24話 穏やかな怪物
クラウスに連れられ、着いた先は学院長室だった。
「あの……俺はなんでここに?」
この学院に入ってから、学院長室へ足を踏み入れるのは初めてだった。
何かとんでもなく大きなことをやらかしたのではないかと、アルヴィンは内心焦る。
(何しろ、心当たりが多すぎるからな……)
無断で授業を抜け出すのはもちろん、図書館の禁書を勝手に持ち出したこともある。
終いには、寮へ酒を持ち込んだことまであった。
所謂、校則破りの常習犯だったからだ。
(いよいよ退学を言い渡されるのか?)
そんな呑気なことを考えていると、隣に立つクラウスが一度咳払いをした。
「私に聞かれても困る。こっちだって突然呼び出されたんだからな」
クラウスも状況を把握できていないようで、その表情にはどこか緊張が滲んでいた。
「全く、お前は何をやらかしたらここに呼び出されるんだ」
「いやー、ねぇ?」
これまで犯してきた校則違反の数々を思い返しながらも、アルヴィンは自分がここへ呼び出された理由について、おおよその見当はついていた。
(まぁ、この前の魔獣の件で呼び出されたって考えるのが妥当だろ……)
「お前のお陰で胃に穴が開きそうだ……」
「あー、あははは……」
(この様子を見る限り、魔獣が出現したことは知らされていないみたいだな)
朝の食堂の雰囲気やクラウスの様子からして、ライネルの言う通り、情報統制はかなり徹底されているようだった。
すでに胃に穴が開きそうだと嘆くクラウスを見ていると、このあと学院長から知らされるであろう事実を思うだけで、アルヴィンは思わず同情してしまうのだった。
ようやく覚悟を決めた様子のクラウスは、意を決した面持ちで学院長室の扉をノックし、中へ入った。
「失礼いたします」
「失礼しまーす」
クラウスの後に続いてアルヴィンも中へ入ると、そこにはやはりライネルの姿があった。
「あれ、お前! なんでここにいるんだよ」
「いやー、俺も学院長に呼び出されてさ」
ライネルの姿を目にしたクラウスは、あからさまに安堵の表情を浮かべた。
どうやら旧友の顔を見て、少しは気が楽になったらしい。
そんな二人を横目に、アルヴィンの意識は学院長室の大きな執務机の向こうへ向いていた。
そこには、一人の男が悠然と椅子に腰掛けていた。
腰まで伸びた灰色の髪をゆるく一つに束ね、端正な顔立ちには年齢を感じさせる細かな皺が目尻と口元に刻まれている。
四十代半ばと思しきその男こそ、全騎士、そして聖騎士の頂点に君臨する男――ディートリヒ・ヴォルクである。
アルヴィンと視線が合うと、ディートリヒは穏やかな笑みを浮かべた。
だが、その双眸に宿るのは底知れない威圧感。
ただ目が合っただけだというのに、本能が警鐘を鳴らし、まるで敵意を向けられているかのような錯覚すら覚える。
(……なんだ、この人)
アルヴィンは思わず喉を鳴らし、ごくりと固唾を呑んだ。
「君が、アルヴィン君かい?」
「っ——!」
ただ声を掛けられただけ。
それだけのはずだった。
それなのに、ディートリヒの声が耳に届いた瞬間、ぞわりと全身の毛が逆立ち、肌が粟立つ。
まるで意識の奥深くまで見透かされ、そのすべてを支配されるかのような錯覚。
指先は微かに震え、背中を冷たい汗が伝っていく。
(っ——! なんだよ、これ……)
「は、はい……。初めまして、アルヴィン・ヴァルハルトと申します」
震え始めた身体をどうにか落ち着かせながら、アルヴィンは返事をした。
そんなアルヴィンの異変に気づく様子もなく、クラウスはディートリヒへ向き直る。
「どのようなご用件で、私たちをお呼びになったのでしょうか?」
クラウスの問いに、ライネルが口を開く。
「実は、二人を呼んだのは私なんだ」
「お前が、どうして……」
ライネルの言葉に何か思い当たる節でもあったのか、クラウスは怪訝そうな表情でアルヴィンへ視線を向けた。
「……お前、この前の招集で何かやらかしたのか?」
「なんでそうなるんだよ」
「いや、それしか考えられないだろ」
「まぁ、まぁ……本題の前に、クラウス。お前にこれを読んでほしいんだ」
そう言ってライネルが差し出したのは、魔獣との戦闘についてアルヴィンがまとめた報告書だった。
クラウスは黙ってそれを受け取る。
表紙に記された報告者の名前を見た途端、露骨にうんざりした表情を浮かべたが、読み進めるにつれてその表情は一変した。
眉間には深い皺が刻まれ、ページをめくる手が止まる。
やがて顔からは余裕が消え、険しい表情だけが残っていた。
「…………こ、これは」
あまりにも受け入れがたい内容に、クラウスは動揺を隠せなかった。
そんな彼を見たライネルは、困ったように苦笑を浮かべる。
「まぁ、そうだよな……。その報告書に書かれている内容は事実だ。私も、その魔獣をこの目で見た」
するとクラウスは、鋭い視線をアルヴィンへ向けた。
「なんでお前は、こんな重要なことを報告しなかった!」
「い、いや……それは」
そのとき、それまで静かにやり取りを見守っていたディートリヒが穏やかに口を開く。
「事が事だったからね。アルヴィン君には箝口令を敷いていたんだよ」
「学院長……」
ディートリヒの言葉に、クラウスははっと我に返った。
「魔獣が出現したというのは、紛れもない事実だ。このことが広く知れ渡れば、大きな混乱を招くことになる。だからこそ、最初に魔獣と相対したアルヴィン君本人から話を聞く場を設けさせてもらった」
その言葉に、クラウスとライネルの視線がアルヴィンへ向けられた。
「さあ、アルヴィン君」
ディートリヒが穏やかな口調で問いかける。
「君はどうして……魔獣について知っていたんだい?」
思わず、アルヴィンの喉がひくりと鳴った。
(話を聞く? 尋問の間違いじゃないか?)
