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第19話 落下を防ぐ、床と囲いと安全帯

 ペトラの後を追うようにたどり着いた事故現場は、すでに多くの野次馬と男たちの大きな声で騒然としていた。

 従者に自警団と連携し人払いするよう指示をだす。すぐに数人の自警団メンバーが声をあげ、野次馬たちをけが人から引きはがした。


 すでに医師と思しき初老の男性とペトラがそばについていた。


 横たわり苦悶の表情を浮かべる男が、足場から落ちた作業員だろうか。見ると太ももに深々と鋭い物が突き刺さっている。工事道具の何かが落下の際に刺さったのかもしれない。


 医師の指示で彼女がいくつか薬を出し、その場で調合していく。手に持っているのは水薬だ。薬草だけかと思っていた彼女の薬は、実にバリエーションに富んだものだったことを今更ながらに知った。

 真剣な眼差しでテキパキと作業を重ねる。普段みせないその様子につい見入ってしまう。


 先ほど調合していた水薬が入っているのだろう、深い茶色をしたガラス瓶の口に布を押し当て、薬を含ませる。そのまま痛みで暴れる男の口にそっと押し当てると、男はすぐにおとなしくなった。瞳から光が失われ、カクリと糸が切れるように力を抜いた様子を医者と見合い、軽く頷いた。


 医者は躊躇なく作業ズボンをナイフで切り裂くとペトラが別の水薬をバシャリと創部に大胆に掛ける。間髪入れず医者は取り出していた細いナイフ――まるで手術用のメスのようだ――で太ももに刺さっている物の周りを切開していく。


 今の液体は麻酔薬だったのか。男は身じろぎもせずただ眠りこけている。ペトラは男の脈を取りつつ男の呼吸や医者の手元を見ている。時折布を男の口元にやるのは麻酔を維持するためだろう。あっちの世界の麻酔医顔負けだ。


 そのまま彼女の手技は、創部から異物が取り除かれ、傷が縫合されるまで実に二時間は続いた。



 患者の男が戸板に載せられ医者と自警団に連れられるのをしばし見送ってから、ペトラはため息を一つ吐いた。


「んんーっ!」

 次に大きな伸びを一回。先程までの緊張感から一転、くたりとのんびりした様子で道具を鞄に詰めていく。


「おつかれさま」薬瓶をひとつ取りペトラに手渡す。

「あ。えへへ、ありがとうございます、フラン様」

 ペトラは嬉しそうに受け取り、笑顔を返してくれた。そのまま片付けを手伝うことにする。


「すごいね、ペトラ」

「え? なにがです?」

「さっきの一連の動き。プロっぽかったよ」

「そりゃあまあ。ボクだって一応? プロですから?」

「なにその疑問形? なんかさ、カッコよかったよ」

「え? や、いやあそうでした? ボク、カッコよかったかなぁ? あはは!」


 照れ隠しだろうか、あわてて立ち上がったとたん、転がっている瓶に足をとられたペトラは、「わっ!」という声の直後、ドスンと尻もちをついた。


「……たまに褒めたらこれだもん。あと、スカートはやめなさいって助言したと思うんだけれど……今日も大胆ね」

「はわわ」

 周りから口笛などではやされ、あわてて隠すがもう遅い。


「さて、ペトラが頑張ったから、次は私の番かな?」

 立ち上がり、現場監督と思しき男のもとにおもむく。



 ◇ ◇ ◇



 翌日。リアを伴い、現場監督を立ち会わせ現場を見ることにした。のだが。


「む、むむむむムリムリムリムリ、絶対ムリ、あんなとこヤダ、ムリぃ」

 リアが全身全霊で足場に登ることを拒否した。犬を散歩させているとき、絶対そっちには行かないワン! と拒否するときにするアレ。足を突っ張って全力拒否をするその様子を、人間でリアルに見れるとは思わなかった。


