33話 知らないあなた
アルヴィンは不当な理由で連行されたのだと、エレノアは学院側に訴え続けていた。
学院の生徒達に手当たり次第聞き込みをして回り、ベルフォード家が殺害されたと思われる時刻に、アルヴィンが学院内にいたという証言もいくつか集めていた。
それでも学院側は、「聖騎士の判断を覆すことはできない」の一点張り。
エレノアがどれだけ証言を突きつけても、その訴えに聞く耳を持とうとはしなかった。
平民が貴族殺害の疑いで連行されれば、その先でどんな扱いを受けるのかなど、想像に難くない。
今この瞬間にも、アルヴィンが酷い目に遭っているかもしれない。
そう分かっていながら、エレノアには彼の身を案じることしかできなかった。
そんな状況が、もう六日も続いている。
七日目の朝。
エレノアが寮を出て学院へ向かっていると、周囲の生徒達がどこか落ち着きなくざわついているのが目に入った。
「どうかしたのかしら」
近くにいた女生徒へ声をかける。
突然エレノアに話しかけられたことに驚いたのか、女生徒は一瞬目を見開いたが、すぐに動揺を隠せない声音で答えた。
「エレノア様……それが、アストレア家のご当主様がいらっしゃっているようで」
「アストレア家が?」
アストレア家は、レグナリア王国に数多ある貴族の中でも、四大貴族と呼ばれる名家の一つ。
その当主は、エレノアやアルヴィンとそう歳の変わらない若き女性当主だ。
エレノアが彼女と顔を合わせるのは、先日ベルフォード家が主催したパーティー以来だった。
「……学院に来ることは知っていたけれど、まだ先のはずでは?」
「えぇ。ですから、先生方も驚いていらっしゃるようで」
四大貴族の当主が前もって学院側に何の知らせもなく、突然現れたらこの騒ぎになるのは当然だった。
(アストレア家は、何よりも礼節を重んじる家柄のはず。そんな家の当主が、何の前触れもなく学院を訪れるなんて……。ただの気まぐれ? それとも、何か別の目的が……)
「そう。教えてくれてありがとう」
エレノアはそう礼を告げると、それ以上この騒ぎに深入りすることなく、その場を後にした。
「このタイミングでアストレア家が動き出すなんて……」
エレノアがそのまま教室へ向かうと、その前には大勢の生徒が集まり、廊下にまで人だかりができていた。
「な、何が起きているの?」
普段ではあり得ない光景に思わず足を止める。
すると、エレノアの存在に気づいた生徒達が次々と左右に退き、教室まで一本の道ができていった。
開かれた道を通り教室へ入ると、そこには騒ぎの渦中にいる人物が、何食わぬ顔で佇んでいた。
付き人を傍らに控えさせ、周囲から注がれる視線など意にも介さず、窓の外に広がる学院の景色を眺めている。
だが、エレノアを驚かせたのは、彼女がここにいることだけではなかった。
その傍らに付き従う人物を目にした瞬間、エレノアは大きく目を見開く。
「セシリア様……アルヴィン……?」
そこにいたのは、六日前に聖騎士達によって連行されて以来、一度も姿を見ることのできなかったアルヴィンだった。
名を呼ばれ、エレノアの存在に気づいたセシリアは、アルヴィンを連れて彼女のもとへ歩み寄る。
歩みに合わせて、腰まで伸びた鮮やかな赤髪が柔らかく揺れる。
絹糸を思わせる艶やかな髪に縁取られた顔立ちは息を呑むほど美しく、長い睫毛に彩られた瞳や、すっと通った鼻筋、薄く色づいた唇まで、まるで一つの芸術品のように整っていた。
同性であるエレノアでさえ一瞬見惚れてしまう。
ただそこに立っているだけで人目を惹く――セシリアは、そんな華やかな美貌の持ち主だった。
「エレノア、パーティー以来ね」
「セシリア様、どうしてこちらに? それに、彼は……」
エレノアの視線が、セシリアの隣に立つアルヴィンへと移る。
制服から覗く顔や首元には、血が固まったばかりの生々しい切り傷や、紫色に変色した痣がいくつも残っていた。
頬や目元は痛々しく腫れ上がり、六日間でどんな扱いを受けていたのかは一目瞭然だった。
(これだけじゃない。きっと、制服の下にも……)
いつもは冷静沈着なエレノアが、傍目にも分かるほど動揺している。
そんな彼女を見て、セシリアはクスリと微笑んだ。
「エレノア、少しは落ち着いたらどうかしら。アルヴィンとも積もる話があるでしょうし、場所を移しましょう」
セシリアの提案を受け、三人は学院の本棟から離れた場所にある別館へと向かった。
「突然お邪魔してしまったでしょう? 学院のご厚意で、こちらのお部屋を貸していただけることになったわ」
