36話 交わらない道
今日は年に一度の学院公開日だ。
普段は関係者以外の立ち入りを固く禁止されている学院が一般にも開放されるため、朝から学院内はいつにも増して活気づいている。
「ちょっと、あなたその格好で行くつもり?」
制服に着替え、学院へ向かう準備をしていたアルヴィンに、セシリアは呆れたように声をかけた。
「その格好ってなんだよ。どう見ても制服だろ?」
「そうだけど、そうじゃないわよ。これも付けなさいよ」
セシリアの手には、アストレア家の家紋が施されたブローチがあり、それを目にしたアルヴィンは、げんなりした表情を浮かべる。
「どうして俺がそれを付けるんだよ。関係ないだろ?」
「関係無くないわよ。あなた、今日は私と一緒に周ってもらうわよ」
「はぁぁあ?」
初めて聞かされる内容に、アルヴィンは思わず声を上げた。
「何をそんなに驚いてるのよ。当たり前でしょ? 何のために私があなたと一緒にいると思ってるのかしら」
「いやいや、一緒に回るとか聞いてないから。今日は友達と一緒に回る約束してんだけど」
アルヴィンから出てきた「友達」という言葉に、セシリアは驚いたように数回瞬きを繰り返した。
「友達? あなた、友達いたの?」
「はぁ? いるけど?」
「なら、挨拶させてちょうだい! あなたの友達に私も会ってみたいわ!」
「そんな急に言われても向こうも迷惑だろ!」
アルヴィンに友達がいることを知ったセシリアは、分かりやすいほどテンションを上げる。
しかし、反抗的な態度を取り続けるアルヴィンに対し、そのテンションは次第に薄れていった。
そして、怖いくらい整った笑みを浮かべた。
「……私の言うこと、聞けないのかしら? この際、あなたの友達へ挨拶はしないとしても、私と回ることは決定事項よ」
向けられる笑みから有無を言わせない圧力を感じ、アルヴィンは一瞬だけ顔をしかめたあと、大人しく頷いた。
「……いつまでも意地張ってないで、そろそろ戻ってきたらどうかしら?」
セシリアは再び、アストレア家の家紋が施されたブローチをアルヴィンに差し出す。
「……意地なんていう、簡単なもんじゃねぇよ」
掘り返したくもない過去が脳裏によぎり、表情を険しくしながらも、アルヴィンは差し出されたブローチを静かに受け取った。
学院内はやけに殺気立っていた。
それもそのはず、レグナリア学院には今、この国の経済の一部を担う四大貴族が集まっているからだった。
「なんだか騒々しいわね……」
「そりゃそうだろ」
学院の警備を担当する教師や、一部の選ばれた上級学年の生徒たちは皆、緊張した面持ちで周囲を警戒しながら学院内を巡回している。
そんな中、渦中の人物の一人でもあるセシリアが呑気なことを口にするものだから、アルヴィンは呆れながら辺りを見回した。
「四大貴族に何かあったら、首が飛ぶだけじゃ済まないからな……」
(むしろ、自分の首が飛ぶだけで済めば運がいい方か)
それほど重大な任を任されているのだ。
殺気立たない方がおかしい。
「で? どこから見るんだよ」
学院から招待を受けている四大貴族にも、当然ながら予定が組まれている。
昼過ぎには貴族同士で集まり、学院側が用意した催し物を見て回ることになっているらしい。
セシリア曰く、今は自由時間とのことで、どこから見て回るか迷っている最中だった。
「メインの催し物は後で見ることになっているのよね」
要するに、自由時間とはいえ特にやることはなかった。
セシリアはしばらく考え込んでいたが、何かを思いついたように「あっ」と声を上げる。
「そうだ。学院の中を案内してちょうだい」
「案内?」
「えぇ、そうよ。私、あなたがどんな風にこの学院で生活しているのか気になるわ」
セシリアが学院に来てから、すでに一か月近くが経っているが、安全を考慮して彼女は別館の外へ出たことは一度もなかった。
「……分かったよ」
ずっと別館に籠もりきりのセシリアを思うと、アルヴィンはその提案を断りきれず、渋々頷いた。
「じゃ、まずは校舎の方から行くか」
その言葉に、セシリアは瞳を一層輝かせた。
アルヴィンはセシリアを連れ、校舎や図書館、訓練場などを案内して回る。
どれもがセシリアには新鮮に映るようで、子供のように目を輝かせながら、あちらこちらを興味深そうに見渡していた。
「最後は食堂だな。何か食べていこうぜ」
