41話 遠ざかる日常
学院内はやけに色めき立っていた。
それもそのはず、先日の学院公開日で多くの人々と交流する中、新たな関係を築いた者も少なくなかった。
アルヴィンの友人であるガルドやレイも、その一人だった。
「…………なぁ。いつまでそうしてんだよ」
セシリアの護衛から解放され、ようやく以前の暮らしを取り戻しつつあったアルヴィンは、目の前で締まりのない表情を浮かべる友人たちを見て、呆れたように声をかけた。
「なんだよ。邪魔すんなよ」
至福の絶頂にいると言わんばかりのガルドは、水を差してきたアルヴィンをきつく睨みつける。
「邪魔ってなんだよ……。そろそろ教室に戻んないとって言ってるだけだろ?」
ガルドの隣で、同じく惚けた表情を浮かべていたレイが、ハッと我に返ったように壁に掛けられた時計へ視線を向ける。
「うわ。もうこんな時間か……」
らしくない二人の様子に、アルヴィンはため息をつく。
「あのなぁ……。そろそろいい加減にしないと、クラウスから釘を刺されるぞ?」
「わぁってるよ」
アルヴィンの小言を面倒くさそうに聞き流しながら、ガルドは手にしていた桃色の手紙を丁寧に畳み、封筒へ慎重にしまい込んだ。
二人は先日の公開日で良い雰囲気になった女の子たちと、ついに恋人同士になったらしい。
それ以来、受け取った手紙をまるで家宝のように大切に扱い、時間があれば取り出しては、うっとりとした表情で眺めている。
「ほら、シャキッとしろよ?」
未だに口元を緩ませている二人へアルヴィンが釘を刺すと、ガルドが納得のいかない様子で食ってかかる。
「だいたい! お前はなんでそんなに冷静なんだよ!」
「はぁ? 俺!?」
まさか矛先が自分に向けられるとは思っていなかったアルヴィンは、素っ頓狂な声を漏らす。
「俺らが知らないと思うなよ! あのエレノアといつから付き合ってたんだよ!」
「はぁあ!? 付き合ってねぇよ!」
あまりにも突然で見当違いな言葉に、アルヴィンは全力で否定すると、ガルドとレイは声を揃えて驚いた。
「はぁ!? 付き合ってない?」
「え、だって……お前、公開日の時に焚き火でエレノアと一緒に踊ってただろ?」
「はぁ? それがなんだよ」
アルヴィンが何も理解していないと分かったガルドとレイは、心底呆れたようにため息をついた。
「お前な……公開日に焚き火を囲って踊る意味を分かってないだろ」
レイは呆れたようにアルヴィンを見つめる。
「意味って、あれだろ? 願いが叶うって……」
エレノアがあの時に言っていた言葉をそのまま口にすると、再び二人からため息が漏れる。
「鈍感にも程があんだろ……」
呆れを通り越し、もはや怒りさえ湧いてきているガルドをよそに、レイはまるで常識を教えるように言葉を続けた。
「あのな、あの焚き火を囲んで踊った二人は、想いが通じ合って結ばれるって言われてんだよ」
「……………………は?」
完全に理解の追いつかなくなったアルヴィンは、しばらく固まったまま動けずにいたが、やがてなんとか声を絞り出した。
「え、だって……エレノアが、願いが叶うって……」
それを静かに聞いていたガルドは、呆れたように舌打ちすると答える。
「お前、それは乙女心ってもんだろうがよ」
「お、乙女心?」
すると、今までに聞いたことがないほど大きなため息が二人から返ってきた。
「あの氷の女王って呼ばれてるエレノアが、素直に自分からお前に『好きだ』って言えるか? しかも、その相手は恋愛感情に疎いときた」
諭すように言葉を並べるガルドに続き、レイもアルヴィンへ視線を向ける。
「……お前、あの場所でエレノアとなんて約束したんだよ」
アルヴィンは、あの時の記憶を鮮明に思い出しながら、二人にその言葉を伝えた。
「卒業後も……俺たち、ずっと一緒にいられるといいなって」
その言葉を聞いたガルドとレイは、しばらくの間、黙り込んだ。
「…………」
「…………」
「……な、なんだよ」
二人は顔を見合わせ、先にレイが口を開いた。
「……お前、それ、ほぼ両想いだぞ」
「はぁ!?」
