日常の終わり
私は、なんということを言ってしまったんだろう。
トキ様に相応しい婚約者でいらっしゃるウェストファリア嬢に対して嫉妬しているような発言をしてしまうだなんて。
もし、トリアノン家が没落していなかったらトキ様の隣に並ぶことができただろうか。
そう何度思ったかしれない。
でもその度に思い知らされるのは、トキ様との明確な差だった。
3大名家と称されるサンジェルマン家・ウェストファリア家・ワーテルロー家には所詮叶わない。
結局のところ私がトキ様の隣に立つことはどうあっても不可能だった。
それを分かっているからこそ、今たとえ偽りの自分であったとしても、一時のものであったとしても、トキ様と恋人同士であるという幸運に感謝していたのに。
あんなことを言ってしまった私をトキ様はどう思われるだろうか。
もうトキ様の傍にはいられないかもしれない。
尽きることのない後悔に苛まれているうちに、気付けば眠ってしまったようだった。
それでも朝はやってくる。
少なくとも今はまだ私はトキ様付きだ。
これが最後になるかもしれない、そう思うといつも以上に念入りに支度をしてトキ様を起こしに向かった。
「トキ様、おはようございます。」
「おはよう、ユーリ。」
そうにっこり微笑まれる姿にはいつもと何ら変わりがない。
むしろ、微笑みが柔らかくなっている・・・?
「トキ様昨夜の件ですが・・・」
「そう、昨日はごめんね。昨日は幸せに浸っていたせいですぐに追いかけられなかったから、きっとユーリは誤解しちゃったよね。」
トキ様は謝ろうとした私を遮ると、逆に私に謝ってきた。
「幸せに浸る・・・?」
「そう。だって昨日の言葉って、ウェストファリア嬢に嫉妬してくれてる、ってことだろう。
いっつも僕ばっかりユーリのことで嫉妬しているような気がしていたから、嬉しくって。
でもユーリのことだからきっと昨日のことを後悔してるんだろうな、って思った。
だから、ごめんね、ユーリ。」
「トキ様、許してくださるんですか。
私は使用人の分際で、トキ様の御婚約者であるウェストファリア様に嫉妬するようなことを言ってしまったんですよ。」
「だから、許すも何もないよ。僕は嬉しかったんだから。
確かにウェストファリア嬢は今のところ僕の婚約者だし、それが駄目になったとしてもいずれ誰かと結婚しなくちゃいけない。それは僕もサンジェルマン家の後継ぎだからどうしようもない。
でも、せめて気持ちの面だけは自由でいてほしい。
僕は誰よりもユーリが大切だし、ユーリにもそう思ってもらえると、すごくうれしいんだ。」
「トキ様・・・」
「まぁでも、言っても仕方がないとはいえユーリが女の子だったらよかったのに。
そしたら他の誰かと結婚せずに済むのにな。」
「たとえ私が女の子でもサンジェルマン家の御子息のトキ様と私では無理ですよ。
だからはっきり諦めがつく今の状態の方がいいんですよ。」
これこそがサンジェルマン家の当主にも認められた今でも姿を偽っている本当の理由。
口では違うと言いながらも、トキ様ならきっと私が女の子だったらもっとあがいてくれるって思っていた。
そして、それでもどうにもならないだろうということもまた分かっていた。
だから、もがいて、葛藤して、それでも駄目でトキ様が傷つくことがないよう、これからもこの秘密だけは守っていかなければならない。
「そうかな、きっと頑張れると思うんだけどな。」
「とにかく、もし、の話しをしても仕方がないですよ。
こうやってトキ様が許してくださるなら、私はずっとトキ様をお慕いして、傍に居ますから。
早く支度をして学校に行きましょう?」
トキ様の、「もし」が来ることは絶対にない。
私も、御当主様も秘密をばらす気は一切ないのだから。
「もし」が来ない毎日も十分幸せなものだった。
学校に行けば気の合う友人と夢に向かって学び、家に帰ればトキ様と穏やかな時を過ごした。
相変わらず、放課後はウェストファリア様と過ごされていたけれど、その時間が長ければ長い程、トキ様は私に甘えて下さって、羨ましくてたまらないはずの時間さえ、二人の時間の密度を高めるものとなっていた。
「今」だけに目を向けていれば、幸せに溢れた日々だった。
普段はシャツの下に隠れているが、腕にはいつも以前トキ様に頂いたブレスレットがある。
時折見ては、頂いた時のことを思い出していた。
後から思えばどうして、あんなところで取り出してしまったのかと悔やまれるが、ある日ブレスレットがウェストファリア様の目に留まってしまった。
「あら、そのブレスレット、トキ様がお持ちの物とよく似ているわね。
それ私に譲って下さらない?」
「これは、ウェストファリア様が普段身につけられるものとは違う安物ですので・・・」
本当は安物だから、なんて思っていないけど、これはトキ様から初めて頂いた物。いくらウェストファリア様でも絶対に渡したくない。
「もちろんそんなことは分かっていますわ。それでも構いませんので、譲ってくださいな。」
言葉は丁寧だけど目が全く笑っていない。
「申し訳ありませんが、これをお譲りする訳には参りま・・・」
「貴方のようなただの使用人がトキ様とお揃いだとはおこがましいと言っているのです。
さっさとそれを渡しなさい。」
そう言うやいなや、ブレスレットに手を掛ける。
ブレスレットが腕から抜けたその時、トキ様が近づきながら声を掛けてきた。
「ユーリ、どうしたの?」
その瞬間、私の腕から抜けたブレスレットはウェストファリア様の手を離れ、遠くに飛んでいった。
「あっ・・・」
「何もありませんわ。ただ楽しくお話していただけです。
ねぇユーリ?」
「はい、ただお話していただけです。」
ここで否定しようものならどうなるかは分からない。
「本当に?」
「はい。」
「分かった。」
「ではトキ様参りましょう。
ユーリ、ご機嫌よう。」
振り返ってこちらを見た彼女の口には残酷な笑みが浮かんでいた。
呆然としていると、アート達を連れたジェームスがやってきた。
「ユーリ、お待たせ。帰ろうぜ。」
「あっジェームス、ごめん、今日は用事があるんだ。」
そうだぼーっとしている場合ではない。
ブレスレットは奪われた訳ではない。
幸い飛んで行った方向は分かっている。
探せば見つかるかもしれない。
「そうなのか?
何か知らないけど頑張れよ。」
「ありがとう。
じゃあまた明日。」
ジェームス達が帰って行ったのを確認して、ブレスレットを探しに向かった。
確かに方向は分かっていたし、だいたいの位置も予想がついた。
が、そこは腰程の高さの草が一面に生息している場所だった。
探し始めて2時間ほど経っただろうか。
正確な時間は分からないが、未だに見付からないまま辺りはすっかり暗くなってきた。
最近のトキ様は3時間ぐらいは確実に帰って来ない。
もう一息頑張ろう。
そう思ったとき、何か冷たいものを感じた。
あっと思っている内に雨は強くなり、土砂降りと言ってもいい程になった。
早く帰らなくては、分かってはいるがここで帰れば明日にはあんなブレスレットは流されているに違いなかった。
視界が悪くなる中、なんとか見つけ出すことができた頃には、身体は冷え切っていた。
自分でも明らかに身体がおかしいことを感じながらも必死に屋敷が見える所まで辿り着いた。
もう一息、そう思った時には意識がなくなっていた。




