31話 繋がらない点と点
フッ——と意識が遠のきかけたその時、バシャリと顔面に冷水が浴びせられる。
「ッ……またかよ」
水をかけられたことで遠のきかけた意識は無理やり引き戻され、それと同時に頭の上に石でも積み上げられているかのような重苦しい不快感も蘇った。
「あぁぁあー……」
少しでも気を紛らわせようと首を仰け反らせ、声を漏らす。
(ここに連行されてから三日……いや、四日は過ぎてるぞ)
「まだ殴られ続けてた方がマシだろ……」
顔に水滴を滴らせながら、アルヴィンは横に立つ男へ視線を向けた。
牢屋へ入れられてからこの数日間、アルヴィンは何一つ口にできず、眠ることさえ許されなかった。
一応、一日に一度だけ残飯のようなものが牢の中へ放り込まれるが、手足を拘束されたままのアルヴィンに、それを食べる術はない。
ただ、残飯へ虫が群がっていく様子を眺めることしかできなかった。
空腹には耐性があったためまだ我慢はできたが、何よりもアルヴィンを苦しめているのは、眠ることさえ許されない状況だった。
隣に立つ男が一定の間隔でアルヴィンの頭から冷水を浴びせてくるため、その度に遠のきかけた意識が無理やり現実へと引き戻される。
気が弱っている隙を狙うように、定期的に訪れる聖騎士から「お前がベルフォード家を殺した」と刷り込むように何度も言い聞かされ、その度に殴る蹴るの暴行を受ける。
(こんな方法、人によっては本当に自分が殺したって思い込むに決まってんだろ)
そんなことをまるで他人事のように考えながら、今日も鬱憤を晴らすかのように自分を殴り続けていた聖騎士に向かって、アルヴィンは不敵な笑みを浮かべる。
「ハハッ、もう終わりかよ」
「チッ……。コイツ、イカれてやがる」
何十発と殴られ続けたことで、アルヴィンの顔は見る影もないほど変わり果てていた。
額や唇、頬にはぱっくりと裂けた傷がいくつも刻まれ、酷く腫れ上がった目元は紫色に変色している。
アルヴィンを殴り続けていた聖騎士の拳も皮が裂け、互いの血が混じり合って周囲を赤く染めていた。
「だから言っただろ? 俺は我慢比べが得意なんだよ」
傷だらけになってもなお平然と笑うアルヴィンの姿に、聖騎士はさっと表情を強張らせると、逃げるように牢を後にした。
牢屋の中に残されたアルヴィンは、再び隣に立つ男に視線を向けた。
「なぁーー? おーい、聞こえてるんだろ?」
「………………」
いくら声をかけ続けても、男から返事はなかった。
(声による反応は無し、か……)
アルヴィンは男の様子を窺いながら、今度は他の反応を確かめるように、わざと椅子ごとその場に倒れてみせた。
バタン——と大きな音を立てて床に倒れると、それまで微動だにしなかった男が静かに動き出した。
(これには反応するのか)
男は横倒しになったアルヴィンの身体を椅子ごと抱え上げる。
アルヴィンは男との距離が縮まった隙を狙い、その胸元へ耳を当てた。
トクン——トクン——トクン——
(微弱ではあるけど、心音は聞こえるな)
男の心臓が動いていることを確認すると、アルヴィンはすぐに耳を離す。
男はそんなアルヴィンの行動にも一切反応を示さず、何事もなかったかのように椅子を元の位置へと戻した。
「ますます分かんなくなったな」
どうしてベルフォード家一家惨殺事件の犯人として巻き込まれたのか。
その理由を探るため、アルヴィンはこの数日間、周囲の様子をつぶさに観察し続けていた。
牢に出入りする聖騎士達の様子や会話。
自分に対する異様なまでの扱い。
そして、常に隣に立ち続ける不可解な男と、どこからか立ち込める腐敗臭。
「うーん、俺の仮説は一つ潰れたか」
アルヴィンは、この男がすでに死んでいて、人間ではない何かなのではないかと考えていた。
そう考えるに至った理由はいくつかある。
まず、この男は一度も眠ることなく、常にアルヴィンの横に立ち続けている。
次に、この男もアルヴィンと同じように何一つ口にしていない。
そして最後に——この数日間、一度も瞬きをしていないのだ。
「寝ない、食べないは鍛え方次第でどうにでもなるとして……瞬きすらしないってのは、さすがになぁ?」
アルヴィンは男の目をじっと覗き込む。
それでも男の瞼は、ぴくりとも動かなかった。
これだけ不自然な点が重なれば、すでに死んでいる人間なのではないかと疑うのも無理はなかった。
だが、先ほど確かめた限りでは、微弱ながらも確かに心臓は動いていた。
(心臓は動いてる。なら、少なくとも死体じゃないか……)
「となると、あとは聖騎士とこの腐敗臭か……」
男についての考察が行き詰まったところで、アルヴィンは今度は自分がどこにいるのかを探ることにした。
学院で意識を失い、目を覚ました時にはすでにこの牢の中にいたため、正確な場所は分からない。
それでも、この数日間でおおよその見当はついていた。
「ここは多分……王都の外。それも、人里からかなり離れた場所のはずだ」
そう考えた理由の一つが、ここへ出入りする聖騎士たちだった。
彼らが牢へ入ってくる度、僅かに甘い花の香りが漂ってくる。
最初は気にも留めていなかったが、何度も同じ香りを嗅ぐうちに覚えのあるものだと気づいた。
(この匂い……確か、王都周辺じゃ咲かない花だったよな。これは、ルーヴェ草か?)
ルーヴェ草は、その優雅な甘い香りから香水の原料としても重宝される花だ。
しかし、王都周辺では自生しておらず、王国でも限られた地域にしか群生していない。
「ルーヴェ草って、王国南西部の湿った森林地帯にしか群生しないんだったっけ?」
さらに、その推測を裏付けるものがもう一つあった。
この牢へ出入りする聖騎士達は、おそらく王都に所属する部隊ではない。
(だいぶ警戒してるみたいで、紋章や腕章なんかの所属が分かるものは全部外してる。だから断定はできないけど……)
アルヴィンは、この数日間に牢へ出入りした聖騎士達の顔を一人ずつ思い返す。
(王都じゃ、一度も見たことない顔ばかりなんだよな……)
そこでふと、アルヴィンはある矛盾に気づいた。
「…………待てよ」
(ベルフォード家が殺されたのは王都だ)
ならば、本来この事件を捜査するのは王都を管轄する聖騎士のはず。
「王都で起きた殺人事件に……なんで王都以外の聖騎士が絡んでくるんだ?」
点と点が繋がりそうで繋がらない。
そんなもどかしさを感じていた、その時だった。
複数人の足音が響き、やがて数人の聖騎士がアルヴィンの前に姿を現した。




