過去
『特別』か・・・
気付けばもうサンジェルマン家に来てから、男装が当たり前になってからもう一年半だ。
皆は元気にしているだろうか・・・
トリアノン家は意匠が美しく、しっかりとした造りの高級な家具から、実用的な家具までを製造し販売していた、どちらかと言えば新興の家だった。
トキ様のサンジェルマン家のような旧家とは違い、お祖父様が一代で興し、繁栄させていた。
お父様もそれをしっかりと受け継ぎ、決して驕ることなく堅実な経営を続け、更なる発展をさせていた。
私自身も良家のお嬢様として、まさに何不自由なく育てられてきた。
でもそれは決して私を縛り付けるものではなかった。
幼い頃から色々なことを知りたがった私に女の子だからと良家の子女としての教育だけでなく、どんなことでも教えてくれたし、もっと学びたいといえば私のために家庭教師を雇い、将来は女の子でもしっかりとした教育を受けることができる学校に留学すべく、準備も整えてくれていた。
そんな未来に希望しか見えなかった美しい時は突然に破られた。
「商品が返品ばかりされているってどういうこと?!」
告げられたのは品質が自慢の我が家の家具達が次々と返品されているという事実だった。
「私にも分からないんだ。きちんとした商品を送っているはずなのに、返品される商品は私がみても酷いと思うような粗悪品なんだ。」
「制作している人に問題があるってことはないの?」
考えたくはないけれど、思いつくのは、慣れてきた職人が手を抜いているということだ。
「それはない。彼らは自分の仕事に誇りを持っている。それでも気になってこっそりと視察したが何も問題はなかった。」
「そんな・・・」
「もちろんこれからも調査は続けるつもりだ。
今日は一応ユリアの耳にもいれておこうと思ってね。」
そうお父様は微笑んで下さったけれど、そこには力が感じられなかった。
それから一週間、商品の返品は止むことはなく、原因は見つけられないままだった。
私はふと気になって、返品してきた人の後をつけてみた。
そこにいたのは、およそ高級家具を使うようには見えない人達と話をする返品者。不信に思って息を潜めて近付くと彼等の会話が漏れ聞こえてきた。
「こんなに貰っちまってもいいんですか?」
「あぁ、お前達が良い具合に傷付けてくれたおかげでトリアノン家の信用はがた落ちだ。」
「じゃあ、ありがたく頂いときますよ。」
「言っておくが、それは今回のことは全て忘れるという代金も入っている。
もしそれが漏れたときは分かっているな。私にはお前達を見つけて始末することぐらいどうということではないということを忘れるな。」
聞こえてきた話は余りにも衝撃的なものだった。これが本当なら、いくら調査しても問題など見つかるはずがない。
完璧な商品を傷付けて、送り返すだなんて、思いもしなかった。
何とか証拠を掴まなくては、そう思い身を乗り出した瞬間、身体のバランスを崩してしまった。
「誰だ!捕まえろ!」
こうなるともう証拠を掴むどころではない。
私が捕まっては唯一の手掛かりが伝わることがなくなるのだ。
持っていた縄で子供だましの仕掛けを作り繁に投げ捨て、とにかく走り続けた。
後ろから転んだような音が聞こえてきたから、きっと上手く引っ掛かってくれたのだろう。
逃げ切り、一刻も早くこの事実を伝えるために私は走った。
やっとのことで屋敷にたどり着き、お父様の書斎を訪れると、そこには、意気消沈した両親がいた。
「お父様、大変です。返品騒ぎの理由が分かりました。
実は・・・」
「ユリア、すまないがもう遅いんだよ。
一週間前、お前にこの話をした時にはもう信用はがた落ちで入っていた注文も次々とと取り消されていた。
もう融資を受けていたお金を返済することも出来なくてね、会社は倒産して工場も屋敷も人手に渡ることになったんだ。」
「私、遅かったの・・・」
まだまだ大丈夫だとたかをくくっていたから気付けば手遅れになっていた。なんでもっと必死になっていなかったんだろう。もっと考えていれば、こんなことだって思いついたはずなのに。
「ユリアが悪いわけじゃない。私がユリアに伝えるのが遅かったんだ。
一週間で真相を見つけたお前なら、もっと早くに相談していればなんとか出来たかもしれないのに。
ごめんな、ユリア。」
それなのに、お父様が私を責めることはなかった。
たとえお父様に何も言われなかったとしても、トリアノン家の娘ならもっと現状について知っておくべきだったのに、いつだって考えていたのは将来のことばかりで、与えられるものは当たり前のものだと疑ってもいなかった。
だけど、こんな状況でも私を気遣ってくれるお父様にこれ以上何かを言うことはできなかった。
「これからどうなるの?」
「もう贅沢はさせてあげられないし、ユリアには本当に悪いけど留学もさせてあげられない。」
「そんなことはいいの。家族のみんなは一緒にいられるの?」
「それについては大丈夫だ。屋敷と工場を売ったおかげで借りていたお金も返済できた。
だからゼロからのスタートになるが、みんなで一緒に暮らすことはできる。私もまだまだ働けるからな。」
「よかった。家族がばらばらになっちゃうかと思った。」
ゼロからだってマイナスよりはずっといい。
会社が倒産して返済ができなくなったと聞いたとき、一瞬私はどこかに身売りのような結婚をすることすらも考えたのだ。
家族揃ってやり直せる。それなら何も文句はない。
そう確かに思っていた。
いざ新しい生活をスタートさせてみると、新たに暮らし始めた場所に住む人たちは貧しいながらも良い人ばかりで、何も持たずにやってきた私たちにも良くしてくれたし、家庭教師に勉強を見てもらうことはなくなったけれど、近所には博識のお祖父さんがいて、なんでも教えてくれた。
家族4人の仲も良く、毎日が楽しく穏やかな日々だった。
だけどやりきれない思いはいつも胸の中にあった。
もっと勉強して医者になりたい。
医者になりたいという思いは前からあったものだけど、皮肉なことにその思いが強くなったのはここでの生活を始めてからだった。
確かに近所の人々は優しいし、贅沢はできなくでもみんなそれなりに楽しく過ごしていた。
でも冬になるとそんな人々も必ず減ってしまう。
どれだけ気を付けていたつもりでも、寒さの厳しい冬にはちょっとしたことで体の弱い老人や子供などは風邪をひいてしまう。
風邪ぐらいではない。医者にもいけず薬も買えない人々は、時に風邪にすら負けてしまう。
また、ちょっとした段差で転んで骨折してしまい、適切な治療が受けられないために、おかしな方向に腕が曲がってしまったままになり、日常生活にも苦労する人々もいる。
貧しい人でも気軽に治療を受けることができる医者になりたい。
そんな思いは日に日に強くなっていった。
その思いは近所に住む人々にも気付かれ、みんなが私のために知恵を絞ってくれた。
そこででてきた案が奨学生の制度を利用すること。
ただ、問題は女の子では受け入れてはもらえないだろうということだった。
せっかく光が見えてきたのに、その先が見つからない。
そんな時に投げかけられたのが弟の
「お姉ちゃんが、男の子になればいい。」
というものだった。
その案には賛否両論で、特に近所のおじ様たちはいい案だと大賛成だったけれど、母を含め女性陣の反対派大きなものだった。
曰く、
「医者になるためにかかる時間全てを男の子として生きていれば、到底結婚など望めなくなる」
ということだった。
それが私のことを真剣に心配しての言葉だということは分かっていた。
けれど、それを捨ててもなお、医者になりたいという気持ちは強かった。
そして、本来の性別の格好をしていることが『特別』になった。




