被るような状況が起きたら、普通は出口に向かおうとしますよね。ですが彼は出口に背を向けてうつぶせに倒れていた。そうですよね?」
「ああ、それは簡単よ。逃げる間もないほど、あっという間に気を失ったのよ。あなた、倒れるときにおでこから倒れたりする?」
「しませんね。先に手が出ま……あ」
ペトラが手を前に突き出してハッとしたような表情を見せる。
「うん。手のひらにも砂は付着していない。倒れる前に意識を失っていたということね。おそらく煤混じりの空気に高濃度の毒ガスが含まれていたということでしょう」
その他の生活反応やほかの部位の外傷の有無などを見た限り、倒れた直後までは生きていたことが分かった。例えば背後から何者かによって殴られ倒れた、など事件を匂わせる状況証拠は見つからなかった。
「ありがとう、待たせたわね。おかげで彼――イヴァンが死に至った状況がより詳しくわかったわ。えっと……」
「あ、わたし、ライラと申します……あの、じゃあ」
「ええ。きれいにしてあげて、ライラ」
そんな彼女に男がひとり近づき、声を掛ける。
「大丈夫か? ライラ」
「ええ……ありがとう、ウド。大丈夫よ」
遠巻きに彼らの様子を伺いつつ、工場長に小声でたずねる。
「彼は?」
「ああ、彼はウドと申しましてイヴァンと同じくここの作業員です。今日は二人で点検を行っていたのですが……ウド、少しいいか」
ウドと呼ばれた男は工場長に気づくと、もう一度ライラを気遣う様子をみせてからこちらにやってきた。
「悪いわね。彼女とお知り合いなのかしら?」
「え、ええ。イヴァンと三人、幼馴染です」
気の良さそうな青年だ。工場勤務らしく大柄でそれなりの体格をしているが、言葉遣いも丁寧。どちらかというと場違いなほど線の細さを感じさせる。
「そうだったの……残念だったわね。こんな時に申し訳ないけれど、彼と一緒に作業をしていたと聞いたわ。当時の状況を少し聞かせてもらえるかしら。あなたは今日、どういった作業をしていたの?」
「はい。私の担当は点検の補佐です。イヴァンが主担当で。彼がああなったときは多分石炭ホッパーの点検をしていました」
「多分?」
「ええ。なにせ音も何もしなかったものですから、いつ事故が起きたのかがはっきりしなくて」
真っ先に思い浮かんだのはなぜ一人作業だったのかということだ。この工場の点検標準では危険個所では二人作業が徹底されていたはずだった。
「ところで工場の標準では安全確保のため、必ず二人一組で作業することとなっているはずだけれど、どうして一人だったのかしら?」
私の言葉にあからさまに動揺の色をみせた。その認識はあったようだ。
「それは……こう言ったら怒られてしまうのですが、慣れている作業ですので。今日はその、イヴァンがそうやって早く終わらせようって」
「……呆れた。あなた、それは諫めるべきでしょう」
「そうですね。いま思えば止めるべきだったと思います。けれどあの時は自分も早く帰りたい想いで気軽に同意してしまいました」
するとライラが声をあげた。
「うそ、イヴァンがそんな適当なこと言うわけないわ」
「というと?」
「彼すごく真面目で、手抜きとか大嫌いなんです。少しくらい時間短縮できるからってそんなこと……」
「って言ってもライラ。イヴァンは『このあとライラと会う約束があるから、急がなきゃ』とかいってたぞ」
ウドの言葉にライラは少なからずショックを受けたようだった。
「そんな……なら私がわがままを言ったばっかりに彼は」
「ちょっと落ち着きなさい。それが理由とは断定できない。憶測で考えてはダメ」
整備はホッパーから始めて最後に排気口、と燃焼の順に流していくとのことだった。そこをホッパーからミル、投入と、燃焼から排気の二手に分かれて半分の時間で終わらせようとしたらしい。離れた場所であったため、被害に気が付かなったのだろう。
「ちなみに毒ガスの危険性については、工場長辺りから聞かされていたかしら」
「もちろん危険だと知らされています。なので手順を順守して」
「一人作業をしていたのに?」
「……その点に関しては言い訳のしようがありません」
一人作業は重大な標準からの逸脱行為ではあるがそれ以外の手順に関して特段問題になりそうなことはなかった。見ればウドにも疲れの色が見てとれる。医務室で休んでいてもらおう。聞きたいことがあればこちらから出向けばいい。
「そういえばあなたもずいぶん汚れているわね。あなたも煤を?」
ウドの顔や服にも煤のような黒いものがずいぶん付着している。しかしイヴァンと違い背中側はさほど被害を被っていないようだった。
「え、そうですか? 気づきませんでした。多分ホッパーを点検した際にでもついたのでしょう。あそこも石炭の粉が相当舞いますから」
「ところでその肘、どうしたの?」
ウドの肘に巻かれた包帯を指さすと、恥ずかしそうに頬をかいた。
「これですか。イヴァンを助け起こそうとしたとき、あわててボイラーのどこかにぶつけたみたいです。ぜんぜん覚えてないんですけれど。ドジですよね、ホント」
彼に身体を拭いてから医務室で休むよう伝えると、力なく頷きこの場を去った。
我々は現場に戻ることにする。その道すがら工場長と会話する。
「さて、なぜ致死量の毒ガスを浴びることになったのかという点ですが……当時強風が吹いていたとかはありますか? 運転を止めていたのなら、逆流の可能性もあるのでは」
だが工場長は明確に「それはない」と否定した。今もそうだが今日は朝から無風だ。強風に押され、残存している排気が燃焼室に逆流したと考えるのは少し無理がありそうだった。
「しかし気の毒なことをしました」
「彼のことかしら」
「そうですが彼女に対しても、ですね。あの二人、来月に挙式の予定だったんですよ」
「……やりきれないわね」
まったくです、と工場長は返した。
なおのこときちんと調べねばなるまい。
彼らのためにも、今後の作業員の安全のためにも。
「まずは現場をすべて確認しましょうか」
事故原因を調べるためにも現地現物は必須だ。見過ぎて困ることなどない。




