44話 黒き激情
新たに発見された魔獣の群れを討伐する作戦にて、アルヴィンが配属された前線は、魔獣による圧倒的な戦力差によって壊滅状態にまで陥っていた。
「ハァッ! ハァッ! ハァッ——!」
死傷者が多く出る中、奇跡的に生き残ることができたアルヴィンはライネルの報告を受け、ガルドやレイたちがいる後方へと向かった魔獣の後を追い、燃え盛る木々の中を全力で駆け抜けていた。
ただ、アルヴィンは何とか死なずに済んだというだけに過ぎず、致命傷に繋がるような傷をいくつも負っていた。
「うっ! クソッ——」
戦闘で負った傷には雑に切り裂いた制服の切れ端を巻き付けていたがそれでも出血は止まらず、走るたびに血がポタポタと地面へ落ちていく。
足元がおぼつかず何度も躓きながらも走り続けていたが、ふとアルヴィンは足を止め、周りを注意深く見渡した。
「これは……」
木の幹には剣先が当たったような跡があり、明らかに戦闘の痕跡が残っていた。
「もうここまで魔獣が来てんのかよ」
いつでも戦えるように、アルヴィンは鞘から剣を引き抜く。
耳を澄ませながら慎重に先へ進んでいく中、前方から剣と何かがぶつかり合う金切り音が響いてきた。
——キィンッ!
「近いな……」
その音がした方へ向かおうとしたその時、アルヴィンは足から力が抜け、体勢をふらりと崩した。
咄嗟に剣を支えにしたことで地面へ伏せずには済んだが、視界が暗く狭まり意識が朦朧としてきていた。
「クソッ——」
止血のために巻いていた制服の切れ端は真っ赤に染まり、滴り落ちた血で足元までじんわりと湿っていた。
アルヴィンの身体はとうに限界を迎えており、前線からここまで走って来れたのも到底信じ難い状態だった。
乱れた呼吸を落ち着かせるために、アルヴィンは木の幹に身体を預け、再び切り裂いた制服の切れ端を傷口に巻き直す。
「……なんで治らないんだよ。エリュシオン」
その名を呟くと、アルヴィンの周りにふわりと淡い黒い光が漂い始め、どこからともなく幼い少女の声が聞こえてきた。
『分かってるでしょ? あなたに残された生命力が底を尽きかけているからよ。私との約束を破るつもり?』
「…………少しだけでいい、力を貸してくれ」
すると、アルヴィンの周りを漂っていた淡い黒い光がその言葉に反応し、辺り一面を照らすかのように一瞬だけ強く輝いた。
光が静まったと同時に、アルヴィンの目の前に長い黒髪と黒い瞳を持つ、どこか儚げで愛らしい少女が現れた。
影のように揺らめく裾や袖を持つ黒いワンピースを身に纏い、添えられている細い銀鎖と小さな星飾りだけがシャランと小さく音を立てる。
「エリュシオン……」
『本気で言っているの?』
アルヴィンにエリュシオンと呼ばれたその少女は、長い睫毛を伏せながら呆れたように言葉を返す。
「あぁ。本気だ」
『………その状態で私の力を貸したって、あなたの肉体が耐えられるわけないでしょ?』
エリュシオンは小さくため息を吐くと、アルヴィンへと歩み寄る。
『それに、その傷……全然治ってないじゃない。それがなによりの証拠よ』
未だ出血が止まらない傷について指摘され、アルヴィンは言葉を詰まらせる。
『あなた、死ぬつもり?』
「そんなつもりはないっ!」
エリュシオンの言葉に、アルヴィンは強く返す。
「早く助けに行かないと、アイツらが死ぬかもしれない!」
『それであなたが死んだら元も子もないわ。自分がどんな状況なのか、分からないはずがないわよね?』
「頼むっ! エリュシオンッ!」
淡々と言葉を並べていくエリュシオンに対し、アルヴィンはただ頭を下げることしかできなかった。
(エリュシオンの言う通り、今の状態で少しでも無理をしたら死ぬことくらいは分かってる。それでも——)
「俺は、アイツらを見捨てることなんてできない!」
覚悟の決まった、揺るぐことのないアルヴィンの瞳を見つめ、エリュシオンは呆れたようにため息をついた。
『はぁ……。分かったわ』
エリュシオンは屈み、アルヴィンの傷口に手を翳す。
すると、血が止まらなかった傷口がみるみるうちに、まるで何もなかったかのように綺麗に治っていった。
「エリュシオン……」
『勘違いしないでちょうだい。あなたに力を貸すには、条件があるわ』
「条件?」
『今のあなたの身体じゃ、五分が限界よ。友達を助けたいなら、五分で蹴りをつけなさい』
「五分……」
『何か文句でも?』
「いや。充分だ」
死の淵をさ迷っていたアルヴィンは、エリュシオンの力によって活力を取り戻し、軽くなった身体をすぐさま立ち上がらせる。
「ありがとう、エリュシオン。これでまた戦うことができる」
『……急ぎなさい。今の力は仮初に過ぎないのだから』
力を一時的に貸したとはいえ、エリュシオンの中ではまだ納得しきれていないのか素っ気なく答えると、再び光の粒子となってふわりと消え去った。
「よし、行くか」
アルヴィンは地面を強く蹴り、ガルドたちのいる後方へと再び駆け出した。
後方へ近づくにつれ、魔獣との戦闘の跡が濃く残り、そこかしこから助けを求める声が響いてきた。
木々の隙間をすり抜け、近くから聞こえてきた声のした方へ向かうと、三頭の魔獣に囲まれている同じ学院の生徒達の姿があった。