さんざん歩き回り、小腹が空いたアルヴィンがそう提案すると、想像以上の反応が返ってきた。
「食堂! 行ってみたいわ!」
そこにはアストレア家の当主、セシリア・アストレアの面影は一切なく、年相応にはしゃぐ一人の少女がいるだけだった。
その姿に、アルヴィンは思わず吹き出す。
「アハハッ! その顔、久しぶりに見たな」
「な、なによ! 別にいいじゃない!」
「はいはい、楽しみだな」
ぷくりと頬を膨らませて不貞腐れるセシリアを見て、アルヴィンは笑いを堪えきれない様子でくすくすと笑いながら、食堂へ向かった。
学院公開日の食堂は休憩所として開放されており、生徒だけでなく、公開日に訪れた人々の姿もあった。
そんな中、突然現れたセシリアに、食堂にいた者たちは驚きを隠せないようだった。
「この後、会食だろ? あんま食べすぎんなよ?」
「分かってるわよ。どれも美味しそうね」
予想外の人物の登場に食堂中がざわめくなか、アルヴィンとセシリアはそんな周囲など気にも留めず、数種類のケーキが並ぶショーケースを眺めていた。
「私、苺のケーキとお茶にするわ」
「はいはい。だと思ったよ」
セシリアが注文するものを分かっていたのか、アルヴィンはすでに二人分の注文を済ませていた。
支払いを終えると、二人は空いている席へ腰を下ろす。
「苺のケーキ、相変わらずだな」
「そう言うあなたもね。フルーツパイなんて、昔から変わらないじゃない」
「うるせ」
二人は静かにケーキを食べ進めていく。
やがて、セシリアはそっとフォークを置くと、小さく呟いた。
「……あなたが、ここでどんな暮らしをしているのか知れて良かったわ」
「そうかよ……」
「…………ねぇ。本当に戻る気は、ないの?」
躊躇いがちに尋ねるセシリアに、アルヴィンは目の前のフルーツパイから視線を逸らすことなく答えた。
「ない。……俺には、どうしてもやらなきゃならないことがあるからな」
揺らぐことのないアルヴィンの答えにセシリアは一瞬表情を硬くしたが、まるで何かに縋るかのように再び尋ねる。
「なら、それが終わったら? あなたの目的が果たせたら、また……っ。だって私たち——」
「時間だ」
「えっ……」
何かを言いかけたセシリアの言葉を遮るように、アルヴィンはガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。
「そろそろ集合の時間だろ?」
食堂の壁に掛けられた時計の針は、間もなくメインの催しが始まる時間を示していた。
「アストレア家が遅刻だなんて、笑えないだろ?」
「そ、そうね……」
セシリアは小さく頷くと、表情を取り繕うように笑みを浮かべる。
「行きましょ」
「……あぁ」
二人の間にはまるで透明な壁で遮られているかのような、ぎこちない空気を残しながら食堂を後にした。
事前に伝えられていた集合場所へ向かうと、そこは普段とは比べものにならないほど華やかな空気に包まれていた。
それもそのはず、そこには武を司るグレイシア家、政治や財政を担うローゼンベルク家、軍事を管轄するシュヴァルツ家――四大貴族の当主とその跡継ぎたちが勢揃いしていたからだ。
(目がチカチカしそうな服装だな)
己を誇示するかのような豪奢な装いを前に、アルヴィンは思わず目を細めた。
「ちょっと、あまり変なことをしないでちょうだい」
「変なことって、何もしてないだろ? まだ」
アルヴィンの様子の変化にいち早く気づいたセシリアは釘を刺すが、その効果はないようで、態度を改める気のないアルヴィンに小さくため息をついた。
すると、跡継ぎたちの輪の中にいるエレノアの姿が目に入り、アルヴィンは思わず足を止める。
「…………なんだよ、アレ」
アルヴィンの視線の先にある光景に気づいたセシリアは、小さく肩をすくめた。
「あなたね、今さら気づいたの?」
「今さらってなんだよ」
アルヴィンの鈍さに呆れたように、セシリアはため息混じりに答えた。
「忘れているようだけど、エレノアは四大貴族の一つ、グレイシア家の嫡女よ? 家柄も気品も申し分ない。しかも、見惚れるほどの美人。どの家だって、お嫁さんに迎えたいと思うに決まってるでしょ?」
その言葉の直後、アルヴィンはエレノアを囲む輪へと歩み寄った。
「エレノアッ!」
突然響いたその声に、その場にいた全員の視線がアルヴィンへと向いた。