今エレノア達がいる別館は、来賓向けに造られた宿泊施設だ。
立ち入りを許される者も限られているため、エレノアでさえ足を踏み入れるのは初めてだった。
室内は白を基調とした至ってシンプルな内装だったが、置かれた家具はどれも一目で高級品と分かるものばかりで、部屋全体が気品あふれる空気に包まれていた。
「今日からしばらくはアルヴィンと二人でここに滞在するつもりよ」
セシリアに促され、エレノアはソファに腰を下ろす。
一方のアルヴィンはというと、まるで護衛のようにセシリアの背後に控えていた。
「え……? ふ、二人きりで……ですか?」
「えぇ。何か問題でも?」
さも当然とばかりに答えるセシリアに面食らいながらも、エレノアは彼女の後ろに佇むアルヴィンへと視線を向ける。
しかし、当の本人は口を挟むこともなく、ただ黙って二人のやり取りを眺めていた。
「い、いえ……出すぎたことを」
いくら気になったとはいえ、セシリアは四大貴族の一角を束ねる当主。
これ以上踏み込んだことを口にするわけにもいかず、エレノアは口をつぐんだ。
とはいえ、エレノアの顔には「男女で二人きりになるなんて」とでも書いてあったのだろう。
その様子を見たセシリアが、くすりと微笑む。
「ふふっ……確かに、若い男女が二人きりというのは心配よね。でも、安心してちょうだい。私とアルヴィンは、そんな関係には絶対にならないから。ね? アルヴィン」
セシリアに話を振られたアルヴィンは、「ゲッ」と露骨に顔を顰める。
「嫌なこと言わないでくれよ」
「ちょっと! あなた、セシリア様になんて口の利き方を!」
あまりにも無礼な物言いに、エレノアは思わず声を荒らげた。
「大丈夫よ、エレノア。いつものことだから」
「いつもっ!? アルヴィン、あなたね!」
次々と明らかになるアルヴィンの不敬な態度に、エレノアは呆れを通り越して頭を抱えたくなる。
そんな彼女をよそに、セシリアはにこりと微笑みながらアルヴィンへ視線を向けた。
「そこで立っていないで、お茶でも淹れたらどうかしら?」
「…………はいはい、分かりました」
笑顔を向けられたアルヴィンは一瞬嫌そうな顔をしたものの、逆らうことなく渋々その場を離れた。
その後ろ姿を、エレノアは信じられないものでも見るような目で見つめる。
(あのアルヴィンが、お茶を……?)
アルヴィンがお茶を淹れている姿など、エレノアにはまったく想像がつかず、思わずポカンとしたまま言葉を失っていた。
「意外かしら? でも、安心してちょうだい。お茶を淹れるのは、アルヴィンの方が私より上手よ」
「セシリア様よりも……ですか?」
「ああ見えて、こういうことには几帳面なのよ」
「そ、そうですか……」
学院でのアルヴィンしか知らないエレノアは、たとえセシリアにそう言われても、素直に信じることができなかった。
その後もどこかそわそわと落ち着かない様子で、アルヴィンが戻ってくるのを待つ。
しばらくすると、紅茶の華やかな香りが部屋に漂い始め、ほどなくして、ティーセットを手にしたアルヴィンが戻ってくる。
カップへ紅茶を注ぐアルヴィンの仕草は静かで、それでいて美しく、エレノアは思わず目を奪われる。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
目の前に差し出された紅茶からは、華やかな香りとともに柔らかな湯気が立ち昇っていた。
先にセシリアが紅茶を口にするのを確認してから、エレノアもそれに続いてカップを手に取り、一口だけ口に含む。
その途端、雑味のない澄んだ味わいと華やかな香りが口いっぱいに広がり、程よい渋みの後にほのかな甘みが残った。
「……美味しい」
「なんでそんなに驚いてるんだよ」
「だ、だって……あなたがお茶を淹れているところなんて、見たことがなかったから」
「そりゃ、学院でお茶を淹れる機会なんてそうそうないからな」
「それは……そうだけれど」
エレノアはもう一度紅茶に口をつけながら、ちらりとアルヴィンへ視線を向ける。
(あの日のパーティーでのダンスといい、今回の紅茶といい……これだけの作法を身につけるには、幼い頃からそれなりの教育を受けていないと無理なはずよ)
「あなたって、いったい何者なのよ……」
「俺か?」
すると、それまで静かに紅茶を嗜んでいたセシリアが、カップを受け皿へと戻した。
「さて……」
カチャリ、と小さな音が響く。
「そろそろ本題に入りましょうか」
先ほどまで浮かべていた柔らかな笑みが消える。
それだけで空気が一変し、アストレア家当主としての静かな威圧感が部屋を満たした。




