04話 勝負の続きは救護室で
張り詰めた睨み合いの中、先に仕掛けたのはアルヴィンで、手にしていたナイフを牽制代わりにエレノアへと投げつける。
だが、その刃は迷いなく振るわれた剣によって容易く薙ぎ払われた。
「ま、そりゃそうか」
「少しは真面目にやったらどうかしら?」
アルヴィンは防がれることを織り込み済みといった様子で顔色一つ変えず、腰に携えていた刃の長さが異なる二本のナイフを抜き取る。
その飄々とした態度に、エレノアは視線を鋭く細め、眉間に寄った皺を隠すこともなく苛立ちを滲ませた。
「俺がいつ、真面目じゃないって?」
「……その態度よ」
「態度?」
「その、いつも退屈そうにしている態度よ。まるで、周りの全てを見下しているみたいで……見ていて腹が立つわ」
「退屈そうって……」
アルヴィンは軽く息を吐き、わずかに肩をすくめる。
「仕方ないだろ? 実際、そうなんだからさ」
「そう……。あなたのその傲慢な態度、今日で最後にしてあげる」
エレノアは静かに言い放ち、剣を再び構えた次の瞬間、その姿がアルヴィンの視界から掻き消えた。
「っ、どこ――」
アルヴィンは本能的にナイフを構えたが、視界の端を冷たい刃が走ったその瞬間、胸元に熱を伴った衝撃が走った。
斬り裂かれた箇所から血飛沫が舞い、滴り落ちた赤がボタボタとアルヴィンの足元を染めていく。
「っ、カハッ――」
逆流した血を吐き出し、アルヴィンはフラつきながら数歩後退した。
ほんの一瞬。
だがその一撃で、致命傷に近い傷を負っていることは誰の目にも明らかだった。
観戦していた生徒たちの間から、動揺のざわめきが広がる。
「アルヴィンッ!」
遠くで、異変を察知したレンの叫びが響く。
「……これで終わりね」
俯いたまま動かないアルヴィンを見下ろし、エレノアは冷たく言い放つ。
その様子を見て、教師が試合を中断しようと口を開きかけたその時だった。
「アハハハハハハハハハッ!」
斬られた腹を抱えながら、アルヴィンが堪えきれないように笑い出す。
「なんだよ、今の! そんなことも出来んのかよ!」
止まることなく溢れ続ける血は指先から滴り、やがて腕全体をべったりと赤く染め上げていく。
「いやー、あんなに速く動けんなら最初から言ってくれよ」
アルヴィンは、まるで何もなかったかのように再びナイフを構える。
続きをやろうと言わんばかりのその姿に、エレノアの瞳がわずかに見開かれた。
「……あり得ない」
小さく、言葉が漏れる。
致命傷に近いはずの一撃を受けてなお笑い、視線だけで「早く剣を構えろ」と訴えてくる。
早く手当をしなければ命に関わるほどの傷だというのに、目の前の男は何事もなかったかのようにナイフを構えている。
思考が追いつかず、判断が遅れているその一瞬の隙を狙うようにアルヴィンは一気に距離を詰めると、腰を大きく捻り、その反動を乗せた足を鋭く振り抜いた。
「くっ――」
肉を撃つ「ドゴッ」と鈍い音が響き、重い一撃がエレノアの腕へと叩き込まれた。
肺を押し潰されたかのような衝撃が全身を貫き、まともな受け身も取れないまま体は数メートル地面を転がった。
(今……何が起きたの?)
