舟を持たない渡し守
大河の下流に、渡し場と呼ばれる場所があった。舟は三十年前の大水で失われ、今では浅瀬を歩く道を案内する老人が一人いるだけだ。老人カイルは水深を測る棒を携え、岸に並べた小石で今日の渡れる場所を示していた。
戦が始まってから、そこを通る人が増えた。川を越えたい商人もいれば、兵の目を避けて親族を探す者もいる。カイルは行き先を尋ねない。ただ、水が膝を越える日は誰も通さなかった。
ある朝、少年が妹を背負ってきた。東岸の親戚の家に行くと言う。老人は川面を見て「今日は戻れ」と告げた。少年は東岸の旗を見つめ、何度も渡れる場所を探そうとした。
「石の下が削れている。足を出せば二人とも流される」
「橋は兵がいるから嫌だ」
「嫌でも、あちらのほうが確かだ」
カイルは橋の医療所へ続く小道を教えた。その道なら守備隊に見つかるが、子を連れた者を追い払ってはいないらしい。
午後、西岸の下級将校が訪れ、軍のために浅瀬を案内せよと命じた。カイルは素直に水位を測り、ひとつも渡れる場所がないと説明した。将校は敵に味方していると疑ったが、引き返すしかなかった。
日が暮れる頃、川に流れてきた木箱が岸辺に引っ掛かった。箱の表には赤い円の焼印があった。カイルは拾い上げ、濡れた紐をほどいた。中には塩の粒がいくらか残り、南の海から遠くここまで来たことが分かった。
老人の小屋には、古い鐘が一つあった。流れが増す日は三度鳴らし、浅瀬へ来る旅人に危険を伝える。対岸にも聞こえるはずだが、誰が受け取っているのかカイルは知らない。それでも鳴らすことをやめなかった。音は水に流されず、霧を越えるからだ。
翌朝、彼は木箱を棚に置き、川の小石を並べ直した。水の形は昨日とまるで違っていた。