 そんなわけで下から見てるように、と念押しして私と現場監督で上がることにした。


「ごめんなさい、日中の作業時間にお邪魔して。時間が空いてなくて」

「いえいえ、構いませんよ。じっくり見ていただいて、よくなるところがあればこちらとしても大助かりですから」


 上に登ると意外と風を感じる。慌てて手すりを持つがフワフワと固定されていない感じでなんとも頼りない。


「まぁ、手すりは飾りですので」

 現場監督は申し訳無さそうに笑った。なぬ、飾りだと? ロボットの足とはちがうんですよ? エラい人には解ってもらえませんよ? と思ったけれど、ここでいきなりキレても仕方ないのでとりあえずは我慢した。


「フランやー、危ないから気をつけるんじゃぞぉー」

 おじい様も下で私達を見上げる役。カワイイ孫娘がまた節操もなく危ないことをするというので、心配で付いてきたらしい。他にやることあるでしょうに。

 笑顔で手をふってやると途端にだらしなく笑い、手を振り返してくる。ああいうところは世のおじいさん、みんな一緒だよなぁ。なんかカワイイ。


 さて本題。街の外壁の内面の壁面補修工事を行っているとのことだ。作業員はおおよそ建物の三階、約六メートルの高さの工事用足場から落下。足から落ちて倒れた拍子に太ももを怪我したようだ。おそらく足首かスネ辺りの骨も折れてるとみて間違いないだろう。打ちどころが悪ければ即死だっただろうにと考えると、不幸中の幸いと取るべきか。


 けれどこの世界の医療レベルは前の世界のそれと比べ、お世辞にもいいとは言えない。もしかしたら歩けなくなるか、ケガをした足を結局失うことになるかもしれない。医療に関しては完全に門外漢だし、そこは他の転生者に期待するとしよう。次の人が来るのかわからないけれど。


 落下した男は当時、作業の仮設床の端に設置された動滑車を使い、地上から資材を受け取る作業をしていた。荷が自分の手元まで来たので、荷を乗せた昇降台を固定するために若干引き寄せる際、足を滑らせて落下したようだった。


 足場は簡単な木組みに渡された木の板。幅はそれなりにあるが、使い込まれている様子だ。風雨や経年で反りも出ている。中には固定していない床板もあり、バタンバタンと歩く度にたわんで揺れる。


 幾度か風に煽られひやりとさせられつつ、男が落ちた現場にたどり着いた。床の端が折れている。腐れ落ちたか。

 床板が落ちた周りには申し訳の手すりすらない。もう呆れるしかない。

 よくわかりました、もう地上に戻りましょうと告げると、現場監督は荷物用の昇降台に乗った。

「下へはこれで戻りましょう」

 などという言葉をなんとかやんわりとお断りして、元のふわふわした通路を慎重に戻ったのだった。



「おつかれさまでした。怖かったでしょう? 素人にはちょっと刺激が強かったかもしれませんねぇ」


 確かに怖かった。この状態で死人が出ていないのが奇跡に近いという意味で。


 先に戻っていた現場監督は、出迎えるなり空気を読まない発言をしてくれた。おかげで彼を見るリアの表情はすっかり能面のようだ。どちらかというとあっちの方(リアのごきげん)が怖い。


「さてと、どっちが言う? リア?」

「私が言って、よろしいのでしょうか?」

 うわあ。リアさん、めっちゃ温度低いっすねー。だめだ。これ間違いなく喧嘩になるやつだ。


「わかった、私から話すね。監督さん、いいかしら」

「なんでしょう、お嬢様」


「今回の事故、アナタはどう見てるのかしら」

「そうですね、事故が起こってしまったのは大変残念なのですが、普段から彼にはほとほと肝を冷やされておりまして」


「どういうことかしら?」

「ええ。自分が軽業師かなにかと勘違いしていたのでしょうか。我々がいくら危ないと注意しても聞かんのです。昨日も慎重にやらないといけない作業のはずだったのですが……」