思考が追いつかないまま、鼻から血が垂れ落ち、地面に赤い点がぽたり、ぽたりと増えていく。
「……まだ、決着ついてないみたいだぜ?」
頭上から聞こえた声に一瞬で我に返ったエレノアは、咄嗟に剣を構える。
「本気の試合、したかったんだろ?」
余計な思考が脳裏をかすめる中でも、エレノアは間合いを崩さず、アルヴィンが繰り出す重い拳や蹴りを躱しながら、隙を突くように放たれるナイフの斬撃を的確に剣で受け止めていく。
「っ、あなた! 早く手当をしないと!」
「そんなの、必要ねぇよ」
これまで何度も模擬試合を重ねてきたが、これほどまでに攻撃的なアルヴィンの姿をエレノアは見たことがなかった。
アルヴィンの腹の傷をどうにかしなければという思考がよぎり、わずかに意識が逸れたその瞬間「ドンッ」と手の甲に重い衝撃が叩き込まれ、握っていた剣が弾かれるように後方へと吹き飛んだ。
(しまった――)
その瞬間にはすでに決着はついており、アルヴィンのナイフが、エレノアの喉元へ寸分違わず突きつけられている。
「これで終わりだな?」
「っ――」
エレノアは悔しさを押し殺すように歯を噛み、ゆっくりと両手を掲げた。
「……私の、負けよ」
「これで、俺の何勝目だ?」
そう言って笑うアルヴィンはいつも通りの軽い調子で、その姿にエレノアは一瞬だけ気を緩めたが、突然アルヴィンの動きがピタリと止まる。
「あ……やば」
かすれた声を漏らし、そのまま力が抜けるように後ろへと崩れ落ちた。
♦︎
「ん……」
目を覚ますと、ツンとした消毒液の匂いが鼻腔をくすぐった。
「ここは……」
重い体をゆっくりと起こすと、真っ白なシーツに包まれたベッドと並べられた薬品が視界に入り、ここが救護室だと察する。
「なんで、ここにいるんだ?」
記憶を手繰り寄せようとするが、どうにも思い出せない。
ぼんやりとベッドの上で時間を過ごしていると、包帯を抱えたエレノアが救護室へと入ってきた。
「……目が覚めたのね」
「エレノア……」
意識を取り戻したアルヴィンを見て、張り詰めていた表情をわずかに緩めるエレノアとは対照的に、アルヴィンの表情は徐々に強ばり、血の気が引くように顔色が青白く変わっていく。
アルヴィンの視線の先にあったのは、出来たばかりの擦り傷や痣に覆われたエレノアの華奢な体だった。
その傷を負わせた相手など、考えるまでもない。
「その傷……」
エレノアは何も言わず、棚から縫合セットを取り出しアルヴィンの元へ近づくと、彼の腹へと視線を落とした。
「……お互い様よ」
エレノアは無言のままベッドの縁に腰を下ろし、アルヴィンが着ているシャツのボタンを静かに外していく。
「な、何すんだよ!」
「何って、縫うだけよ」
「っ――、だったら! 最初からそう言えよ! もっと、こう……あるだろ、躊躇いとか」
「あなた、さっきから一体なにを言っているの?」
エレノアはすべてのボタンを外し終えると、なんの躊躇いもなくシャツを開き、その下に巻かれた血の滲む包帯を露わにした。
「っ、もういいから! そんな傷、勝手に塞がるって」
「そんなわけないでしょ。早く縫わないと、また傷口が開くわよ」
完全にエレノアの勢いに飲まれたアルヴィンは、観念したように力なくベッドへ倒れ込む。
(なんなんだよ……もっとこう、あるだろ。恥じらいとか)
エレノアはそんなアルヴィンの動揺など意に介した様子もなく、慣れた手つきで裂けた傷を丁寧に縫い合わせていく。
されるがままのアルヴィンは、皮膚がつんと引き絞られるような違和感と、腹部に触れるエレノアの指先にどうにも落ち着かず、視線を明後日の方向へ逸らした。
「痛い?」
「いや、べつに……」
わずかに間が空く。
「そう。なら良かったわ」
傷の縫合を終えたエレノアは、ふとアルヴィンと視線を合わせる。
「な、なんだよ」
「あなたを、傷つけてしまった」
エレノアはわずかに視線を落とし、静かに頭を下げる。