一人が気を失っており、戦闘不能となったその生徒を魔獣から庇うように二人の生徒が前に出ていた。
生徒たちは牽制しかできない状態が長く続いていたのか、痺れを切らした魔獣が今にも飛びかかりそうな勢いだった。
「クソッ! クソッ、クソッ!」
こうなるなんて誰が想像できたのか。
剣を振り回す生徒は絶望に満ちた表情で、ただひたすら胸の内に溢れた感情を叫び続けていた。
一瞬の隙が、生死の運命を分ける。
それだけは明白だった。
「エリュシオン、力を貸してくれ——」
『……分かったわよ』
すると、淡い光を放つ黒色の粒子がアルヴィンの背中へと集まり、二枚の黒い羽となってゆっくりと広がった。
ふわりとアルヴィンの身体が宙へ浮き、次の瞬間には風を切るように生徒達の元へと飛翔し、それと同時に生徒達を取り囲んでいた魔獣も一斉に飛びかかる。
「う、うわぁぁぁぁああっ!」
鋭い牙と爪が迫り、生徒達は死を目前にして叫び声を上げる中、アルヴィンは誰よりも大きく声を荒らげた。
「伏せろっ!」
突如響いたアルヴィンの声に、条件反射で反応した生徒達は、揃って地面に伏せた。
黒い羽をふわりと大きく羽ばたかせると、アルヴィンは一気に速度を上げ、まるで一筋の閃光のように魔獣の群れへと突っ込んでいく。
魔獣の鋭く尖った爪が生徒達へ振り下ろされようとしたその瞬間――。
スパッ——。
一頭目の首が音もなく宙を舞った。
地面を無様に転がる仲間の首と、飛び散る血飛沫に、残る魔獣達は躊躇いを見せ、動きを鈍らせる。
だが、それもほんの一瞬にすぎず、すぐさま仲間の首を刎ねたアルヴィンへと牙を剥いた。
ガルルルルゥゥ——。
魔獣達は低い唸り声を上げ、今にもアルヴィンの喉元を食い破らんとするように狙いを定め、飛びかかろうとしていたが、ふと動きを止める
アルヴィンの姿を一目見た途端、その瞳には怯えと服従の色が宿り、尻尾を腹へと巻くと、尻込みするかのように後退していく。
そんな魔獣達の前へゆっくりと降り立つと、アルヴィンは広げていた羽を畳み、ジロリと睨みを利かせる。
魔獣達が一瞬で恐れ慄いたアルヴィンの姿は、衣服なのか肉体なのかもはや判別できないほど、幾重もの黒い影が全身を纏い、絡みついている。
その影はまるで意思でも持っているかのように絶えず蠢き、髪先や腕、背中から伸びては、周囲の光さえ呑み込もうとしていた。
到底人間とは思えない姿に、魔獣達はジリジリとアルヴィンから距離を取る。
「……散々殺して回ったくせに、今更遅せぇよ」
アルヴィンから発せられた、まるで地の底を這うような低い声に魔獣達は背を向け、一目散に森の中を駆け出す。
「逃がすわけねぇだろ」
アルヴィンは走り出した魔獣達へ右手を翳した。
「死ね」
すると、アルヴィンの手のひらから、まるで触手のようにうねる黒い影が幾本も飛び出し、逃げる魔獣達へと一気に伸びていく。
黒い影は魔獣達の身体へ絡みつき、その動きを完全に封じた。
グルッ——ガルッ——!
魔獣達の身体に絡みついた影は気道を締め上げているのか、口からは僅かに白い泡が溢れ出す。
藻掻く身体に影はどんどんと食い込んでいき、ミシミシと骨が軋む音が響き始める。
やがて、ボキッ——と鈍い音を立て、魔獣達はだらりと全身から力が抜けた。
影から解放された魔獣達の死骸は、ドサドサッ——と地面へ落ちる。
するとアルヴィンは小さく呻き声をあげ、苦しそうに頭を押さえた。
突然、頭の奥を強く締め付けられるような異様な感覚がアルヴィンを襲う。
初めて味わう異常な感覚に耐えきれず、アルヴィンは地面に膝を着いた。
(なんだ……この感覚……!)
「あ゙ぁ゙っ! ぐっ——」
アルヴィンは耐えきれずに藻掻いていると、自身の身体を纏う影が突如として動き出し、まるで血肉を貪るかのように、魔獣達の死骸へ深々と突き刺さった。
死骸へ突き刺さった影は、止めどなく蠢き、グチャグチャ——と肉を割くような音が響く。
「やめっ……やめろっ!」
勝手に動き続ける影に対し、アルヴィンは絞り出すように声を上げる。
「なんでっ……こんな急に……」
突然の異変に動揺を隠せないアルヴィンだったが、暴れ出す影から、とある感情が自分の中へと流れ込んでくる。
(な、なんで……こんなっ!)
流れてきたのは、多くの命を奪った魔獣達に対して、この世に肉片一つさえ残したくないという「怒り」と「殺意」に満ちた激情だった。
(この感情は、どこから!)
明らかに自分の中で生まれた感情ではないことに気づいたアルヴィンは、戸惑いながらも冷静さを取り戻そうとする。
しかし、それでも激情が理性を支配しようとしてくる。
「クソッ! なんなんだよ、コレはっ!」
雪崩のように押し寄せる、制御しきれない感情に飲み込まれそうになったその時、突然エリュシオンの声が聞こえてきた。
『時間よ』
その言葉と共に、アルヴィンを苦しめていた異様な感覚と激情がふわりと消え、暴れていた影が黒色の光の粒子となって消え去った。
「エリュシオン……」
『だから言ったでしょ? 今のあなたでは耐えきれないって』
「あ、あぁ……」
アルヴィンは、もはや原型を留めていない魔獣達の死骸を静かに見つめた。




