第7話 巣鴨十月 - アリス社長のお願い
飛鳥部アリスが一通り営業活動を終えて事務所に戻ると、青木くんがスタジオの準備に追われていた。
「社長、おはようっす」
アリスに気づいた青木くんが、手を動かしながら挨拶してくる。昼過ぎでも事務所での挨拶はおはようだ。
「青木くん、おはよう。スタジオは誰が使うの?」
「巣鴨 十月っす。いつもバンドライブっすね」
「へー、私も聞いていこうかしら」
アリスは、社長席について、途中のハンバーガー屋で買ってきた昼食を開く。
パイを青木くんに投げてやる。青木くんが器用にキャッチする。
「バンドって言っても、演奏の音源は持ち込みのカラオケっすけどね」
「十月かっこいいわよね。バンドも大人気だし、プロにならないのかしら」
窓の外から野太いバイクの排気音が聞こえて来た。
「早速、お出ましね」
巣鴨 十月は事務所「せいんと」に所属するVTuberタレントのひとりだ。実年齢は25歳。バーチャルでも25歳だ。タレントの中では一番背が高く、170cmある。
ちなみに、れっきとした女性だ。グラマラスな体型をしていて、顔立ちは意外と幼い。
しかし、いつも黒の革ジャンを着込み、不機嫌そうな顔をしている。近寄りがたい。なのに、なぜか女の子達に大人気だ。
アリスは、十月がヘビメタバンドの宣伝のためにVTuberになったんじゃないかと、密かに疑っていた。
乱暴にドアが開き、巣鴨十月が現れた。
「おはようございます」
ハスキーで礼儀正しい声。
――いい声だわ。
アリスは惚れ惚れする。
実際、ボイスデータの売り上げも、つい先日までトップだった。
今は、りもあ化け猫ボイスに抜かれてしまったが。
「十月ちゃん、おはよう」
「社長、十月ちゃんは止めてください。俺のイメージに合わないです」
十月は本気で嫌そうな顔をする。
「じゃあ、何て呼べばいいのよ」
アリスが面倒くさそうに言う。
「十月さんは、ファンからは、とげ様って呼ばれてるっすね」
青木くんの余計な一言。
「てめー、殴るぞ」
最初は十月が読めないファンがとげつと呼んだことから始まった。そのうち省略されてトゲになり、いまではすっかり定着している。
年配のファンからの呼び名はトゲちゃんだ。
「そういえば、トゲさんに手紙届いてますよ」
十月は青木くんから紙の封筒を受け取る。
「あー、巣鴨の団子屋の婆ちゃんからのファンレターだ。最近、ご無沙汰してるしな」
十月にはお年寄りのファンも多い。
趣味の街散策、いわゆる散歩で知り合って仲良くなることも多いらしい。時々、ライブのチケットを渡して招待したりする。
「トゲさんは優しいっすからね」
青木くんが、また睨まれる。
「俺のメタラーのイメージを壊すなよな」
そして、十月はデスボイスで青木くんを威嚇した。
「こわいこわい」
青木くんがスタジオに退散した。
「十月ちゃん、ちょっといい?」
アリスが十月をソファーに座るように促した。
「お願いがあるんだけど」
十月は、訝しげな顔で腰を下ろす。
「何また新しいグッズとかコラボですか?」
「違うわよ」
アリスは苦笑いする。そんなカネの亡者みたいに言わなくても。
「渋谷ぱる子がスケボーの大会で怪我しちゃって」
「え?ぱる子大丈夫ですか?俺、見舞いに行きましょうか?」
十月が本気で心配する。
アリスが慌てて言う。
「大したことないのよ。でも右手の人差し指中指を骨折しちゃって、しばらくキーボード打てないの」
「指ですか。それは大変だ。俺、飯作りに行きますよ」
「あの子はジャンクフードしか食べないから、大丈夫よ」
この子は本当に優しい。アリスは微笑む。
「そっちじゃなくてね、配信の方」
アリスは続ける。
「ぱる子恋愛相談コーナー。代わりにやってくれない?」
「え……俺?……で、でも……」
いつもは冷静な十月が狼狽えていた。
アリスは理由が分からず、念のために確認する。
「駄目かしらね」
「い、いや。駄目じゃないです。俺、やりますよ」
何故か声が微妙に震えている。
――嬉しいのかしらね
アリスは勝手に良い方に解釈した。
「トゲさん、そろそろライブ配信の時間っす」
青木くんの声。
「じゃ、よろしくね。詳細は青木くんに聞いて」
アリスは話を切り上げ、十月のライブ配信を楽しみに社長席まで戻っていった。




