代償
練習は明日から、ということになり授業が終わるとユーリと一緒に帰ろうとしたが、残念なことにいつも通りウェストファリア嬢は僕を待っていた。
「トキ様、お勉強お疲れ様です。今日は、新しく出来たお店に行ってみましょう。」
「分かった、ユーリすまないが先に帰っていてくれ。」
「はい、いってらっしゃいませ。」
ユーリはいつも通り実にあっさりと送り出してくれる。
ウェストファリア嬢とのデートなんて放り出してユーリとゆっくり過ごしたいと何度思ったことだろう。
だけど、今日で最後だ。これで少なくとも1カ月はウェストファリア嬢と会わなくてもいいのだ。
適当にウェストファリア嬢の買い物に付き合った後、別れる直前に話を切り出すことにした。
「マリー、申し訳ないけれど、明日から卒業生を送り出す会の準備があって、こんな風に会うことが出来ないんだ。」
「準備が終わってからでもかまいませんわ。」
「夜遅くまで練習することになるから、その後はすぐに帰らなければならないんだよ。」
「そんな・・・いつまでですの?」
「1か月ぐらいかな。」
1か月ウェストファリア嬢と会わなくてもよく、その代わりに共に時間を過ごすのは、ユーリとエリック、アートだなんて、本当に助かる。
「もう少し何とかなりませんの。私、トキ様ともっとお互いを知り合いたいですわ。」
「今まででも毎日会ってきたのだから十分じゃないか。
それに、僕たちは一応学年の代表だから手を抜くわけにはいかないんだ。
分かってくれるよね。」
「わかりましたわ。その代わり、1ヶ月後までの約束として口付けしてくださいませんこと?」
「・・・口づけだって?」
好きでもない女の子に口づけなんてとんでもない。
それに普通、女の子の方から言うものだろうか。慎みぐらい持ってほしい。
でも、ユーリがたとえ女の子だったとして、ユーリの方から言われてもそんな風には思わないんだろうな。
きっと、ただ単純に有頂天になるだけだ。
「申し訳ないけど、口づけはもっとちゃんと好きあった者同士が行うべきだと思うんだ。」
「そんな、トキ様遠慮なさらなくても結構ですのよ。
私たちは婚約者同士ですし、私はトキ様の事をお慕いしておりますわ。
やっぱりこういうものは照れますのね。
それではトキ様ごきげんよう。」
純粋に嫌だから遠回しに断ったのに、変な風に勘違いされて、
口付、されてしまった・・・
気持ち悪い・・・
ユーリとするときはあんなにも幸せな気持ちになれたのに、同じ行為でも相手が違うだけでこんなにも違うものなんだ。
ウェストファリア嬢が照れ隠しなのかなんなのかさっさといなくなってくれたのが不幸中の幸いだった。
とっさに袖で口を何度もぬぐってしまったが、そんなこと本人の前でやってしまったら父さんに何といわれることか考えるだけでも恐ろしい。
触れたのはほんの一瞬なのにその不快な感触がいつまでも抜けない。
早く帰ってもっときれいに洗いたい。
「トキ様、おかえりなさいませ。」
ユーリがいつも通り出迎えてくれるのに、なんだか後ろめたくて、ユーリの方をまっすぐ見ることができない。
「トキ様・・・?どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない。ただいま。」
それだけを何とか言い残すと、まだ釈然としない顔をしているユーリを置いて、まっすぐに洗い場へ向かった。
何度も何度も洗ってようやく満足して、急いで着替えて食堂へ向かうとすでにユーリが待ち構えていた。
その顔は、僕を心配しているようで何か言いたげなのに、決して何も口にすることはなく、ただ黙々といつもの通り給仕をしていた。
食事を終えると、部屋に戻り、しばらく一人で今日の課題を行っていると、ユーリが入ってきた。
いつもの通り、2人で今日の課題をやる。
