42話 戦場に響く遠吠え
夜明け前、今回の出動要請を受けたアルヴィンたちは、誰にも見送られることなく学院を後にした。
初めて戦場へ赴く生徒がほとんどということもあり、馬車の中には息が詰まるような緊張感が漂っている。
そんな中、アルヴィンだけは妙に落ち着いていた。
その異様なほどの落ち着きぶりに、ガルドは怪訝そうな表情を浮かべて声を掛ける。
「……お前、なんでそんなに落ち着いてられんだよ」
「え? そうか?」
「そうだよ。お前、周りをよく見てみろよ」
ガルドに促され、アルヴィンは周囲へ視線を向ける。
そこには、緊張でろくに眠れなかったのか目の下に隈を作った生徒や、血走った目でじっと前を見つめる生徒たちの姿があった。
「…………変に緊張すると、身体が動かなくなるだろ? それに、後方支援なんだから、そんなに肩肘張る必要はないよ」
そう言いながら、アルヴィンは慣れた手つきで剣の手入れを始める。
そのあまりにも落ち着いた様子に、周囲の生徒たちは信じられないものでも見るような視線を向けていた。
「……あれ。お前、そんな剣持ってたか?」
「ん? あぁ、貰ったんだよ」
アルヴィンが手入れをしているのは、先日エレノアから贈られた剣だった。
そして腰には、同じく彼女から贈られたナイフも携えている。
「……エレノアからか?」
「………………」
突然聞こえたエレノアの名前に、ピクリと一瞬動きを止めたアルヴィンを見て、ガルドはニヤニヤと口角を歪める。
「だと思ったよ。そんな高そうな剣、俺たちが持てるはずがないだろ?」
「…………うるせぇよ」
あまりにも普段と変わらないアルヴィンの様子に、ガチガチに緊張していた自分たちが馬鹿らしくなったのか、車内に張り詰めていた緊張感は少しずつ解け始めた。
「……なぁ、後方支援ってなにするんだろうな」
「武器とかの補充じゃないか?」
「なんだ、そんなもんか」
「だから言っただろ? 緊張しすぎなんだって」
アルヴィンを中心に、次第に他愛のない話が広がり始めたそんな時、乗っていた馬車が突然その場で動きを止めた。
外の様子を窺うように窓から顔を出すと、鬱蒼とした森が広がっており、その中にはいくつかの小さなテントが張られていた。
「後方支援組はここで降りるように」
テントの中から現れた一人の騎士が声を掛けると、生徒たちはぞろぞろと馬車から降り始める。
独特な緊張感を肌で感じ、これから自分たちも作戦に参加するのだという現実を実感したのか、生徒たちの表情が再び強張っていく。
「どうしたんだよ。お前も降りろよ」
「アルヴィン? どうかしたのか?」
別の馬車に乗っていたレイもガルドに合流する。
しかし、いつまで経っても馬車から降りようとしないアルヴィンを見て、二人は不思議そうに声を掛けた。
「…………俺、前線だから」
「は?」
「前線って……」
重くなった空気を振り払うように、アルヴィンは明るい調子で言葉を続ける。
「ほら、俺って実力のある優秀な生徒だからさ。逆に俺が前線じゃないと変だろ?」
冗談めかして笑うアルヴィンとは対照的に、ガルドとレイの顔からは血の気が引いたままだった。
「……そんな顔すんなよ。俺は大丈夫だから」
前線が何を意味するのか、嫌というほど理解しているガルドとレイはなんと声をかけていいのか、言葉を詰まらせる。
すると、アルヴィンが突き出した拳に気づいた二人はハッとしたように顔を上げる。
そして二人も、アルヴィンの拳へ自分たちの拳を重ねた。
「絶対、戻って来いよ」
「あまり、無茶はするなよ」
これから戦いの中心へと赴くアルヴィンへ、ガルドとレイは激励の言葉を送る。
その言葉が、今回の作戦の本当の目的を知っているアルヴィンの胸に、重く響いた。
この作戦で、いったい何人が生き残るのか。
もしかすると、この場にいる誰かが今日を最後に帰らぬ人になるかもしれない。
作戦に隠された真実はあまりにも残酷だからこそ、アルヴィンは二人を混乱させないためにも、その真相を口にすることはなかった。
(本当は、今すぐにでもこの場から離れろって言うべきなんだろうか……)
「……お前らも、絶対に気を抜くなよ」
アルヴィンは本音をぐっと押し殺し、真っ直ぐ二人を見つめる。
「当たり前だろ!」
「何当たり前のことを言ってるんだ」
三人はしばらく可笑しそうに笑い合った。
だが、やがてアルヴィンだけを乗せた馬車が、静かに戦いの本拠地へ向かって走り始める。
「…………死ぬなよ」
アルヴィンは再び馬車に揺られながら、小さくなっていく二人の姿を見つめ、誰にも届かないほど小さな声で呟いた。
前線へ到着すると、そこには重くのしかかるような緊張感が漂っていた。
この場所にいるのは、今回の作戦の本当の目的を知らされている者たちばかりだ。
誰もが口数少なく、これから始まる戦いを前にして険しい表情を浮かべている。
アルヴィンは馬車から降りると、周囲を見渡した。
そこにあるのは、先ほどまで学院の仲間たちと笑い合っていた空気とはまるで違う、張り詰めた戦場の空気だった。
「アルヴィン! こっちだ!」
すると、聞き覚えのある声が耳に届きそちらへ顔を向けると、鎧を身にまとったライネルの姿があった。
「ライネル騎士団長」
「悪いな。お前一人を前線に呼んでしまって」
今回の作戦に学生であるアルヴィンたちを巻き込むことに対して、未だ折り合いがついていない様子のライネルは、アルヴィンに頭を下げる。
「……俺なら大丈夫ですから。お力になれるよう、頑張ります」
「…………すまない。お前の実力に期待をしている。今回の作戦では、私の指揮下で動いてもらう」
「よろしくお願いします!」
アルヴィンは力強く頷いた。
しばらくライネルと話を交わしながら、アルヴィンは周囲の様子を観察していた。
そして、今回の作戦でなぜまだ学生である自分たちにまで協力要請が出されたのか、その理由をようやく理解した。
(話に聞いていた以上に、騎士の数が少ないな)
クラウスから、聖騎士の半数が遠征に出ているとは聞いていた。
それでも、実際に目の当たりにしてみると、想像していた以上に前線の人手は不足していた。
(このタイミングで新種の魔獣の出現……仕組まれてるとしか思えないな)
前回の魔獣騒動からまだ日も浅いく、魔獣がどうやって生まれるのか、その仕組みさえ未だに分かっていない。
それだというのに、聖騎士の半数が遠征へ出たこのタイミングで新種の魔獣が現れた。
偶然にしてはあまりにも出来すぎており、アルヴィンには誰かが意図的に仕組んだとしか思えなかった。
(意図的に魔獣を生み出せる者がいるのか? もしそうなら、どうやって生み出している? 俺の他にも、精霊に詳しい者がいるのか?)