「指示を無視して転落した、と?」

「もっとしっかり指導すべきでした。私の不徳の致すところです」


 思わずリアと見合った。彼女は無言で肩をすくめる。


「まず確認したいのだけれど、普段は作業員に安全具を装着させているのかしら?」

「あんぜんぐ……とはなんでしょうか?」

 あー、うん、予想通り。


「わかりました、結構よ。では足場のほうからいきましょう。床板はいつ、張られたものかしら」


「んー、この工事が始まったことですので、かれこれ二年といったところでしょうか」

 この工事、二年もやってるのか。


「ということは、その間床板は交換せず……ということ?」

「いえ、まさか」

「ですよねぇ」

「ええ。使いまわしてそうですね、五,六年は持ちますよ」


「ろくっ……!」

 リアが変な音を出した。


「六年も、使い回すの!? 床板を?」

「ええ。ま、さすがに腐ってきたのから取り替えますがね」


「ふっ」

「ふ?」

「ふざけっ……御冗談を!! 『(いた)()一枚下は地獄』って言葉知らねー……んですの!?」

「お、お嬢様……?」


 ヤバいヤバい、つい地が。


「……こほん。船乗りのことわざです。船底一枚隔てた下は冷たく暗い海。そういう危険な場所で仕事をしている、というたとえ」


 上空の足場を指差すのにつれて、皆が足場を見上げる。


「あなた方が使っているあの板。アレが踏み抜かれれば真っ逆さまに地面に落ちる。いや、先日不幸な彼が落ちたわけです。幸い一命をとりとめましたが」


 そしてふたたびすうっと指を動かし、今度は現場監督を指差す。

「次はあなたかもしれない。そして幸運はそう何度も訪れない」


 現場監督の男が息を飲む気配がした。

「し、しかし私の親方もこうやって仕事をしてきた。私だけがこのやり方をしているわけではない。長年これでやってきたんだ、やり方が間違っているとは」


「間違っているから――」

 リアが深い溜め息を吐いて進み出た。

「そうおっしゃってるんですよ、お嬢様は」


 胸をはり腰に手をあてふんす、と決めるリア。絵になるねぇ。


「な、なんでそういい切れるんだよ」

 突然のリリーフに目をパチクリさせつつ監督がたずねる。

「少しは考えてみて頂けないでしょうか? 間違ってないというなら、なぜ従業員がケガをしたんですか?」


「そ、それはあ、アイツはいつもボーッとしていたから」

 あ、後ろ暗いところがあるって自供しちゃった。自信があれば『間違ってなくてもケガぐらいはする!』とか言うよね?

 真面目にいうと確かに不安全状態を排除していても、不安全行動を取ることにより災害は発生する。確率は随分下がるけれどね。レアケース並に。


「本当にそうなんですか? もしそうなら、なぜアレほど危険な場所でボーッとなるんですか?」

「あ、あいつは疲れやすくて、いつも困ってたんだよ。それで」


 めんどくさそうに返す監督の言葉に、ことさら驚くリア。


「ほう、疲れやすかったんですか、そうですか。アナタは彼のことをよーっくご存知だった、そういうことですね。だから今回は仕方ないと」

「そう、本当に不幸な事故です」


 どう見ても演技とわかる彼女の言葉にしたり顔で乗っかる監督。

 リアの肩がガクッと落ちた。


「フラン様ぁ」

「なに?」

「コイツ殴っていいすか」

「だめよ。……代わるわ」

「むー」


「ねぇ監督さん。現場そのものもツッコミどころが多すぎてどこから指摘していいかわからない程なんだけれど、それより、ね?」


 従者に合図を送る。彼は軽く頷き鞄から冊子を二つ取り出し、差し出す。


「な、なんでしょうか」

「作業員の数、少なすぎやしない?」


 受け取ってからありがと、と礼を言うと従者は一礼をしつつ無言で身をひく。


「何を言い出すかと思えば。十分な人数で当たって」

「勤務表。拝見したわ。なんで同じ月の勤務表が()()あるんだろう?」


 従者から受け取った二冊の帳面。ひらひらと見せつけてやると、見覚えがあるのだろう。途端に監督さんの顔色が悪くなる。


「ど、どこからそれを」

「事務所のあなたの机から。今日の朝に」


「もちろん、お金まわりの帳票も別の者が見ているけれど、ま、結果を見るまでもないわね。……アナタの親方はずいぶん協力的だったわよ?」


 監督はパクパク口を開くものの、もはや言い逃れができないと観念したのだろう。ガックリを肩を落とし、うなだれた。


「現場のカイゼンの前に、あなた自身のカイゼンが必要みたいね」



 ◇ ◇ ◇



 あの監督は原価を不当に下げる手法で利益を上げていた。工事用の資材費や人件費をけずり、私腹を肥やしていたわけだ。


 今回は過重労働となっていた従業員が、疲労から事故を誘発してしまったわけだけれど、そもそもあんな不安全状態ならば、たとえまともな状態の作業員であっても何らかのトラブル、ヒヤリは日常的に起こしていたに違いない。