何となく気まずい雰囲気の中で課題を進めて行ったが、沈黙が辛い。
こんな日に限って分からない問題が全くない。
ちらりとユーリの方を見てみても、少し考えてはペンを進めていて、困っているという様子は全く見られない。
思いのほか今日の課題が簡単だったせいで、いつもより早く2人とも課題が終了した。
いつもだったらこれからユーリとのんびり過ごすのだけど、お互い一言も発しない。
いや、僕がいけないんだ。一度でも僕が、聞かないでほしいような態度をとったら、ユーリの性格からして、自分から話しかけることはできないのだから。
「ユーリ、さっきはごめんね。でも、本当に何でもないんだ。
それよりね、僕来週からしっかり練習に参加できることになったよ。
その後もまっすぐ家に帰ることができるから、これからはずっと一緒だね。」
「本当ですか。
マリエッタ様には申し訳ないですけどとてもうれしいです。
これからすごく楽しみです。」
案の定、僕から別の話題を振ればユーリは乗ってくれて、しばらくはいつものように穏やかで楽しい一時を過ごした。
「では、トキ様今日はそろそろ下がらせていただきます。
おやすみなさい。」
いつもだったら、ここでユーリを引き寄せて口付けてから別れる。
今日もいつも通りユーリを引き寄せて、ユーリに顔を近づけた・・・・
だが、口付けることはできなかった。
口付ける瞬間に、ウェストファリア嬢との口付けが頭をよぎったのだ。
「トキ様・・・?」
「ごめん、なんでもないんだ。
おやすみ、ユーリ。」
理由を説明することはできない。だからただユーリに部屋に戻ってもらおうとした。
ユーリなら、多少疑問に思ったとしても部屋に戻ってくれるだろう。
その予想を裏切って、ユーリはさらに言葉を続けた。
「もう、私のことは飽きてしまわれたんですね。
担当も変えていただいた方がよろしいですか?
それとも、引き続き話し相手として傍に置いていただけますか?」
「ユーリ、何を言ってるんだ!?
ユーリに飽きるなんてとんでもないよ。自分でもどうしようもないくらいユーリが好きだよ。
ただ、今日は・・・」
「今日は?」
言ったらユーリは呆れてしまうだろか。
でも言わなければユーリは僕の気持ちを信じてくれないだろう。
ユーリにとっての僕は、気持ちを押しつけるだけ押し付けてすぐに飽きて放り出すような最低のやつになってしまう。
おそらくユーリの態度は変わらないだろうが、ユーリの僕に対する信頼は地に落ちるだろう。
「今日はウェストファリア嬢との口付けを思い出して、ユーリに後ろめたくて・・・。」
「トキ様が後ろめたく思う必要はありません。トキ様とマリエッタ様は婚約者同士なのですから、むしろマリエッタ様にお惹かれになるのは喜ばしいことです。」
「違うんだ。いや、隙を見せた僕が悪いんだけど、決して僕から望んだわけではないんだ。
僕が好きなのはユーリだけだよ。」
「それでは、トキ様の意志ではなかったということですか?」
「そうだよ。だけど、ユーリのことを散々好きだと言っておきながら、他の人と口付けてしまったことが後ろめたかったんだ。」
「トキ様が後ろめたくお思いになる必要は全くありませんよ。」
「それは、ユーリが・・・」
「別に、身分の問題として言っているわけではないのです。
たとえば、おこがましいかもしれませんが、私とトキ様が対等であったとして、トキ様が私の立場だったらトキ様は私を責めるのですか?」
「そんなわけないよ!」
「それならば、トキ様が気になさる必要もありません。
今日はこれで失礼いたします。おやすみなさい。」
そう言って、ユーリは今度こそ自分の部屋に戻っていった。
ユーリに話して、気にしなくていいと言ってもらえた。
たったそれだけのことで、さっきまでいろいろと悩んでいたことが嘘のように消えて行った。




