衣装合わせ
いつも部屋に戻る時にしていた口付けをトキ様がためらった時、もう飽きられてしまったのかと思った。
トキ様にはウェストファリア嬢のように、身分の釣り合ったお相手がいらっしゃるのだから、トキ様がいつまでも私のことを好きでいてはいけない、そう思って行動してきたつもりだったのに、いざトキ様の関心が私からそれたと思った時、どうしようもなく悲しい気持ちに襲われた。
幸い、それは私の誤解であり、トキ様からは改めて伝えていただけたが、私は自分の心が恐ろしかった。
トキ様を想う、その気持ちは止めず、ただ傍でトキ様の幸せを見守っていこう。
そう考えたはずだったのに、トキ様の気持ちがそれるのを嫌がる自分。
いつかとんでもないことをしてしまうのではないかと思えた。
そんな複雑な思いを抱きながらも、あの日以来毎日が充実していた。
授業が終わるとトキ様たちと劇の練習をし、家に帰ると課題をしたり一緒にのんびり過ごしたり、と今までウェストファリア嬢に取られていた時間もトキ様と過ごすことができ嬉しかったし、トキ様も、今まで以上に機嫌が良かったように思う。
それに劇の練習の方も役がよかったのか役に入り込みやすく、順調に仕上がっていった。
ついに本番まで一週間となり、衣装合わせをしてみることになった。
せっかくだからと、部屋をカーテンで4つに区切り、一斉にその姿を見せ合うことにした。
一斉にお互いの姿を見て、私たち三人はみな絶句した。
「みんな、こっちを見てどうしたんだよ。」
「トキ様、素敵です。お美しいです。」
「やばいぞトキ、ここまで似合うとは思わなかった。」
「マジでかわいいぞトキ。」
トキ様の女装姿は想像以上だった。
元の姿がきれいな方だから女装してもきれいだろうとは思っていたけど、まさかこれほどとは思わなかった。
「お前ら、ユーリもひどいぞ。」
「いや、褒め言葉だよ。これなら絶対受ける!
今までここまで女装が似合った人見たことない。」
ひとしきりトキ様の女装姿について盛り上がった後、アートが、いいことを思いついたと言わんばかりの表情で話しだした。
「そうだ、せっかくこれだけ似合ってるんだから、最後のシーンマジでやっちゃえよ。」
「最後のシーンってどこのことだ?」
「アート、お前何ふざけたこと言ってるんだ。
こんなことユーリにさせられるわけないだろう!」
「なんだよ、トキはユーリが相手じゃ不満なのか?」
「僕が嫌とかじゃなくて、ユーリがかわいそうだろう?」
「ユーリはやっぱり嫌か?」
「さっきからどこのことを言っているの?」
トキ様は真っ赤になりながら反論しているけど、そんなに嫌なシーンなんてあっただろうか?
「最後のキスシーン、せっかくだからふりじゃなくて、本当にやれよ、ユーリ。」
私からトキ様に口付けるだって!?しかも公衆の面前で、できるわけがない!
「本当に、アートは何をバカなことを言っているんだ!
僕からトキ様に口付けるだなんて、そんな恐れ多いことできるわけないだろう!」
「ほら、二人とも自分が嫌なわけじゃないんでしょ。だったらいいじゃん。」
「アート、いい加減にしろ。これ以上ユーリに無茶を言うな。
今日はもう終わりだ。ユーリ、帰ろう。」
結局、どちらとも結論は出ないままその日は解散となった。
帰り道、2人で黙って歩いているとトキ様がその沈黙を破った。
「ユーリ、さっきのことなんだけど・・・。」
「トキ様もお嫌ですよね?公衆の面前で私に口づけられるなんて。」
「さっきも言ったけど、僕は別に構わないんだ。
だけど、僕は今でさえユーリに色々と無理を押しつけている。
ユーリが構わないというのに甘えて、ユーリにとっては嫌だろうこともしているし、それを悪いと思いながらも今さら止めるつもりもない。
僕だって好きでもない相手から押し付けられるのがどれほど嫌なものかこの間分かったはずなのに。
だから、本番はふりでいい。アートがこれ以上何か言ってきても僕が止めておくからユーリが気にすることはないよ。
今、この話をしたのは、いつもみたいに誤解を与えたくなかったからなんだ。
ただ単に、最後のシーンはふりでやる。
と決めたら、ユーリはまた、僕のことを誤解するような気がして。」
「トキ様、お気づかいありがとうございます。」
トキ様は私なんかのことをこんなにも気遣ってくださる。
確かにトキ様の言う通り、何の説明もなしに、最後はふりで行く、と言われてしまったら、トキ様は公衆の面前で私なんかとキスするのは嫌なのだと思ったはずだ。
そこまで予想して話してくださるなんてやっぱりトキ様にはずっと叶わない気がする。
調度話し終わる頃に家に到着し、その話はそれきりとなったが、もう私たちの間にわだかまりはなく、夕食後の勉強も休憩も、いつもと何も変わらないものだった。
ただ、いつもよりほんの少し寝る前の口付けが長く、甘かったように感じた。
だけど、そっと目を開けると、そこに映ったのは、決して幸せそうとは言えない、何かに苦しむような表情をしたトキ様だった。
なぜ・・・・?
今までも、私と口付けを交わすたびにこのような表情をしていたのだろうか?
いつも、恥ずかしくて、目を閉じてしまい、その後もトキ様の顔を見ることなく部屋に戻っていたから気付かなかった。
どうして、こんなに苦しそうな顔をしているのだろう。
トキ様はいつだって私のようなものを好きだと言ってくれる。
だから、この行為そのものが嫌なわけではないはずなのに。
そこまで考えてふと思い至った。
―ユーリが構わないというのに甘えて、ユーリにとっては嫌だろうこともしているし、それを悪いと思いながらも今さら止めるつもりもない。―
もしかして、罪悪感・・・?
いや、もしかしてじゃない、間違いなくそうだ。
トキ様は優しい。だから今までだって、ほとんど無理な命令をしてくることはなかった。
だけど、いつまでも煮え切らない私に、初めて押し付けてきたのがこの口付けだ。
押し付けてきた、というのは正しくないかもしれない。
私は少しも嫌ではないのだから。
でもそれは、トキ様は知らないことなのだ。
むしろ自分から動くことのできない私は、トキ様に何も伝えることはなく、トキ様から与えられる口付けを受け入れるふりをして、喜んでさえいた。
トキ様が、私を見てくださる、思っていてくださる、触れてくださる、と。
私ばかりが喜んで、私の本当の気持ちなど知らないトキ様は、罪悪感に苦しんでいたに違いない。
こんなにもトキ様が苦しそうな表情をしているだなんて知らなかった。
こんなにも罪悪感に押しつぶされそうになっているだなんて知らなかった。
どうしたらいいんだろう。
私の本当の気持ちを伝えたら、少なくともトキ様は、罪悪感に苦しむことはなくなるだろう。
だけど、それと引き換えに、何かが変わってしまう。
変わってはいけないはずの何かが変わってしまう。
でも、トキ様だけをこれ以上苦しめ続けるわけにはいかない。
ぐるぐると同じことばかり考えているうちに、気付いたら朝になっていた。
何も決断することができないまま、今日もまた日常がスタートした。