すると、アルヴィンのあまりの鈍感さに我慢の限界を迎えたガルドが、ついに声を荒らげた。
「おかしいと思ってたんだよ! 俺たちが補習、稽古、補習、稽古に追われてるってのに、お前は最近、エレノアと一緒にいる回数が増えてたからよ! なのにお前、エレノアが好きだってことに気づいてないだぁ!?」
「バッ、バカ! お前、声がでけぇよ!」
ガルドの勢いに驚いた生徒たちの視線が集まる中、この流れに便乗するように、レイが続ける。
「そうだぞ? 俺たち、ずっとお前らは付き合ってるって話してたんだから」
「だ、だから! 俺たち、そんな仲じゃねぇって! だって、好きとか……そんなこと、一度も……」
身を乗り出し、最初こそ必死に否定していたアルヴィンだったが、ふと、その言葉の先が続かなくなった。
初めて剣を交わした日。
魔獣を共に倒したこと。
酒に酔ったエレノアから、人生で初めてキスをされたこと。
そして、公開日の夜――焚き火の前で見た、彼女の姿。
次々と蘇る思い出に、アルヴィンの言葉は徐々に途切れていく。
「……そんなこと……」
否定するはずだった言葉が喉の奥で消え、身体中の体温が頬に集まっていくのが嫌でも分かった。
アルヴィンの顔が見る見るうちに赤く染まっていく様子を見て、ガルドはフッ――と鼻で笑う。
「やっと自覚したかよ」
「……早いとこ、二人でちゃんと言葉にしたほうがいいぞ? うやむやになって、関係が自然に消えるのが一番堪えるからな」
まるで経験があるとでも言うようなレイの発言に、アルヴィンはレオンハルトから告げられたことを思い出し、胸の奥に、焦りと不安が募っていく。
(そうだ……。エレノアは、学院を卒業したらいつ誰かと結婚してもおかしくない)
すると、アルヴィンの心中を察したのか、ガルドとレイはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、揶揄うようにアルヴィンを小突いた。
「お? 好きだって自覚したら、エレノアに会いたくなるだろ?」
「これで俺たちは仲間だな」
「お前ら、しつけぇぞ!」
三人は互いに軽口を叩き合いながらも、青春の甘酸っぱい空気に包まれて教室へと戻っていく。
その時のアルヴィンは、これからもこんな日々が続いていくのだと、どこかでそう思っていた。
だが――そんな三人を待ち受けていたのは、冷たい現実だった。
放課後、アルヴィンはどこか上の空な表情で、中庭の噴水脇にあるベンチに腰掛けていた。
そんなアルヴィンの手には、王都から届いた出動要請書が握られている。
数十分前、休憩時間を終えたアルヴィンたちが教室へ戻ると、どの生徒もこの世の終わりだと言わんばかりに顔を青ざめさせていた。
まるで誰かの葬儀でもあったかのような、重苦しい空気が教室を包んでいる。
ただならぬ事態が起きたことを察したアルヴィンたちに、担任のクラウスから手渡されたのが、この出動要請書だった。
詳細は伏せられていたものの、未知の野獣の群れが近く王都を襲う可能性があり、その群れを討伐するための出動要請らしい。
クラウスはあくまで前線で戦う聖騎士たちの後方支援だと何度も繰り返していた。
だが、話を聞けば聞くほど、アルヴィンたちの中から違和感が拭えない。
それでも、その違和感を口にする者はいなかった。
そして――その違和感は、現実のものとなった。
「はぁ……」
どうにもまだ現実として受け入れられず、アルヴィンはこうして中庭へやって来て、噴水の傍で一人黄昏ていた。
すると、不意に一人分の足音が近づいてくる。
「こんな所で何をしているのよ」
「……エレノア」
(……タイミングが良いのか、悪いのか)
今、一番会いたくて、一番会いたくなかった相手が、目の前に現れた。
「そっち、詰めてちょうだい」
「お、おう……」
エレノアに恋愛感情を抱いていると気づいたばかりのアルヴィンは、どこかぎこちない動きでベンチの端へ身体をずらす。
すると、エレノアは当然のようにその隣へ腰を下ろした。
「で? さっきからここで何をしていたのかしら」