「加減を、誤ってしまった。本当に、ごめんなさい」
「ちょ、やめろよ! エレノアだけが悪いわけじゃねぇって! 俺も途中から意識飛んでて、記憶も曖昧だし、その……俺だって加減とか、多分してなかったと思う」
段々と歯切れが悪くなっていくアルヴィンを見つめながら、エレノアは引っかかった言葉を静かに口にした。
「……意識が、飛んでた? それは、いつから?」
「いつからって……斬られたあたりから?」
その言葉を聞いたとき、エレノアの表情がわずかに固まった。
あの試合中、アルヴィンの様子は明らかにおかしかった。
致命傷に近い傷を負ってなお笑い、何事もなかったかのように武器を手に取り、平然と戦い続ける姿は、まるで理性を失った獣のようだった。
「……あなた、本当に覚えていないの?」
エレノアの問いに、アルヴィンは困ったように眉を寄せる。
「いや……正直、あんまり。気づいたら、エレノアに勝ってて、そのあと倒れたくらいしか覚えてねぇ」
「……そう」
記憶が曖昧な相手をこれ以上問い詰めても、答えは出ないだろう。
そう判断したエレノアは、それ以上追及することをやめ、縫合セットを片付けようと静かに立ち上がった。
すると、背後から弱々しい声が聞こえてくる。
「な、なぁ……傷、大丈夫か?」
振り向くと、ばつが悪そうにこちらを見つめてくるアルヴィンと目が合い、そんな顔を向けられるとは思っていなかったエレノアは、わずかに目を見開いた。
「あなたが心配するほどの傷じゃないわ」
気を遣わせないように言ったつもりだったが、アルヴィンは申し訳なさそうに大きく息を吐き、自分を責めるように肩を落とした。
「はぁぁぁあ。初めてだよ、女の子に傷を負わせるの……」
漏れたその言葉に、エレノアの眉がぴくりと動いた。
「…………やっぱり、今までの試合は本気じゃなかったわけね」
空気が一気に冷えた気がして、アルヴィンはようやく自分が余計なことを言ったのだと気づき、慌てて身を乗り出し訂正を試みる。
「いや! 違うって! エレノアとの試合は全部、本気だった! 本当に!」
どんなに言葉を並べられても、一度こぼれた本音を聞いてしまった後では、どの言葉もどこか嘘くさく感じてしまう。
それでも、ここまで必死に否定するアルヴィンの様子に免じて、エレノアは呆れたように短くため息を吐いた。
「……そういう事にしておいてあげるわ」
エレノアは新しく包帯を巻き直したアルヴィンの腹へ、再び視線を落とした。
「痕、残っちゃうかしら……」
ぽつりと漏れたその言葉に、アルヴィンは自分の腹をちらりと見下ろし、それからまるでどうでもいいことのように肩をすくめた。
「気にすることでもねぇよ。どうせ、傷なんて今さら一つ増えたところで変わんねぇよ」
たしかに、アルヴィンの体には、まだ学生のはずだというのに痛々しい古傷がいくつも残っていた。
新しく増えた傷ひとつなど、本人にとっては本当に些細なことなのかもしれない。
けれど――。
「このお詫びは、必ずするわ」
即答だった。
「え……? え、いや。大丈夫だって」
「いいえ、大丈夫じゃないわ」
食い気味に返され、アルヴィンは思わず言葉を詰まらせる。
「あなたにこれだけの大怪我を負わせたのに、何もしないなんてあり得ないもの」
「いや、あの……本当に大丈夫だから。気にすることないって」
「気にするかどうかを決めるのはあなたじゃないわ。私よ」
ぴしゃりと言い切られ、アルヴィンは完全に押し負けた。
「私が良くないの。家名に泥を塗るようなことはできないわ」
「あの、俺の話を……」
エレノアはアルヴィンのささやかな抵抗など一度も聞き入れることなく、そのまま救護室を後にした。
「えーーー」
(貴族ってのは、どうしてこんなにも強引なんだよ……)
残されたアルヴィンは、強制的に決まってしまった“お詫び”とやらに頭を抱え、そのまま力尽きたようにベッドへ再び沈んだ。