穏やかな視線と口調だけを見れば、気さくに話しかけているようにも思える。
だが、実際にその視線を向けられているアルヴィンには、そんな穏やかさなど微塵も感じられなかった。
それはまるで「知っていることを、すべて話せ」そう無言で迫られているような、凄まじい威圧感だった。
「確かに、精霊術は失われた古代の術だ……授業で扱われることもない。お前……いつそんなものを勉強したんだ?」
クラウスが疑問を抱くのも無理はなかった。
精霊術は、かつて存在した術として語り継がれているだけで、学院の授業で教えられることはない。
それにもかかわらず、アルヴィンは初めて遭遇した怪物を魔獣だと見抜き、精霊石を応用して見事に撃退してみせた。
こうして、注目を集めるのも無理はなかった。
(さて……なんて答えるべきか)
アルヴィンは、ディートリヒの問いへの返答を考えていた。
穏やかな口調とは裏腹に、向けられる視線は鋭く、「ここで、すべてを話すべきではない」と直感が告げている。
「暇つぶしに入った図書館で、古代術について書かれた本を見つけたんです。その内容が結構面白くて、読み漁っていたら詳しくなった……って感じですかね?」
おどけるように答えると、隣にいたクラウスが呆れたように小さく漏らした。
「もっと真面目に答えろよ……」
「そうか」
ディートリヒは表情一つ変えず、静かに続ける。
「アルヴィン君。君が読んでいたその本……今、どこにあるか分かるかい?」
「さあ? 読んだの、もう一年くらい前ですし。今どこにあるかなんて分かんないですね。一度読んじゃえば、もう用もないんで」
「ふむ。そうか……」
曖昧な返答を受け、ディートリヒは口元に手を添え、何かを考え込む。
すると、アルヴィンは何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「そういえば……この前、図書館の奥の方で精霊について書かれた本があったような……」
その言葉を聞いたクラウスは、身を乗り出すようにアルヴィンへ詰め寄った。
「その本――名前は? 図書館のどこにあったんだ!」
「な、名前? 確か……『精霊術について』みたいな、そんな感じだった気が……。本があった場所なんて、さすがに覚えてないって。図書館がどれだけ広いと思ってるんだよ」
「『精霊術について』……か。図書館は当面の間、利用禁止にしましょう。アルヴィン君の言うとおり、この学院の図書館には、長い年月をかけて集められた貴重な書物が数多く眠っている。一度、徹底的に調べる必要がありそうですね」
ディートリヒは得られた情報をもとに、クラウスとライネルへ図書館を封鎖するよう指示を出した。
指示を受けた二人が学院長室を後にすると、部屋にはディートリヒとアルヴィンだけが残される。
ディートリヒは静かに椅子から立ち上がると、ゆっくりとアルヴィンとの距離を詰めてきた。
(嘘は言ってない。図書館で精霊について学んだのも事実だし、エレノアの前で読んでいた本のことも伝えた。大丈夫だ)
床一面に敷かれた絨毯が足音を吸い込み、部屋には時計の針が時を刻む音だけが、やけに大きく響いていた。
息が詰まるような緊張感に包まれ、鼓動が次第に速まっていく。
そんなアルヴィンの前で、ディートリヒが足を止めた。
「今日はわざわざすまなかったね。時間を取らせてしまって」
「い……いえ」
逆光に照らされたディートリヒの表情は影に隠れ、何を考えているのか読み取ることができない。
(さっさとこの場を離れよう)
「また何かあったら、いつでも呼んでください。俺も力になりたいので。では、失礼します」
アルヴィンはディートリヒへ軽く一礼すると、背を向けて学院長室を後にしようと扉を少し開けた、その時だった。
「…………アルヴィン君」
名を呼ばれ、アルヴィンは足を止めて振り返る。
開いた扉の隙間から差し込む光が、今まで影に隠れていたディートリヒの顔を照らす。
その口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「そういえば、お友達は……元気かな?」




