43話 崩壊する戦線
まるで次の獲物を狙う力を蓄えるかのように、騎士の遺体から肉を貪る魔獣の姿が視界の隅に映る。
「クソッ! キリがない……」
魔獣の牙や爪によって大きく裂かれた傷口から、とめどなく血が流れ続ける。
アルヴィンの身体は、自らの血と魔獣の返り血にまみれ、赤く染まっていた。
倒しても、倒しても魔獣は減るどころか、アルヴィンの血の匂いに誘われるように増え続けていた。
大量の出血によって呼吸は荒くなり、指先から徐々に冷えナイフを握る感覚さえ、次第に薄れていた。
(いつまで続くんだ? 正直、もう立ってるだけでも限界が……)
そんな状態でもアルヴィンが立ち続けていられるのは、少しでも隙を見せれば、魔獣たちの餌にされてしまうという絶望的な状況があったからだ。
(クソ……この状況を覆せる方法が見つからない!)
ただ一方的に追い詰められる状況に、アルヴィンを含め、他の騎士たちも為す術がなく、無惨に命を散らされていくだけだった。
(何か……何でもいい。策を考えないと)
その瞬間だった。
少し離れた場所で、木々の隙間からパッ――と赤い光が広がった。
ドォオオン——!
その直後、身を焦がすほどの熱を帯びた爆風が、アルヴィンを襲った。
「っ!?」
衰弱していたアルヴィンの身体は、まるで枯葉のように軽々と吹き飛ばされ、背後にあった木の幹へ激しく叩きつけられた。
「がっ……!」
背中を強く打ちつけた衝撃に、肺から一気に空気が吐き出された。
「はっ……はぁ……っ」
息を吸おうとしても、胸の奥が潰れたように苦しく、思うように空気が入ってこない。
何度も浅く息を吸い込むが、呼吸は次第に乱れ、喉から掠れた音が漏れる。
「ゴホッ……ゴホッ!」
咳き込んだ瞬間、口の中に鉄の味が広がった。
アルヴィンは胸元を押さえながら、必死に呼吸を整えようとするが、身体は思うように動かず視界が徐々に霞み始め、耳の奥からはキーンと甲高い音が響き、周囲の音が遠のいていく。
(ダメだ……ここで意識を失ったら……!)
だが、アルヴィンの意志とは裏腹に、身体はもうとっくに限界を迎えていた。
霞む視界は次第に暗くなり、耳鳴りだけがやけに鮮明に響いている。
「まだっ……俺は……!」
必死に意識を繋ぎ止めようとするが、力の抜けた指からナイフが滑り落ち、アルヴィンの意識は暗闇の中へと沈んでいった。
——熱い。
身体を包み込むような熱気に、アルヴィンはゆっくりと意識を取り戻した。
「……んっ……」
重い瞼をゆっくりと開くと、赤く燃え上がる木々がぼんやりと霞む視界に映り、辺り一面に炎が広がり黒煙が空を覆っていた。
「ゴホッ!」
咳き込んだ瞬間、焼け焦げた臭いが鼻腔を貫いた。
「ぐっ……」
身体を起こそうと腕に力を込めるが、思うように力が入らず、アルヴィンは再び地面へと身体を預けた。
(何が……起きたんだ)
混濁した記憶を手繰ると、視界が一瞬だけ赤く開けたかと思えば、次の瞬間には凄まじい爆風に襲われていた。
(……爆発? いったい、何が――)
この場には、爆発を引き起こすようなものはないはずだった。
そこでアルヴィンはふと、以前戦った大型魔獣のことを思い出した。
(あの魔獣も、炎を吐いてたな……)
「クソッ……そういうことかよ」
次々と襲いかかる最悪の事態に、アルヴィンはチッ――と舌打ちした。
(いつから、その可能性はないと思っていた? 相手は未知の魔獣だ……)
地面に散乱する持ち主を失った剣の一本を拾い上げ、それを杖代わりにして、アルヴィンはふらつきながらも立ち上がった。
「……お前も、その力を使うのかよ」
アルヴィンの目の前には、一体の魔獣が口を大きく開き、こちらへ狙いを定めていた。
口の奥からは凄まじい熱気が溢れ出し、周囲の空気さえ歪んで見える。