様々な考えがアルヴィンの頭を巡っていた、その時だった。
ウワォォォオォオオオオオン――――!
獣の遠吠えが森中に響き渡った。
その瞬間、周囲の空気が一変し張り詰めた緊張が一気に広がった。
騎士たちは反射的に武器へ手を伸ばしたが、最悪なことに遠吠えは森の木々に反響し、まるで四方八方から聞こえてくるようだった。
どこから発せられたものなのか、皆目見当もつかない。
「クソッ――! どこから聞こえてくるんだ!」
アルヴィンもいつでも戦えるよう剣へ手を伸ばし、周囲への警戒を続ける。
まるで見えない何かに、じりじりと間合いを詰められているかのようだった。
その緊張が極限まで高まった、その時――。
「ウワァッ!」
突然、森のどこかから騎士の悲鳴が響き渡った。
それを皮切りに、別の場所からも次々と悲鳴が上がり、辺りに動揺が走る。
「落ち着け! 剣を抜け! 互いに背中を合わせて周囲を警戒しろ!」
ライネルの指示のもと、アルヴィンも近くにいた騎士と互いに背中を預け合い、余計な音を立てないよう息を殺す。
すると、複数の足音がこちらへ向かって地面を駆ける音が聞こえてきた。
その数は、一つや二つではない。
近づいてくる足音に合わせるように、辺りの緊張がさらに高まっていく。
高まり続ける緊張感に、アルヴィンは固唾を飲んだ。
その瞬間――茂みの中から、複数の黒い個体が一斉に飛びかかってきた。
「っ! アレが――」
報告書にあった通り、王都でもよく見かける野犬と変わらないほどの大きさだった。
だが、その爪と牙は鋭く伸びており、一度でもまともに攻撃を受ければ、致命傷は避けられないことがすぐに分かった。
突然の魔獣の襲来により、その場は瞬く間に混沌と化した。
それもそのはず、木々や草木が生い茂るこの場所では、剣を思うように振るうことができない。
騎士たちは魔獣の攻撃を躱しながら、隙を見て反撃するしかなかった。
比較的小さい個体とはいえ、その力は到底人間が敵うものではなく、騎士たちは苦戦を強いられていた。
一人、また一人と魔獣の爪に倒され、戦場から姿を消していく。
「クソッ!」
間合いが限られたこの場で剣を振るうことは不利と察したアルヴィンは剣を鞘へ収めると、腰に携えていた二本のナイフを抜き放った。
(一撃で仕留めないと、こっちが殺られる!)
ナイフを構えた途端、一頭の魔獣に狙いを定められ咄嗟に魔獣の牙や爪を受け止めた。
ガキィンッ——!
「ッ――」
魔獣の身体は小さくとも発せられる力は凄まじかった。
二本のナイフで受け止めた爪はギリギリと音を立てながら押し込んでいき、その鋭く伸びた先端はアルヴィンの顔を斬り裂こうとしていた。
「ッ! クソッ!」
アルヴィンは魔獣の爪を払い除けると、すかさず魔獣の死角へ回り込み、振り抜いた蹴りを脇腹へ叩き込んだ。
ドゴッ——!
鈍い音と共に魔獣の身体が蹴り飛ばされる。
怯んだ隙を逃さず、アルヴィンは一気に距離を詰め、心臓や脳などの急所へナイフを深々と突き刺した。
ギャンッ——!
魔獣は短い呻き声を上げると、そのまま地面へと崩れ落ちた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ――! 一体目……」
なんとか一体目を倒すことはできたが、息を整える暇さえ与えられない。
次々と茂みの奥から魔獣が姿を現し、その数は増え続けていた。
(……まだ来るのかよ!)
アルヴィンは素早く魔獣の死体からナイフを引き抜き、握り直して構える。
視界に映るだけでも、すでに十を超える魔獣がこちらを取り囲んでいた。