 監督だった男はそのまま自警団に逮捕された。工事は当然中断。今後きちんとした部材、人材、作業手順が揃わない限り工事再開はできない。


 ここだけではない。更に安全規則を設けたことにより、市中の工事は軒並みストップした。工事の完成が遅れるのはたしかに痛みを伴う。けれどこれ以上の犠牲が出る前にできることはやっておきたい。そんな思いをおじい様が最大限汲んでくださった結果だ。


 例えば二メートルを超える高さで作業をする場合は、転落防止用の柵または囲いで防護すること。高さは〇.九メートル以上で人の体重を十分に支えられること。それが設置できない箇所に対して、安全帯の使用が可能な状態にすることなどなど。


 もちろんこの世界の単位に合わせはしたけれど、安全衛生規則を丸パクリのような規定をつくった。慌てて作ったので穴だらけかもしれない。今後こちらも改正していかないと。


 言ってからしまったと思ったのが安全帯だった。元々安全概念がこの世界にないわけだから、当然あるわけない。

 などと困っていたところ、そこはリアに助けてもらった。


「ウチで作ってみましたよ」


 確かにリアの工場で話した気がする。彼らの安全意識はかなり高まっているということか。じゃらりと取り出した道具は、たしかに安全帯のように見える。


「これ、量産してウチで売っていいですか?」


 頷くとパアッと表情を輝かせ、「よっし、一儲けできるよ!」などとヘレンと二人ハイタッチして喜び合う。


 その言葉に思わず「みんな逞しいな」と思ってしまった。彼女たちの様子を横目に見ながら、再び思索に落ちる。

 実はあの日聞いた話で、今でも引っかかっていることが一つある。


 ――監督が引き立てられ、現場を片付けているときのことだ。


「ねえおじい様。私がケガをしたのって、確かこの近くよね?」


「ああ、そういやそうじゃったのう。いやあのときは肝を冷やした! 知らせを聞いて駆けつけてみれば、血まみれの石畳にフランが倒れておったから、もう生きた心地がせんかったわい」


「確か工事中で、外壁用のレンガが落ちてきたって話を聞いてるんだけれど。もしそうなら工事中の立ち入り制限もきちんと考えないといけないと思うの」


「ほうほう、フランは鋭いのう、それはキチンとせんとのう」


 そんなとき、不意に脇から若い男が声を掛けてきた。


「あれ、あのときのお嬢ちゃん。元気になったんだね、良かったね! あのとき自警団呼びに行ったの、俺なんだ」


「あら、それはそれは大変お世話になりました。お陰様でこの通り。もう工事中の場所には近づかないことにします」


「ほんとだよなぁ。休みの日だってのにレンガが降ってくるんだもんなぁ、俺たちも気をつけないと。んじゃ、兄ちゃんにもよろしくな!」


 ――休みの日。工事がない日に資材がこぼれ落ちてくるなんてこと、あるの?


「使いかけの資材を置きっぱにしていたのかなぁ」

 この小さな疑問に、答えられそうな者はいない。


 そんなとき不意に食堂のドアが開き、おじい様が顔を出した。

「フランや。週明けは北の山脈にあるダンジョンの視察じゃ。一応聞くが、もちろん付いてくるんじゃろう?」

「愚問です。もちろん参ります」


 ダンジョンはトラブルの宝庫と聞く。カイゼン手法がとこまで通用するのかわからないけれど、試す価値はあるよね!


 先程の件を頭の隅っこに押しやって、来週の視察に思いを馳せた。

 なんせダンジョンだよ!? 人生初、ダンジョン!


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