その威力を、アルヴィンはかつて対峙した大型魔獣との戦闘で身をもって知っていた。
(身体は小さくても、目の前にいるのはあの時の大型の化け物と同じ魔獣だ。なら、その力を使えるのも当然か)
「ふざけやがって……」
アルヴィンは杖がわりにしていた剣を掲げ、今まさに炎を吐き出そうとする魔獣に向かって放った。
その剣は魔獣の脳天に真っ直ぐと突き刺さり、即死は免れなかった。
命の灯火が消えたと同時に、吐き出されようとしていた炎も消え、魔獣は静かに地面へと倒れこんだ。
(さっきの爆発もきっとこれと同じか……。あの大型魔獣と似たような威力だとしたら、こんな小さな身体が耐えられるわけない)
「本格的に俺たちを殺しにかかりだしたな……」
腹の足しにするために騎士を殺していた魔獣が、突然その手段を変えた。
「……何か、急ぐ理由ができたのか?」
そう呟きながら、アルヴィンが魔獣の死体に突き刺さったままの剣を引き抜いていると、背後から弱々しい足音が聞こえた。
「アル、ヴィン……無事だった、か……」
今にも消えそうな声で名前を呼ばれ、ぎょっとしながら振り向くと、そこには先ほどの爆発に巻き込まれたのであろう、大火傷を負ったライネルの姿があった。
「ライネル……騎士団長」
あまりの深手に、アルヴィンは息を呑んだ。
(こんな、大火傷……)
ふっと脳裏をよぎった、最悪な予感を振り払いながら、アルヴィンは今にも倒れそうなライネルの身体を受け止め、持ってきていた荷物から火傷に効く薬を取り出した。
それが薬だと気づいたライネルは、そっと制止する。
「それは……いざと言う時に、残しておけ」
「で、ですがっ! 今すぐ何か、処置をしなければこのままでは!」
「もう……感覚がないんだ。今更、薬を使ったところで無駄になるだけだ……。それより、お前がっ……無事で良かった」
ライネルの身体には、火傷だけではなく、先ほどの戦闘で負った傷もいくつも残されていた。
「友人から預かった大事な生徒……こんなことに、なるなんて……」
大量の出血に加えて、痛覚を鈍らせるほどの大火傷は、ライネルの命を今にも刈り取ろうとしていた。
「ライネル騎士団長! 今は喋らずにゆっくりと息をしてください!」
アルヴィンの必死な訴えに、ライネルからの返事はしばらくなかった。
「…………すまない、もう音が、聞こえなくて……。お前が、何を話してるのか、もう……」
「そんな……ライネル騎士団長っ!」
再び大きく声をかけるが、それに対しての返答はなく、ライネルの瞳から徐々に光が失われていく。
「アルヴィン……前線はもう既に、壊滅状態だ。魔獣が……後方へ向かうのが、確認された」
「後方……」
すると、襲うには絶好の状態にあるアルヴィンとライネルには目もくれず、一目散に後方支援組がいる方へ向かう魔獣の姿が確認できた。
遠ざかっていく魔獣の姿をアルヴィンは目で追いかける。
後方には、実戦経験の少ない生徒を中心に、数人の騎士だけで隊が組まれており、魔獣がそこへ到達すればどんな惨状になるのか容易に想像できる。
「戦えるのは……お前だけだ」
「ライネル騎士団長っ!」
ライネルの方へ再び視線を向けると、ぐったりと力の抜けた姿があった。
その瞳からはすでに光が失われ、呼びかけに応じる気配もない。
「クソッ!」
アルヴィンはライネルをそっと地面へ寝かせる。
その身体からは、もう何の反応も返ってこなかった。
すると、黒い光を淡く放つ、小さな羽を持った存在がアルヴィンの肩に止まった。
『……アルヴィン。新しい存在が、こっちに向かってきてるわ』
新たなる脅威に怯え、震える声にアルヴィンはそっと返事をする。
「………あぁ。今向かう。エリュシオン」
感傷に浸る暇もなく、アルヴィンはガルドとレイがいる後方へと向かった。




