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 ――目を覚ますと、そこには教室が広がっていた。



「…………え」


 唖然としながら、瞬きを繰り返す。

 私は教室の中心部の席に座っており、高校指定のセーラー服を着ていた。壁に掛けられた時計は、午前八時四十分を示していた。

 教室全体が何だかほんのりと赤い気がして、違和感を覚えて窓の方を見る。


 窓の向こうにあるのは赤、ただ一色だった。


 空が赤いとか、地面が赤いとかそういうことではなく、そこにはもう赤色しかなかった。空も建物も自然も地面も全部がなくなって、永遠のような赤色だけが広がっていた。(綺麗)という言葉が、腐敗した花畑のように脳内を支配していく。


「……どう、して」


 もしかしたらここは夢の中なのではないだろうかと思って、頬を強くつねる。でも、ちっとも覚める気配はなかった。……本当は、心のどこかでわかっていた。目の前の机を撫でる。空気を吸う。教室のにおいを嗅ぐ。そのどれもが鮮やかな感覚で、だからこれは、紛うことなき現実なのだと。


 でも、そうだとしたら。教室にいるはずの人間は、どこにいる……?


 浮かんだ疑問に応えるための情報を脳が導こうとして、私は教室のあちこちに視線を彷徨わせた。


 そうして、気付く。

 ここは本館の教室ではなく、別館の教室だ。


 旧教室には放課後の部活動の時間にならなければ、基本的に人がいないはずだ。休み時間ならまだしも、今は一限の授業が行われているはずの時刻だ。


 一人でいることが段々と心細く、怖くなってきて、私は椅子から勢いよく立ち上がる。いくつもの机の間をすり抜けて、開いている教室のドアから外に出た。クラスプレートには、「一年三組」と書かれていた。


 *


 階段を降りて、渡り廊下を進む。

 本館に戻ってくると、微かな安心感が私の心を包み込んだ。

 でも、それも長くは続かなかった。私は潰れた蛙のような声を漏らし、立ち止まってしまう。……でも、進まないという選択肢はなかった。ぱしゃ、ぱしゃ、と水音を立てながら私は廊下を歩く。上履きが少しずつ赤く染まっていく。本当に夢の中にいるとしたらどれほどよかっただろうと、口角を歪めながら考える。


(戻りたいな)

(普通だった日々に戻りたいな)

(……死を選べば、戻ることができるのかな?)


「二年一組」と書かれたクラスプレートが、段々と近付いてくる。血溜まりへの憧憬で埋め尽くされている思考の端で、私はこんな想像をする。教室を覗くと、傷一つない正常なクラスメイトたちが授業を受けている。目を見張る私に、傷一つない正常な先生が遅刻を注意する。振り返れば、血溜まりなんてない清潔な廊下が広がっている――


(そうだったら、いいな……)


 私は柔らかく微笑みながら、閉じられている教室のドアに手を掛けて、開いた。




 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。

 ――肉塊。




 ……そう呼称するに、相応しかった。

 最早頭部も胴体も腕も脚もわからなくなるほどに抉れ、「肉の塊」となったクラスメイトたちがそれぞれの席に座りながら授業を受けている。まだ目と思われる部分は残っていて、沢山の目が授業に遅れた私のことをじっとりとした視線で見つめていた。クラスメイトたちと同じく肉の塊となった先生が、口だと思われる部分をぱくぱくと動かした。


「か、わ、い、さ、ん…………ち、こ、く、で、す、よ…………」


 ――××さん、遅刻ですよ。

 高校一年生の頃、この先生が困ったように笑いながら、遅刻してきた生徒にそうやって告げていたのを思い出した。

 今とはずっと異なる、温かな響きの声で。


「…………か、わ、い、さ、ん…………?」


 私は俯いて強く唇を噛んでから、顔を上げてかろうじてうっすらと微笑んだ。


「……はい。すみません」


 私は歩き出す。誰の血かもわからない血溜まりを踏みながら、靴下までをも赤く染めながら。


 *


 チャイムが鳴り、一限が終わる。

 斜め左前に座っていた肉塊が席を立ち、私の方に歩み寄ってくる。


「や、か、あ…………な、ん、で…………ち、こ、く、し、た、ん…………?」


 瞳の柔らかな焦げ茶色だけが、そのままだった。

 気持ちがぐちゃぐちゃになる。成花の名前を呼びたい感情と、これが成花だと認めたくない感情の狭間で、自分が二つに千切れてしまったかのように思った。


「や、か、あ…………な、ん、で…………む、し、す、ん、だ、よ、お…………」


 肉塊の、口元? が、少しばかりつり上げられた。



 ――弥歌ー、何で無視すんだよー!



 私は頭の中で成花の声を、姿を再生する。随分と高い位置で結ばれたポニーテール、細身で女にしては高い背丈、屈託なく笑う陽光のような笑顔……


「や、か、っ、て、ば、あ…………」


 肉塊が私の顔を覗き込んでくる。

 気付けば私は、肉塊のきっと元々は頬だったと思われる辺りに手を添えた。

 赤色の湿り気。優しい彼女の血は、優しい温かさだった。


「…………ごめんね、」


 ぽろぽろと、私の涙が机の上に零れた。

 透明だった。

 この赤色の世界で、私だけが赤色になることができていない。


「な、ん、で…………あ、や、ま、ん、の…………?」

「本当にごめんね、多分ね、全部私のせいなんだよ、四月十三日がずっと繰り返しているのも、成花も世界もどんどん壊れちゃっていくのも、全部、私の、せいなんだ」

「え…………ど、ゆ、こ、と…………?」


 私は彼女から手を離す。

 手のひらは、彼女の赤さに染まっていた。

 私の中に流れている血も、全部、この人のようになることができたらいいのに。


「わからなくていいよ。あのね、お礼、言いたかったんだ……『一昨日』、私のことをいっぱい励ましてくれてありがとう。それだけじゃない。あの日も、あの日も……ありがとう。こんな屑みたいな私とずっと仲良くしてくれてありがとう。本当に、ありがとう」

「え…………ご、め、ん…………ま、っ、て…………な、ん、の、こ、と…………?」

「これも、わからなくていいんだ。いいんだよ。今度、休みの日が訪れたらさ、一緒にどこか行こうよ。私が、奢ってあげるから。約束だよ」


 私は涙を拭って、そっと立ち上がった。

 彼女へと、背を向ける。


「ま、っ、て、よ…………や、か…………ど、こ、い、く、の…………?」


 私は淡く微笑んで、言う。


「君のことを、救えるところ」

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