「いや……その、こうも天気が良いと酒が飲みたいなーって」
「……曇りよ?」
「え?」
見上げると、確かに雨を孕んだ灰色の雲が空一面に広がっていた。
「私に隠し事なんて無駄よ? ほら、早く――」
言い終わらぬうちに、エレノアはアルヴィンの手に握られていた出動要請書に気づき、言葉を詰まらせた。
「それって……」
これ以上、シラを切るのは無理だと悟ったアルヴィンは、早々に観念すると、手にしていた要請書をエレノアへ渡した。
「……ま。そういうこと」
「そう。なら、私にも届くはずよね。今回もまたあなたと一緒だと安心だわ」
何気なく発せられたエレノアの言葉に、アルヴィンは一瞬だけ目を伏せすぐに彼女へ視線を戻すと、キッパリと言い放った。
「要請書がエレノアに届くことはない」
「どうしてよ。成績で考えても、私にだって要請書が届いてもおかしくはないわ」
アルヴィンの言葉に納得がいかなかったエレノアは、すぐさま言い返す。
「…………そういうことじゃないんだ。今回の要請書は……俺たち一般生徒にしか届かない」
「ど、どういうことよ」
エレノアに、なんと説明すればいいのか分からず、アルヴィンは一瞬、言葉に詰まった。
だが、やがて意を決したように彼女を真っ直ぐに見つめる。
(……これが、最期になるかもしれないんだ)
「…………新しい魔獣が現れたらしい」
「……………………え?」
アルヴィンの言葉に遅れて返したエレノアの表情には、戸惑いが隠しきれなかった。
「新しい魔獣って……だって、この前に討伐したはず……」
「あぁ。前回の大型とはまったく異なる、新種の魔獣の出現が確認されたらしい。今回は、その討伐だ」
「らしいって……そんな……」
要請書を受け取ったあと、クラウスから呼び出されたアルヴィンは、今回の出動に感じていた違和感について問いただそうとした。
だが、その前にクラウスの口から告げられた。
今回の討伐作戦の本当の目的である、王都近郊で新たに確認された、魔獣の群れを討伐すること。
そして、前回の討伐での功績を買われたアルヴィンは、後方支援ではなく、聖騎士たちと共に前線へ出ること。
さらに――学生たちが後方に配置されるとはいえ、今回の魔獣がどれほどの脅威なのか、未だ正確には把握できていないこと。
つまり、後方支援だからといって安全が保証されているわけではない。
クラウスは、その事実をアルヴィンに包み隠さず伝えていた。
「…………生きて帰ってこられる保証がない。だから、今回の要請は俺たち一般生徒にしか出されてない。そんな不確かな作戦に、貴族出身の生徒を駆り出すわけにもいかないだろ?」
「そんな、納得できるわけないわ! そんなの、騙されてるのと同じじゃない!」
感情を露わにするエレノアとは対照的に、どこまでも冷静なアルヴィンは静かに返す。
「国や聖騎士だって魔獣の正体を掴めてないのに、ただの学生である俺たちに説明するはずがないだろ?」
「……でも、そんなの……だって!」
エレノアが言葉を詰まらせながらも、伝えたいことは痛いほど伝わってきた。
(……そう。この討伐で、国を護るために死にに行ってこいと言われてるようなもんだ)
「……そういうことだからさ。エレノアに会えて良かった」
アルヴィンはベンチから立ち上がり、エレノアへと視線を向ける。
けれど、彼女は俯いたまま、返事をすることができなかった。
(……こうなるなら、もっと早く好きだって気づいておけばよかった)
アルヴィンはそう思いながら、そっとエレノアのもとを離れようとしたそのとき、制服の袖を、弱々しく掴まれる。
「…………いつ、出動するの?」
「明日だ」
「………………そう」
すると、エレノアは弱々しく立ち上がると、震える腕でアルヴィンを抱きしめた。
「…………必ず、帰ってきて」
まさかエレノアに抱きしめられるとは思っていなかったアルヴィンは、一瞬だけ目を見開いた。
けれど、すぐにその背へ手を回す。
「約束する」
アルヴィンは、その言葉を胸に刻むように静かに告げた。




